日々-映画の感想と気持ち悪さと色々と

久しぶりに映画を見る日々。
何かをしながら見てる(じゃないと集中持たずで見れない)ことがほとんどだったが、
ながらが功を奏し結構スマホで見た(ネットでの映画鑑賞の技術革新っぷりがスゴイ)
ぐるりのこと、問題のない私たち、アヒルと鴨、ゲロッパ、パッチギ、ボーイズ・オン・ザ・ラン、ゴッドタン、チュートのコント、さくらん、仁義なき戦い、進撃の巨人、以外にもいくつか。
でダントツに面白かったのが「桐島」だった。いやー面白かった。

「桐島、部活やめるってよ」

たいして映画を見ないのだけど、久しぶりにいくつもの映画を見てて思ったのは、面白いかどうかは、つまるところ、どれぐらい開かれているかという点なのかもしんない。
そしてこの映画は開かれている映画だ。
自由に感想を言ってくれてOK、そしてどのように感じ取ってくれても構わない。という意志が作品から伝わってくる。
そしてそれに耐えられるように緻密に積み上げた映画に思う。ひとりの登場人物に絞り込んで見ても充分視聴に耐えれる作品だし、総体としてもしっかりと面白い。
開かれた作品はどの角度から見ても楽しめるように作られている、ありきたりな正論は基本的にない(屋上のシーンも啓発ではなく生きていくための覚悟と取れる)

あらすじを書くとシンプルなモノなのだけど、
“「桐島」という学校のスターが部活を退部し、それによってまわりの人間関係が変わっていく”
という話だ。

主人公は桐島ではなく、桐島を取り囲む人たちである。
桐島が居なくなることで、自分が今まで確立したと思っていたポジションが実は桐島が居ることで成り立っていることに気づき、周囲の人間は自分自身と向き合うことになってしまう。
桐島が居ることで、がんばらなくてよかった人、目立たなかった人、価値があった人、関係なく自分の世界で生きてる人、全員が自分との対峙を求められ、関係が変質していく。
構図的にはリア充VS非モテ的、部活やってる奴VSやってないヤツのように見えるが、実際は自分という人間のポジションであり、何にコミットするのかであり、おまえは何だという世界からの追求だ。
追求はリア充であろうが、非モテであろうが平等である。そして主人公以外の登場人物が自分の価値の無さに気づいていく。そしてその苦悩と葛藤が続く。

すなわち桐島は装置だ。自分を保つための装置であり、もしくは自分のメッキを剥がす鏡だ(決して自我を投影する鏡ではない)
だもんでストーリーを求めて見てしまうと、なんだこれ?という話になる。(桐島が辞める理由とか)
いやーディティールの細かいところとか全部が良い映画だなと。

ただその後にレビューを見たのだけど、レビューがひどいのはまあ仕方ないというかいつものことだと思うのだけど、
ただこうユーザーでご自由にみたいなストーリーの場合、毎度強く腹を立てる人が出てくる。
「俺が分からない映画は、理由は関係なくてツマラナイ」みたいな結論ありきで叩き始める(決して良いところを探そうとしない)

とはいえ逆に評価してる人も「これ評価出来ないやつはアホ」みたいな感性のリトマス紙みたいなことになり、これまた難しい。
合わなければ合わないだけの話であり(決して万人受けする映画とも思えない。アカデミーにそぐわなさそうな気がしますが)
また合うときが来ればいいねであるし、合う映画が見つかると良いねぐらいかなと思うのだけど、こう面白いものはひとつだみたいな流れは少しの気持ち悪さを感じるなと。

今の映画でも音楽でもそうだけど、誰でも分かるフック(面白いところ)と深みの必要性は高まってるように思う。
どんどん世界は単純化(正論)の方向に向かっており、あわせて世にあるコンテンツの量が爆裂に多くあるので、凄く面白いので2時間黙って座ってみてね。では通用しない。
レビューを見ながら気持ち悪さと難しさを感じつつ。わかりやすい面白さと深みの両立。でも名作の多くはそれを達成してる感じもしてるが、その求めはどんどん上がってるように感じる。

で最後に映画にあった「タランティーノの映画で何が好き?」というセリフも、批評回避としても凄く上手い。
「イッパイ死ぬ奴」「タランティーノは大体イッパイ死ぬよ」って。
そのへんのプロットは分かったうえでやってますよ。理解してくださいねーということだろう。
いやー楽しめた。

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