雑感-年をとるということ

自分が強く興味を持っていることのひとつに年を取ることがある。
もう少し正確に言うと、未経験の年を取るという事実に対してどのように向かい合っていくか。もしくは人はどのように老いるのかに興味がある。
なので年配の方の老いに対する本を読むのが凄く好きだ。

たぶん生きしモノすべては年を取るということは初体験のはずであり
10歳の子供は11歳になるのは初体験だろうし、71歳のおじいちゃんは72歳になるのは初体験のはずだ。

俺も当然32歳の今、33歳になるのは初体験だ。
今思ってることを。以下。

 

いま20歳前後の子たちと日常的に接するようになって、
思うことは、20歳というのは色々大変そうだなー。んで自分も大変だったなーとつい思い出してしまう。んでしっかりゲンナリする。
もし神様が出てきて、僕に「井上さん、20歳に戻れますけど、戻ります?」と聞かれても、
「有難い申し出ですが、大丈夫です」といって断るに違いない。20歳なんて一回経験したらもう懲り懲りだ。あんな不安定な、自分が何者か分からないが、肥大化した自我を抱えてドタバタ生きるような日々はもう結構。
欲のうまいドライブも分かんないし、つい暴走していくし、社会との関係もうまく掴めず、自己顕示が節々に露呈するあれはとことん疲れる。
しょっちゅう誰かと口論してた気がするし、ついフィジカルのぶつかりみたいなのもあって、んでメンタルも弱いもんだから、グサグサ傷ついてた。

僕は20歳で起業したんだけど、よくもあんな暴走気味の自我を抱えつつ会社経営なんてやったもんだなと思う。いやだからこそ何とかいけたのか。うーん。よくわからん。

ただ年を取って思うのだけど、年を取るメリットはいくつもある。
まずブスブスに傷つくことがなくなった。ボチボチ傷つくんだけど、前もなんかこんなのあったな。みたいな事で何とか対処ができる。所詮焼きましじゃんか。という感じだ。
まあ傷ついたのが俺で良かった。俺は傷ついても回復できるし、まっいっか。と開き直る。

それに続いて、自分というハードウェアの仕組みがわかってきて、どのように扱うとうまく機能するのかみたいなことはつかめてくる。
脳を大切にすると同時に、身体も大事に扱う。ならわりと朝から凄く活発に動けるようになり、若いころはそれが分からず、朝ダルくて死にそうみたいな日々を連発させてたが、慣れたもんである。

あと一番大きいのは年を取って負けるのにも慣れてきたことかもしんない。
自分の力量を知るに連れ、ここで闘っても仕方ないし、それより毎日しっかりと手応えを感じるに人生をシフトしていくと、凄く上手くいく。
特に本を大量に読みこむ生活を2年ほどやってて、本を読めば読むほど圧倒的な人に出会い、改めて巨人はどこまでも巨人であり、どうやっても敵わないのだな。と。
譲らない部分を決めて、以外の負けはOKとなると人生は凄く楽だ。

とはいえ、年を取りつつ、僕は40歳までに達成すべきことって昔から決めてたので、逆算すると全然時間がなくて、それに関しては焦りはある。
もう財産とか名誉みたいなことにはあまり興味がなくなっており、ただ自分として達成すべきことであり、それは目標とかそんな生チョロい話じゃなくて、自分に付与された観念みたいなもんだ。
そろそろしない仕事を決めて(借りを返せたならば)自分にとって大事なことにコミットメントする時期かなとも思いつつ。

年を取ることに関しては引き続き興味を持ちつつ、考えていきたい。

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