雑感-夏の終わりに

去年の暮れから今にかけ、大切な人が何人も亡くなった。
特にそれに対して安い感動だったり、センチメンタルな文章を書きたいわけでもない。
ただそれでもいくらかは書いておく必要があるのかもしれないと思い、セコセコ文章をこしらえたいなと思う。

ボクは大切な人が亡くなると、いつもより長い距離を走ることにしている。
どうしても時間がとれなければ、強く走ることにしてる。時間的な負荷か強度的な負荷を高め、フィジカルな痛みを自分に与えるようにしてる。
そしてフィジカルを通じ、彼らが亡くなったという事実を記憶に強く留めておこうとする。
大雨であっても台風であっても、時間がなくて真夜中であっても暗闇のなか、もくもくと走ってる。

ボクが死者に対して出来ることは彼らを記憶することだけだ。
彼らがボクに話したコトのひとつひとつ思い出しながら一定のリズムを刻み、長い距離を淡々と走る。

そして、拙いながらも彼らに対しての文章を書く。彼らはなにを求め、なにを語り、なにを考えてきたのかという文章を。
それらの文章は誰にも見せることはない。
知人にも友人にも相手の家族にも。
誰にも見られないWindowsの深い階層に保存する。バックアップも取らない。パソコンを入れ替えるときには消えてしまうような階層に。

これらの行為は言うまでもなくエゴであり、自己満足に過ぎない。
決して死者に対しての行いではない。
死者は死に続けてるのであり、ボクの行為に対し賛同や異議申し立てをするわけではない。
彼らは今日も明日も死に続けていくのだ。

そして彼らは自身の死を通じ、ボクの中に死を残していく。
その死を眺めていると、死と生の距離は実は近いことに気づく。
それと同時に自分のなかに沢山の死が積もっていることを認識する。

出来るだけ、ボクは彼らが生きたことを記憶に留めておこうと思う。
何度も思い出そうと思うのだ、彼らの生きた事実を。

そろそろ夏が終わろうとしてる。

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