雑感-報酬系としてのメシ

人がどこにお金を使うのか?見るのが好きだ。
それなりにお金と上手く付き合いつつ、どこに可処分所得を投下するのかは、その人の優先度が見れて楽しい。

そしてボクはと言えば「メシ」に金を投下するのは、わりと合理的な選択なのかもと思ってて、そんなことでも。
以下。

「メシ」ぐらい予想と結果のフィードバックが早いモノは、そうそう無いと思う。
「メニューから味を想像」、「出てきた料理の形と色と匂いから味を予想」「口に入れて結果を見る」という一連の動きはとても早い。
これは改めるまでもなく、脳に対する強い喜びだと思う。

ただこの一連の予想と結果をしっかりと見るには、それなりの投下資本が必要だ。
外食費3000円では一連の脳の報酬としてのメシを食べるというのは、業態を絞らないと非常に難しい。
「え?焼き肉とか3000円で旨いの食えるし」って意見もあると思うのだけど、焼き肉の旨さというのは脂質による刺激だろうと思ってるので(ただまともな肉を食うのであればやはり5000円は出さないと難しいのではないかとも)あれは「旨いと予想する」というよりは「あの刺激を再び脳に入れたい」という中毒系の報酬と考える。一連の脳の予想と結果の報酬ではない。刺激の再獲得だ。そしてそういう報酬に脳はすぐに慣れ、もっと強い刺激を欲していく。

そうでなくて、料理人が頭をひねり、考えに考えた調理方法や味付けやら、旬の食材の調和による高次のバランスは、料理をする人の腕と、素材による所がおおきい。
煮浸しなんかでも、自分の煮浸しにおけるレンジを想像し、そのレンジを味付け、素材が超えてくると、純粋に感動する。つくづく嬉しいキモチになる。
そういった観点から晩飯に6000円以上投下するというのは凄く理にかなってるのではないかと。

それを通じて(うまく行けばということだけど)数日ぐらいは脳がとても活性化する。キレキレになる感じだ。
というわけで、メシを投下先としては、もう少し頑張っていきたいなと思う。
その流れで、今までの人生を通じ良いお店いくつか見つけており(食べログで3点代という低低の数字で凄く嬉しい=混まない)、それは誰にも教えてない。
季節ごとにお気に入りの料理人の料理を味わうことが出来るのは人生の大きな喜びだと思う。秋だし、そろそろ行きたい。


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