ヒマ-盆でまわりもあまり仕事をしてないので、朝の散歩を書く

そういえば、お盆でまわりが緩かったので、叙情的な文章で日々の散歩を書いてみるとか一人でやってて、結局アップしてなかった。
というわけでお盆でも無いし、お盆の空気感も終わったなか、お盆の文章をアップ。
お盆に朝起きて散歩して思うこと。

いま、都会と住宅街の間に住んでるのだけど、別な種別で言うと観光地とビジネス街の間に住んでる。
そのためお盆になると、街の雰囲気が変わる。いつもは朝窓をあけると、スーツ姿の人が(大体が公務員とか職員)多く居るのだけど、それらの姿が見えなくなって、
まわりが観光客と里帰りの人たちばかりになる。都会に住んでると盆は人が減るし、田舎は増えると思うのだけど。
ここは人の種類が変わる。人の総数はあまり変わらない。ただ空気はどこまでも緩い。

そして別に予定もないので、いつもどおり夏に浮かれて朝6時過ぎに散歩に出かける。
外に出てみるといつもより、あたりはとても静かな事に気づく。ただ生活の匂いが強くなってるような気がする。

鴨川に入るとすぐに地べたに座ってる浮浪者に出会う。
彼はいつもサングラスをしてる。多分年齢は35歳ぐらいだろうと思う。サングラスで正確な年齢が分からないのだけど、40歳にはなってないように見える。
彼はまだ浮浪者として馴染んでいないように見える。浮浪者として形ややり方も何もかもが定まっていないのだ。
まだ普通の生活に戻れるか戻れないか分岐点みたいな所に居るように見える。
まず彼はとても清潔だ。清潔な浮浪者というのはスーツの似合う力士と出会うぐらいに珍しい。臭いも全然ない。いつもサングラス越しに僕と目が会うと彼はとても恥ずかしそうにする。
とても几帳面な性格にように思える。それと同時にとてもつらそうに見える。途方にくれてるように見える。
多分誰かが彼に手を差し伸べるべきなのだろうと思う。だから彼はこんなにひと目につく所で清潔な格好で座りながら毎日眠っているのだ。
そして何かボクに出来る事はないか考えてみるんだけど、残念ながら出来る事が思いつかない。

その代わりにボクは空き缶の代わりになる資源が出てこないことを祈る。それは彼らが生き残る最後の手段なのだ。
もしマサチューセッツ州のMITの研究室に居る髪の長い太ったポテチ好きの天才が「うはwwwwアルミより8倍安くて軽い資源開発したったwww」なんて事になった日には彼らは生活ができなくなる。そうならないように、そんな資源が開発されないようにと。祈っておく。空き缶はどこまでも回収価値のある資源であってくれと。

そんなことを考えながら鴨川を南に歩いていると、高校生のカップルが抱き合ってる。女の子が鴨川に足を入れて男性が抱えるような形で、強く抱き合ってる。
何日も暗闇の中でさまよった人たちがようやく人に出会えったように、隙間なく抱き合ってる、ふたりともその形からピクリとも動かない。
彼らは家族には朝練とか何とか言って抜けだしてきたんだろうと思う。そして彼と彼女は鴨川に足を入れて、強く抱き合うのだ。
これは正当な愛情表現なのか行き過ぎた過剰で歪つな愛情の形なのか、もしくは何かの確認事項なのか。おまじないなのか。自分の充足さを色んな人に見せつけることによる精神の安定なのか。抱き合ってる姿からはよくわからない。
彼らは10年後も一緒に居て、それでも抱き合っているなといいなと何となく思う。あのとき抱き合ったから今があるんっすよ。なんて言ってるといいのにと。

そんなことを思ってると、毎度適当に外に出てきた自分の格好が気になってくる。
朝の6時半に、手ぶらで、半パンで、運動シューズを履いた、足の短い33歳。
GUAMと書かれた灰色のTシャツを来て、黒のハーフパンツを履いて、緑のNIKE FREERUNを履いて、キョロキョロしてる。
そうしてると、ipod shuffleからRadioheadのNoSurpriseが聞こえてくる。
とても美しい曲だ。とてもやさしい曲だ。それを聞いてると、自分に起こった今までの過去の出来事が目を覚まし、思い出されてくる。
そんな良かった思い出や悪い思い出を思い出してると強く仕事をしたい衝動に駆られる。
結局、目の前のタスクをひとつひとつこなしていくしかないんだと。いう気に。
何を考えてたのか忘れるぐらい早く仕事したくてウズウズしてきて、足早に帰路につく。

そして川の流れと逆行しつつ帰路をたどりながら、最後に川について考えてみる。色んな人が色んな方法でいろんな思いを持って川と一緒に生きてる。
川を通じて知り合った人たちの幸福を祈りながら、ボクはまた終わりのない目の前のタスクに戻っていく、
目の前のタスクに集中すると同時に、出来るだけ長いレンジでモノを考えようと思う。そしてクタクタに疲れて、また朝になって元気になってまた誰かと知り合いに川へ向かうのだ。
どこにも辿り着かないとしても、大量の水が流れている場所で誰かに出会うということは何かしらの大事な意味を持つような気がするのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。