日々-通勤電車の楽しさ

最近通勤電車のルートを京阪電車に固定化させまして、何というか通勤が楽しい。
京阪に行くまでの道のりは結構時間が掛かってしまうのだけど、それだけの理由々あり。

無題

大きな理由はこれ。
京阪の車両は本当に気持ちが良い。コンフォートサルーン、エレガントサルーンの名に恥じない出来。
それでいてJRの半額並みの料金設定。
居心地が良くて、リーズナブルで、尚且つ人も少ないなんて、コスパどころの話じゃねー。
毎日の通勤が観光気分。昼間なんて別に人なんて乗って来ないので(大阪に入ると乗ってくる)出町柳で昼飯を買って(おにぎり屋のおにぎりとだし巻きとか)足をバタバタさせながら食べる。旨い!嗚呼旨い!

もともと新幹線も音楽聞きながら景色を見てるだけでHAPPYなので(だけど忙しいから仕事してるけど)京阪は、わりと景色も綺麗なので、仕事に疲れたら景色を見てるだけで良い。音楽も何を聞こうかなーというぐらいで。本も快適に読めるし。昨日はホロヴィッツのプーランクを聞きながら「食べる西洋美術」を読むという優雅さ。定年退職して15年目春なみの優雅な昼下がりであります。そして飽きたら窓側で横になってれば寝れるしで言う事はない。

とはいえ、さすがの京阪でも。全てがオールHAPPYということなんてありえないのであります。

keihann
我々ケイハンヤー(京阪を乗る人)を震え上がらせるのが、シティーコミューターであります。
おにぎりと惣菜を買ってウキウキしながら出町の列車に降りると、通称「緑(MI・DO・RI)」の列車がホームに鎮座。
シティーコミューター。街へ行くための列車。それが快適である理由などない。列車とは移動するための道具であり、手段である。大量生産型の資本主義社会に置いて、電車とは大量に人員を輸送し、インフラとしての最大効率化を目指すモノ。それが緑の宿命なのだ。彼は多分予想するに団塊世代、全共闘時代に生まれたのではあるまいか。どことなくこだわりが強そうな言い出したら話を聞かないような面構えに見える。

そして資資本主義的ニヒリズムに満ちた「緑(MI・DO・RI)」の圧倒的な存在感の前で、おにぎりをカバンにしまう俺。何を浮かれてたんだろう。電車でメシなんて迷惑だろ?そもそも、たがが電車じゃないか。
気づけば自分のワクワクやウキウキに接続し得るコネクタは閉じてしまっている。いや、はじめからそんなコネクタは無かったのかもしれないな。なぜなら俺は今から仕事なんだから。
そして静かにシティーコミューターのシートに腰を降ろす俺。あー何だか最近腰痛気味かもしれない。そういえばガス元栓閉じたかな?なんで俺は昔、あんなことをしてしまったのだろう。嫌なことばかりが頭によぎる。

僕からアナタに言いたいことはただひとつだ。
シティーコミューター、彼の名を聞いて、何とも思わないケイハンヤー(京阪を乗る人)は居ないということなのだ。
出来れば彼には近づかない方がいい。Stay away from him.ただ彼は音もなく、アナタの前に滑りこんでくる。鈍い緑が見えたら、彼女を置いてでも走って逃げろ。俺が忠告出来るのはそれぐらいだ。


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