雑感-自分は仕事が出来るのか?

本ブログにて、偉そうに仕事に関わる文章をいくつか書いてて、ふと思ったのだけど、自分で、自分のことを仕事が出来ると思ってるのか?と。調子に乗ってるがどうなんだ?と。
改めて、というか初めて真剣に「自分は仕事ができるのか?」と考えたみたのだけど、これは非常に難しい問だなと思う。
それに対して「あまり仕事は出来ないけど、ある限定された環境において力を発揮する部分(こと)もある」と思う。


仕事が出来るというのは何だと言うと難しいのだけど「成果」だけで縛ると「市場の成長性」を加味する必要があったり「撤退」的な仕事ならどうなの?みたいなこともある。
というわけで、仕事が出来るかどうかを定義付けると
・問題点を探しだして、優先順位を付けて、解決(もしくは解決方法を探す)することが出来る。
と規定したいと思う。

そういう観点から自分のことを考えると「仕事は出来ないけど、ある限定された環境において力を発揮する部分(こと)もある」と思う。
あまり大きな声では言いたくないのだけど、自分は頭の良い人間ではないと思う。誰にも自慢出来ないけど。これは謙虚な発言なんかじゃなくて、純粋まるごと尻尾の先まで真実だと思う。中高の成績から、日々の仕事からつくづくそう思う。さすがに仕事的にも、一切のインテリジェンスが欠如とまでは思わないけど、頭が良い人間ではない。
そういう頭のよくない人間が「仕事が出来る」というポジショニングを得るには、一点張りをするしかない。

頭の良い人間はルーレットで「赤」か「黒」かに掛けていれば良いのだけど、ボクのようなタイプは「00」1点勝負である。
パワプロで言えば、オールAじゃなくて、オールEだが足は「A」という能力のあげ方だ。

社会に出ると分かるのだけど、あー敵わないなあみたいな人が大量に出てくる。逆立ちしても勝てないなと思う人が。

そこで自分自身の戦略を考える上で「汎用性」でいくか「専門性」で行くかという話があると思うのだけど、これはどっちに張っても「頭の良い人達」がウジャウジャ居る。
前者はゼネラリストという頭キレキレの好感度MAXのイケメンが、後者はスペシャリストという寝ずにも仕事しても楽しくタマランというヲタが蠢く。
彼らと通常に戦って勝ち目は無い。
ここで自分という人間の営業戦略を考えるわけなんだけども、明らかに落ちる自分がどこに張っていくのかと。

そのため自分の張り方は結構練ってきた。取りあえず何か分からないから、18歳から日経新聞を読む。19歳から大学の図書館の本をビジネス書を全部読む。20歳から取りあえず毎月10冊本を読む。
ゴチャゴチャ言わずに取りあえず摂取してみる。をやっていった。
その流れで、誰も読まない本を爆裂に読んでたら違うアウトプットが吐けるかもしれないなと思い、そっちに舵を切った。
「持ち株比率の考え方」を読みつつ「アンナ・カレーニナ」を横目に「江戸の口喧嘩」を見て「現代建築のすべて」を片手に「雑貨屋をひらこう」から「CanCam」から「今日の料理」から「宇宙のすべて」という感じだ。「イランとイラク」を読んで「日本人と仏教」や「マーケティング理論」から怪しい自己啓発、囲碁の世界まで、本当に何でも行く。辛酸なめ子でも東海林さだおでも寂照でも勝間和代でも何でも。

これは「好奇心」という部分が人よりも秀でてて、何を読んでも楽しい!と思うタイプなので、このやり方はハマった。
ただこれのお蔭で何か得することがあったのか?仕事で役に立った経験は?と言われると困る部分は多い(というのも全て軽く読んでるだけなので、深い見識は無かったりする)んだけどさ、まれに何か適当な企画をしろとか。マーケティングプラン練ってみろ。とか強みをでっちあげろとか。色々とある。他の人が考えるに困ってるのを見ると、役に立ってるのかもと思う。あまり解決は出来ないけど、問題を発見するのは別側面からということはある。
んで、こういうのを続けていくと、世界に存在する知識と自分の脳のロードマップみたいなのが何となく分かる。本屋に行って、読んでないジャンルはあのへんだな。というのはすぐに分かる。

こういうのは自分を使った壮大な実験のようなもので(なんといっても既に実験経過して13年が経つので)どうなるのか本人にも分かってない部分は多い。
何も無ければ無いで終わり。という実験。そういえば毎日8キロ走るというの壮大な実験であり、すでに5年継続。どんな心的変化があり、どんなアウトプットになるのか。
神のみぞ知る。とまで大きな話でもないけど、それでも能力が無い人が仕事が出来る風にポジショニングするのは、かくも大変なのだ。


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