雑感-7時50分のランナー

最近、夕方から夜にかけて走ってたランニングを(どうしても打ち合わせが入るので)
朝一へ移行。
走る時間帯の違いによるランナーの違いでも。
以下。

 

大体だけども毎日早ければ6:50ぐらいに走る。遅くても7:50。

多分習慣的に走らない人は時間帯によるランナーの違いは想像できないかもしれないんだけど(実際に俺も想像は出来なかったのだけども)
走る時間帯によるランナーの違いは歴然である。

まず6:50に走ってるランナーたちは、見るからに雰囲気が違う。
視線は前だけを見据え、美しく力強いストライドで走っている。
それはまるで日々いかに十全に過ごすがためだけに存在する動物のように見える。呼吸する存在でもなく、脈打つ存在でもない、日々の十全さを追求する存在であるというように、粛々と目的に向かい着実と歩みを進めていく。
筋肉という筋肉はそれがためだけに密集し協力し、目的遂行するためだけにプロ
グラムされた堅牢なハードウェアのように見える。

だが7:50のランナーはそれとは違う。
7:50のランナーは常に何かを迷ってるように見えるのだ。自信と失望のあいだを常に揺れ惑いディレクションできないでいるように見える。ソフトな混沌と不安定な情緒を持った人物によって作り上げられた2WDの自動車を想起させる。
ガソリンは切れそうで、うろうろスタンドを探してるかのように足取りは定まらない。

当然前者はみんなから歓迎され、祝福を全身に浴び、すばらしい一日を過ごすに違いないだろう、
そして後者は残念ながら、うだつのあがらない気の毒なタクシードライバーのよ
うな一日を過ごすに違いない。

とまあ、大げさに書くとこれぐらいの違いがある。
遅い時間からだと8時40分ぐらいに走り終えるのだけど、
そのとき、橋の上で急ぎ足で歩くサラリーマンから「こいつらまだ走ってんかよ。仕事いけよ、あ仕事なかったんだっけ、まあ走るのもいいけどさ、仕事もいいもんよ、やっぱ責任感を身にまとって生きる実感というか、走るのを否定しないよ。うん、なんというか両方あってのものかなって、へへ。」みたいな目で蔑視される。
そしてまわりをふと見渡すと、今日の予定は永遠なる未知であり、解明することのできない種類の何かであるみたいなぐらいの予定が無い人のようにみえてくる。

そうすると、走るという行為よりもむしろ予定もなく遅い時間に川沿いで遊んでる大人たちの集まりなんじゃないのかという気になってくる。
そうやってまわりを見渡すと、どんどん危ないヤツの集まりに思えてきてしまい、これはもしやヨハネスブルグやブロンクスよろしくの気を抜いたら最後ぷすりと行かれる場所に違いないという思いに到達する。

ということで、8時30分~9時30分の河原には非常に用心していって欲しいなということであります。

雑感-7時50分のランナー” への2件のコメント

  1. こーいうの好き\(^o^)/もっとくれください

    • >タクシードライバーに謝れさん

      まずは、ごめん。そしてありがとう。

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