雑感-成長したから何なの?という発想

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日々、苦手ながら若い人たちにモノを教えたりしてるわけなんだが、その教える行為の背景には、彼らに成長して欲しいというキモチがある。
成長して他の若手とは一線を画するような力を持ってほしいなと。

ただそれと同時に逆説的だけども「成長したから何なの?」という視点も持ってる方が良いのかなーなんて事も思ってる。
基本的にビジネスマンの多くが「成長する」というのをとても重要視してる、狭い車内で日経新聞を的確に折って読んでる人(32回折り畳めれば月まで届く)自己啓発本を貪るように読んでる人、いろんな勉強会やセミナーに参加してる人、学びはとても貴重だと思う。それらは間違いなく充足を生む。家で1日テレビを見てました。なんてよりも何百倍も満足の行く1日に感じるはずだ。

でもさ、思うんだけど、成長してどうすんの?というのもとても大事な考えだ。
僕は自分が成長したいとは思わないが、自分が何かをやりたいなーって思ってる時に知識によってスピーディーに事が進む事は多い。もしくは物事を抽象化するのが早くなり。そのViewは知識を得れば得るほどに、高度も精度も上がることになる。
また当然ながら誰かが困ったときの助けになるのも大きい。人は頭の回転によって人の頭の良し悪しを判定することが多いのだけど、それよりも役立つのは圧倒的な知識のストックと事象の結びつけである。そしてヒマを見つけて知識を使えるように磨いておく(変換しとく)常にアーカイブ化してることが重要である。

話が逸れた。
話をもとに戻すと「成長してどうする?」というのは大きなポイントだ。
学生の場合「勉強してどうする?」というのは社会的に言えば(能力的に言わず)自分のやりたいことが出来るためのパスを得ることと定義されてる。
医者になりたいだの、Googleに入りたいだの、望みのための前提条件としての勉強である。
ならば「成長すること」で一体何をしたいのか?どうなりたいのか?なにを望むのか?というのは視点として必要である。

当然ながら「成長する」ことで、良い仕事が回ってくる可能性もあれば、報酬が高くなることもある。
みんなから尊敬されたり、自分の人生に自信が持てるようになったりもするかもしれない。
ただその環境が本当に望むモノなのか?キモチヨイものなのか考える必要がある。
「成長すること」でどんな環境を作り上げるのか?そもそも自分はどうなってるのが良いのか?

僕はよく優秀な人に「優秀なんだからさ、頑張ってるけど、結果が出ない人をフォローしてあげてよ。優秀って言われるぐらいだし、それぐらい出来て初めて優秀なんじゃないの?」と言ってる。僕のコンセプトとして「頑張ってるけど成果の出ない人」は優遇しようと考えてる。ビジネスは成果である。というのは疑いない現実なんだけども、別に僕は人生を通じて現実を追い求めたいわけではない。みんなで楽しく目的を達成したいのだ。それが目的である。そのために優秀なんだったらフォローしてくれ。と言ってる。フォローしあえるチームはとても日々の生活を穏やかにすると思ってるのだけど。
・・・なお俺はその目的のために圧倒的な知識が得る必要があり、相続税の方法、一神教の限界とか、自壊する資本主義、離婚がどうとか、AV女優のその後とか、自己破産の全てなんて誰も楽しくない本をせこせこ読んでるのだ、決して仕事の手を抜いてるとか、遊んでるわけではない、大事な仕事のひとつなのである。誤解なきよう。

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