雑感-最後まで読ませる文章が良い文章

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こんな感じで日々文章を書いてるが、改めて自分の文章を見直すと、ガックリ来ることは多い。
日々、まともな文章が書きたいなあという想いである。
自分の文章の下手な部分をブログで明らかにするのは、避けたいところだけども(そうブログでPDCAを回しているのだ)どんな文章が良い文章なのか考えてみる。

良い文章とは、

「読ませる文章」

と定義にしている。

そんな話を。

構造も用法も気になるところはあっても、グイグイ前々へと読ませる文章というのはとても良い文章である。

そりゃ読ませても文章として理屈は破綻してたり、少し視野が狭いかなと思わないでもないが、最後まで読ませるというのを大事にしている。内容よりも、ノリであります。

というわけで、どうすれば読ませる文章になるのだろう?ということを何度も考えてきて、今思うところをまとめてみる。

1,書き過ぎない文章
長く文章を書いてると分かるのだけど、自分の意図を性格に伝えたいあまり説明をどんどん追記してしまうことがある。読ませない文章の出来上がりである。
読ませるには、大きく捨てるという考えが大事。既に3年ぐらいこれにチャレンジしてるが、効果が出てるのか謎である。

2,テンポのある文章
説明が難しいのだけど、リズムのある文章である。リズムがどう出るのか?謎だ。文と文とのつなぎ方なのか(接続詞ではなくて)文章の長さなのか、文章はとても読みやすく、読ませる。これは出来る人には出来るし、出来ない人には出来ないの領域に思う。センスと言っちゃうとあまりにあれなんだけど。僕のようなタイプは書いてから何度も読み直して、読みやすいかのチェックをしている(テンポあります?)

3,威張らない文章
背伸びした文章というか、それが透けて見える文章は、別の感情を想起し(キラキラ感というか)読んでると疲れる。そんな修飾は無しに自分が伝えたいことを自分が持ってる言葉で自分の言葉できちんと伝えてほしい。あと横文字もできるだけ控えたい。いや別にね説明で抽象化する際に横文字を使うのはそれが概念だと伝えるために有効な手段であり、いいのだけど、以外の部分で(概念として使わないのに、んで流れも無いのに)あまり日々使わない横文字が出てくると、背伸び感満載であり盗んだバイクであり、ライムがリリックでフレーバーであり、駆けつけのオンザロックであります。とはいえ俺も昔爆裂に使ってたなと。昔のそれは「コアコンピタンス」だと思う。いま書いてもキツイ。10年前言ってたなあ。コアコンピタンスって、辛いなあ。コアコンピタンス、語感から感じるところありますよね、コアコンピタンス。

らへんを日々意識し、読ませる文章と考えてる。
やはり一番大事なことは、自分が伝えたいことがあり、それを伝えようという意思である。
よくあるのは構造もしっかりしてて、文章も整合されてて、理屈も破綻無いのだけど、退屈な文章というのは世の中に大量にある。

こういうのは音楽でも同じで、とても洗練されてて高いテクニックを持ってるのだけど、この人何が言いたいんだろう?みたいな音楽というのがあり、それは最終的に誰にも何も伝わらないように思う。アートでもそうだし、もしかすると仕事でもそうかもしれない。この人、知識もあるし、技術も経験もあるんだけど、一体なにがしたいのだろう?というような感じ。あるのかな。わかんないけど。

まあ結びとしては、あと5年ぐらいで、まともな文章が書けるようになりたいなと。いうところだ。目標があるのは自分としても望むところだが、遠い目標であり、なかなか大変である。20代の頃もそう言ってた気がするので、早く人間になりたいなあの心境であります。本ブログでもコツコツ涙ぐましい努力を続けていきますので、凡才の軌跡をご確認いただければ。よろしくどうぞ。

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