日々-自分以外の視点と子供

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今回東京出張でメシを食ってたら子供の話になって、「いかに子供が素晴らしいか」という話をされて「大変なんだけども、その中で自分の優先度が下がる幸せ」というの視点があり(勝手にオレがそう捉えて聞いてた)ふむふむと聞いていたのだけど、井上くんにはまだ分からないだろうなあ~むふふ。何て言われてたけど、僕のような犬を飼ってる人間というのは、その視点は0ではない、当然1でもないんだけど。

犬が居る環境というのは他のペットとの違いは散歩が必須という所に大きな違いがある。まず朝グズグズ寝てるわけにも行かず、体調が悪くても、おしっこぐらいは連れていかないとーとか。どんなに仕事がバタバタしてても、考えるべきことトピックだけを頭にダンクして散歩しながら考えるとか、上の写真なんかでもテーブルに何かを置き忘れて、それを食われたなら当然僕の責任である(蒸かしたジャガイモをオリーブと塩で食ってて、ジャガイモの残り)寝てていきなり吐かれたりとか、超臭いドブ(馬の糞みたいなのに)にダイブされて(なぜかダイブする)それを風呂で悶絶しながら洗ってる時とかも、まあ似たような所はある

多分子育てのほうが7倍ぐらい大変だとは思うのだけど、0と1の違いは感知できないが、0.15と1の違いは差分である。
こういうのは、男子のしんどさの7倍ぐらい女性がしんどいんだろうなーと思いながら見てて、それらの関係性とか、男性から見た子育てなんかの話も聞いてる分には楽しい。とはいえ、大変な環境というのは、ぼちぼち慣れる部分もあって、それが常態になってしまう。あれ昔どうだったっけ?みたいな。ゴハンなんかも飲みで朝までみたいなことも出来ないし、まあ色々不自由さは増える。

あともう一点、理不尽さに慣れるというのもあるかもしれない。
自分が思うことが自分のやりたいことが過不足無く出来る環境ではなく、自分の意図しないところで理不尽な事が起こるので、それに慣れることがある。でもそういう環境を楽しむのは慣れたモノで(夜散歩してたらホタルが集まる場所とか、山の怖さとか色々と感知できるのは楽しい)いきなりのトラブルにはドンドン慣れてくる。スルーワードは「まあ仕方ない」「そんなもんだろ」である。

電車で泣き叫んでる子供を見ても、ガストで発狂してる子供を見ても、親にイライラはなくなった。ただ子供の泣き声は脳の奥を刺激するので、静かに音楽プレイヤーを取り出し大きな音量で流して、何も思ってませんよーみたいな顔をしてる。あやせば何とかなるでもなく、何となくで泣く(眠いから泣く、疲れすぎて泣く)ので、そこでもっとあやせとか、もっと何とかしろはあまりに可哀想(でも居酒屋の爆音泣き声は辛すぎて、悩ましいところだが)に思う、見てるとこんなにあやしても泣き止まないのね。とビックリで、それに困惑してるお母さんと見てるととても不憫に思う。

日曜らしくサラリとした文章を書こうとしたが、ガブガブテキストを起こしてしまった。ごフフ。
にしても家荒れてるなあ。仕事の前に、片付けすっかなー。


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