雑感-テクノロジーの進化はどこまで必要か?

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子供のころ読んだドラえもんぐらいから喚起されてきたお題ではありますが、この10年ぐらいのテクノロジーの進化で僕らの生活はどれほど良くなったのかなと。
とはいえ、今更テクノロジーの進化の不要性を叫ぶなんて、ナイアガラの滝とか、巨大扇風機の前で「資本主義反対!!!!」とか「恋愛結婚禁止!!!!」を叫ぶみたいなモノで、誰にも届かず、まあどこにも辿り着く話じゃないというのは重々承知である。

でもさ先日のニュースで「1分でスマホが充電できるバッテリーをスタンフォード大学が開発」というニュースがあり、これには省電力の観点やら医療用機器に使えるなどの用途もあるとは思うのだが、自分としては、そんなことになったらイヤだなあと。
スマホの充電が切れて、ようやくスマホから開放される瞬間、たまにどっかで充電が切れてくれる有り難み。スマホの充電が切れる画面を見ると、永久にお休みな。もう二度と立ち上がらないでくれ。みたいな感情を抱くことってあって、もうみんなが選ぶニュースとかSNSとか要らない。いつ開いても神経症的にしつこく、眠らないタイムラインを見てると、心底ウンザリしてくる事がある。見なければ良いということなんだけど、まあ見ないとなあ。という感じだ(スマホから仕事の情報は全部確認出来る)

今までのテクノロジーの進化の定方向といえば、
・もっとハイパワーに
・もっとスピーディーに
・もっと低コストで

という進化を元に、
・あらゆるモノがデータに変換する
・あらゆるデータがどこでも取り出し可能になる

という拡大をし、それにより我々は「時短」「便利」「ローコスト」などを享受したきたのがこの10年だろう。
ただそれのデメリットをこう考えてみるといろいろある。
今気づけば、今までのいくつかの選択は減ってしまった。
音楽はプレイリストからシャッフルになってしまった。
まだ自分の読書ライフにテクノロジーを介在させていないのだが、以前友人にKindleを借りて使ってみて、これはちょっと本を持つのメリットよりもテクノロジーが勝ちそうだなという印象をもった。
こうなると、多分だけど本は捨てる選択肢はなくなるはずだ。この本を持っていようかなあーという選択は人生に置いて、大切な決断だったのだが、置き場所に困らない以上、残すことになる。

でも、こんな風に便利になって、効率性が高まった先、利便性を突き詰めた先に何があるんだろう。とふと思ったりする。世のテクノロジーの進化はまだまだ止まらないと思うのだけど、テクノロジーを使うこちらの脳のスペックは変わらないので、その分なにか考える時間でも増えるのだろうか。
その進化によって、我々はどんな選択が残って、何を感じる必要があるのか。そしてそれはHAPPYなのか。

そんなことを考えてると、ビジネス書しか読まないビジネスマンなんかを想起しちゃう。彼らも定方向の進化形態である。
小説とか自然科学の本とかは、時間のムダ。読むはビジネス書のみ。右手にフレームワークで左手に論理である。それらに掛かれば無駄は削ぎ落とされ、重複は削除され、情感は制御される。そこから出てくるモノは決まった形の決まったアウトプットだ。
そういうアウトプットって、ひとつひとつの物事を良く見てるし、納得感もあるのだけど、それだけじゃないだろう。みたいな感慨を抱くことは多い。
平坦で奥行きが無いとまでは言わないけど、どっかで聞いたなあ。みたいな既視感。長くアウトプットを見続けると、もうそれはいいから部屋に帰ってゆっくり風呂でも入りたいなあという感じがしたりする。

ただ最近はテクノロジーを使った楽しいサービスも増えているのを紹介したい。
例えばairbnbやら、クラウドワークスとか、僕好みのサービスがいくつか出てきたのでそれは純粋に嬉しいし、サービスの手触りとして悪くないように思う。
まだまだ問題だらけだけども、便利って方向の進化じゃなくて、何か新しい体験みたいな感じで可能性を感じる。

ゲームもマッチョな進化の先に何にも無かったように(MAGがあったのは忘れないが。あれはマッチョイズムが無いと出来上がらないゲームだ)出来れば定方向の進化以外の効率性を度外視した、全然便利じゃないけど、何か楽しいサービスが色々生まれると嬉しい。そんな未来を望みたいなあという。自分もそんな未来に寄与したいなあ。誰も便利にならないけど、何か楽しいサービス作り。ついつい便利なサービスを作ろうとしちゃうんだけどなあ。

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