雑感-他人の靴を履いてみる

改めて毎日ほんとに多くの人に会ってるなと。
そして多くは世間話ではなく強めのコミットをして話し合う事が多い。
それを通じて思うことでも。

 

いろんな人といろいろな話をしていて、つくづく思うのだけど、世界というのはこうもいろんな価値観や考え方の人たちで成り立っているのだなと。
同じ会社の同じ部の人でも全然思ってることが違ってたり、同じような服の若い女性でも全然考えが違ったりする。
大枠のフレームのなかで、ここに差異があるのかもと思い、そこを探るようにしてる。

そんな風に色んな価値観に触れていくに従い判断をするのは辞めた。
その考え方はどうだとか、良いとか悪いすら判定しない。
ただその彼や彼女がどのように生きて、何を選び、何を捨てて、何を思ったのか?それを記憶していく。
たぶんジャッジをするのは僕じゃないのだ。どこかの誰かが彼や彼女のジャッジをするのだろう。という思いを持ってる。
僕は彼や彼女が語った何かをまとめて整理して、自分の記憶の引き出しに淡々としまっていく。

 

そして僕は、その人に関連した決定をする時に、その引き出しを探しに行く。
彼や彼女がいかに力を発揮したり、もっと活躍するにはどうすればいいのか?を考えながら、彼や彼女が語ったことを思い出していく。
左手に全体最適の視点、右手で引き出しを探していく作業だ。

それと同時に彼や彼女の人生について考えてみる。
英語のことわざにある「他人の靴を履いてみる」というやつだ。
たんに想像するしかないのだけど、彼や彼女の人生を考え、彼らが語ったことを思い出しながら、最適な体制を検討していく。
それらは未来の想像からの現在の体制構築であり、ビタイチ誰からも感謝されないのだけど、5年後でも10年後でも誰かが少しでも楽しくなるように機能してると良いなと思いながら粛々とやってるのだけども。さてと。


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