Tips_食べログを使わないメシ選び

皆さん、日々食べログを使っていますか?
僕も毎週のように食べログを使っていたんだけども、ある日を境に使うのを辞めた。

理由として
食べログを使うと失敗しないからである。
食べログでメシ屋選んだら、まあ失敗しない。
高評価の店に行っとけば、それなりに綺麗、美味しい、コスパよし、接客そこそこ。
食べログはメシ屋選びに失敗できない人やデートでの利用がオススメに思う。

ただメシ屋というのは勝手にそこにあるものなんかじゃなくて、誰かが作りたいと思った世界を形にしたものであって、外観、内観、メニュー、食材、料理、接客すべてで、この店主はどんな世界を作りたいと思った形だ。

僕は末端ながらもスタートアップ界の住人で、常に自分の手で自分の考えた何かを世界に出したいと思っている。だからこそ誰かの評価で店を選ぶんじゃなくて、自分の目で見てメシ屋を選びたいなと思ったのが、食べログを控えるにようになった理由である。

見つけ方はシンプルで、街を歩いてて気になる外観の飲食店を見つかる。一見客が入れない感じであれば店名をメモる。
外観はいわゆるキャッチコピーである。うちのお店はこんなお店でんねん。というノンバーバルなインフォメーションである。何か感じるところがあればメニューを見る。外観とメニューの一貫性を確認する。もし内観が覗けるなら内観を見る。この3つの主張(外観・メニュー・内観)が衝突していなければ、店に入ることにしている。

もちろん訪問した店が美味しくないこともある。
ただこれは、村上春樹が言うように

「気持ちよく生きて、美しいものだけを見ても。感受性は身につかない。
世界は痛みと矛盾に満ちている。それでも美しいものを見たい。そのためには痛みに満ちた世界をくぐりぬけて、はじめて美しいものが見える」(井上解釈)

ということだ。

すなわち、
「痛みの体験をくぐりぬけて、はじめて最高の体験が見える」

違う言葉で言うなら、美味しくないメシ屋に入ることは失敗ではない。
真の失敗は、それなりの店で、それなりの感動を味わうことなのかもしれない。
美味しくなくても、少なくとも自分は良いと思った店に入った経験を経て、誰かが考えた世界に触れることになる。
いやわかる、入ってみて、愕然とする体験はわりとある。(地元民しか来ない店に遭遇する率の高さよ)

でもそれが楽しい。
その事業家が理想の世界を作れなかったとしても、店内にその思いの残滓はあらゆるところで確認できるはずだ。
もしかして、この人はこういう世界を作りたかったのかもしれない。
でも色んな人の世界に触れた数こそが、きっとあなたのいつかの世界作りに役立つはずなのだ。

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