日々-文章を書くこと

昨日のエントリーでヒマがあればブログを書きたいと書いたのだけど、文章を書くというのは良いエクササイズに思う。

日々ビジネスの世界で生きてて、毎日ビジネスライクなやり取りが続く。何度も何度も繰り返し続く。大体の構造も理屈は似てる。そういうビジネス的な枠組みから思考を少しでも外に置いておきたいからというのが文章を書く理由だ。
自分が資本主義のシステムの中で貨幣を媒介にした交換システムだけで毎日を過ごすと、意識も思考もどんどんプラクティカルになる、効率的になり、合理的になる。
その思考は思考でとても大切だし、もっと研ぎ澄まさねばというところがあるが、ただそれだけの一本槍な日々が続くと、それはそれで単調だし、自分としても飽きる。

なんというかもっとどうしようもない文章を書きたい。ベトナムに行ったこと無いけどベトナム旅行記を買いたり、読んだことないけど火花の読書感想文とか書きたい。初対面で童貞かどうかを当てる3つの質問とか書きたい。歯医者に行って歯科衛生士に舐められない3つの方法とか書きたい。そういう適当な文章を書いてるとプラクティカルになりつつある自分の意識を自分の地べたに結ぶことが出来る。

その文章は、できるだけ感覚的でフィジカルな文章がいいと思う。
腹が立ったら腹が立ったことを(お客さんが見てるかもなんて気にしない)嬉しかったのならば嬉しかったことを(優れたリーダー論なんてどうでもいい)、悲しかったら悲しいことを書く(ウィークポイントぐらい開けっぴろげでOK)。
そして安易に一般論化はしない、何かにカテゴライズしない、出来るだけ相対化させていく。まとめずに、決めつけずに、整理しない。

そうすることで意識の安定の重しになるし、自分の意識がクリアになる。
これが僕の文章を書く理由であり、休みに大量の時間をどっぷどっぷとテキスト作成に勤しむ理由に思う。
それが自分の休息となり、自分の安定となる。うまくいけば(うまくいかないことがほとんどだけど)。

そしていつも文章を書いた時は書き残しも書き過ぎもないように思うが。あとあと読むと、センチメンタルに寄り過ぎたり、文章がダメすげて落胆するのだけど、そういう当時の心持ちに気付けるのも文章を書くメリットである。ノッてる時はノッてる文章になるし、心が冷えてる時は冷えた文章になる。それを読み返すと当時の心の様子がありありと思い出される。
毎日のエクササイズとして。岩盤浴やヨガや座禅や写経でも、エクササイズだと思われる行為のひとつにテキストエディタに感情を直書きも入れても欲しい。とても有効な回復手段に思うのだけど。

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