日々-なぜ自分の話が分かりにくいのか

昨日のエントリーで「時間に追われて書いたエントリーを後で見ると落ち込む」と書きましたが、実際に再読して落ち込んだのか?と言われると、思いっきり落ち込んだ、途中の移動時間で携帯からどんなエントリーだったっけ?と読み返したところ、ふぐぐ。と思いましたが携帯から記事削除するのは面倒で、諦め。
とはいえあまりにあれなので、先ほど昨日のエントリーの問いと解いの関連性を明確にし、何がどこに修飾してるのかを分かりやすく移動し、不要な記述を削除し、何とかかんとかして、それなりの体裁を。

こう自分の文章(や自分の話す言葉)の分かりにくさがどこにあるのか?を改めて考えた時に、そういうテクニカルな部分もまあそうなんだけど、一番は
・一般的に誰が何を知らないのか、よくわからない。
→プラス僕の知ってることぐらいみんな知ってるだろう。
→プラス自分が考えたことぐらいみんな考えてるだろう。
という所にあるような気がする。

自分が書いてる時は自分で文章を読み直しても意味は分かる。なぜならその時自分は、その文章に応じてその文章における思考のプロセスを経て文章を書いてるわけで、意味はビシっと分かる。ただその思考をたどってない人からすると、よくわからんの文章に見える。前提がどれ?みたいな感じで。
なので自分でも時間を空けて自分の文章を再読すると、一体なにが言いたいのだ?という感じであります。自分の後日文章の場合、書いてる時の思考のプロセスが排除されてるものだから(そして俺もどんな思考をしたのか忘れてることも多く)その思考が辿ったであろう道を予想しつつ、補完しつつ読み進める必要があり、なかなかに骨が折れる読解となる。
自分でも難解な事も多いので、他の人なら尚更だと予想。

普通にエントリーを書いてる時は、もう少し時間があるので、わかりやすさを心がけているのだけども、まあ時間が無いとあんなものであります。
そして多分誰かに対して話す言葉もあんな感じなんだろうなと思う。
文章であれば「推敲する時間を取った文章を書こう」かなと思うが、人への説明はどうすれば良いか。
分かりにくい人というレッテルで生きるか、5W1Hぐらいからスタートするか。もう少し検討してみる。とはいえ説明するために冗長になるのもイヤであり。悩ましいところだ。


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