雑感-「楽しい」について

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日々、若い子と話す環境に居るわけなんだけども、若い子の行動動機の多くが「楽しいかどうか」だ。
「あの子と一緒に居ると楽しい」「楽しいから行く」とか、最近では学校の広告なんかでも「楽しい」を押したモノを見かける「楽しくなけりゃ学校じゃない」とか、求人においても「楽しい」を押し出したモノは多い。多分若い子だけじゃなくて、おっさんでも、おばあちゃんでも、「楽しい」というのはとても大事な感覚であり、価値観なんだろうなと思う。

そして自分の最近の感覚として「楽しい」というのが、わりにどうでも良くなりつつあり、ふーむ、どうしたものかなと。
昔は週に何回も飲み会があったりしてて、とても楽しかったのだけど、その生活をまたやってみたいか?と問われるととてもじゃないが、やりたくない。
来週に誰かとの爆笑必至の飲み会があるとしても、別に心踊ったりはしない。それよりも出来れば普通の生活をしたい。豪華な食事なんかもそんなに要らないし、お花見とかBBQ何かも出来れば行きたくない。

こんな感じなので、ふと自分として思うのは「いったい自分って何が楽しいんだろう?」と。まあ爆笑もするし、笑ったりもするのだけど、別にそれは主ではなくて、あくまで副次的なモノである(別に家でも仕事でも笑ってるわけで)。俺、何を志向してるのか?と。服もどうでもいいし、飲みも、モテも、高いメシもキレイな家とかも、どうでもいい、車もそうだし。

その時間があれば「論理の思考演習」を一問でも解きたいなーとか。「20キロラン」やろかなー。とか「古本屋」とか「美術館」行きたいなあ、みたいなことになってしまう。
とはいえ、自分がマジに退屈な人間になってしまってる気もするので、何とかせねばーというキモチはある。いま書いててキモチが落ちる。でもさ大阪とか神戸で飲んで、帰り、あの電車に乗って2時間か・・・となると。まあ、次回にしましょうかねーみたいなことに。

そんなことを思ってたのだけども、多分今「楽しい」にはじまる「何か場として楽しい」みたいなパッシブな場としての楽しいをあまり必要としなくなってしまったように思う。たまーに飲みに行きたいなあとかあるけど、それよりも自分としては、毎日楽しいし、明日も楽しみだし、それがずっと続いてるので(傍から見たら、何が楽しいの?修行僧?みたいな生活だと思うのだけど)、そこらを継続したいってのが主因に思う。まだまだ若者の部類に入ると思うので、もう少し本問題は追っていきたし。こういうのは過渡期なので、もう少し経てば適度な楽しいだけの場も必要になるように思う。でも今でいえば本当に毎日電車の人混みも通勤2時間も、毎日立ち食いパン(食う時間無いから)、ダルい仕事も全部が楽しい(退屈な作業でも音楽が聞けるので、苦ではない)ので、日々あまり成果以外の不満は無いのだけどさー。もうちょっとガヤガヤしないとなあーと。ぐぐ。


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