Tips-苦しみ方はオプション

日々、走る生活に変えてからそろそろ2年(膝故障して半年休んだが)になるのだけども、それによりいくつものメリットを享受することになったんだけど、
その中の大きなひとつが、
苦しみに関しての変化ではないかと。
(長かったので後日に短縮)

そんなことを。
以下。

走るという行為にどうしても付帯するものがあるとすれば、
それは痛みであり、キツさであり、しんどさである。
やはり常に長い時間の緩やかな負荷か、スピードという短く強い負荷が掛かるので、
状態異常としていろんな強度での痛みが、つきまとう。

ただ長年走ってると、痛みや苦しさに対する優先順位が変わっていることに気付く。
苦しいからなんなんだ?という風に苦痛を捉えはじめる、
そもそも苦しくもなければ、誰が好き好んでランニングなんかやるんだ?

それがタイトルにある苦しみはオプション(自由な選択)ということになる。
確かこれはアスリートのマントラとして見たと思うのだけど、
長年苦しさのなかに居ると、苦しみをどう捉えるかなんてこちらがジャッジするものであって、
苦しさからの逃れたいわけではなく、苦しみの多寡は問題ではないという考えになった。

 

でも書きながら改めて思ったんだけど、
こういった考えは本当にランニングによって後天的に学んだのか微妙な気もしてきた。
昔は苦痛には弱かったので、苦痛はそうなんだけど、総体としては昔から、そんな思考だった気がする。
23歳の折りに、会社での初めての借入で僕個人が連帯保証をすることになり、
「そうか、何かあったら財産すべて持ってかれるのね」と思って、
そうかー。何が起こるかわからないし、
金が無くても楽しいと思えるようにしよう、と金で幸福が左右されるブレ幅を少なくしていった。

その折に、
すずき荘という4畳の風呂なし、共同便所の見学に行き、
「大きな音を出すな!」と力強い字体の張り紙をしている廊下を眺めていた。
(見てたらタンクトップとブリーフの住人から変な目で見られた)
でも既にもうインターネットと本と音楽だけあれば(本は図書館で借りるしかないけど)
大丈夫な気がする。風呂無いのはちょっとパンチあるが。

 

というわけで、苦しい環境をどう感じるのかは我々の自由であり、オプションなのだ。
それはポジティブシンキングというナマッチョロイ物じゃなくて、生きる智慧じゃないかと思う。

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