雑感−感動しない毎日とそれに抗う日々

ピー

年齢を重ねることが辛いことのひとつは、毎日感動することが減ってしまうことだ。

例えば昔に感動した作品を再読したときでも、
以前は強く感動したようなモノでもも、あれ?これどこで感じたんだろう?みたいなことが増える。

自分が好きだったジャンルの同じような作品を見ても、
結局は過去の焼きましだよな。とか。
多数の作品を見た経験によって、何のフォーマットとか何を下敷きにしているのかとか透けて見えてしまうことが増える。
そして気づけば批評家気取りみたいなスタンスになってしまい、楽しむより先に批評してしまう。
僕は可能なら、何を見ても素直に感動できる人になりたい。

とはいえ。そうは言っても、毎日同じものを摂取し、同じような音楽を聞いて、同じような本を読んでいる。
所詮毎日が同じことの繰り返しであり、昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日である。ってなモンであります。

自分の感受性は高くないので、強制的に毎日に変化をつくっている。

そのひとつの例が「趣味は引っ越し」ってのも、強引に変化をつくる方法である。

引っ越しすることで、いつもの通勤路が一新され、よく行く飲み屋を変更し、いつもの生活ルーティンをアップデートする必要が生じる。
朝の歩くルートが新しくなることで、街で行き交う人達の顔や服装が変わり、帰り道に寄る飲み屋なども代替えが必要とされる。
そういう変更のあれこれは面倒くさいことばかりなんだけども、そんな風に強制的に毎日に変化をつけることで色んな新しいモノをまた摂取し、毎日の考える幅や種類が変わり、いつもの違う思考プロセスを経て、自分の好奇心が刺激されているのを実感する。

これは音楽もそうで、食べ物もそうで、本もそうだ。

ただ一番大事なのは、仕事の新しい刺激に思う。新しい刺激を得るために、新しいISSUEに取り組んで、みんなで難しい問いにチャレンジしたい。何度もやった仕事でも、もう少し良くするには(それも無理なら、少しでも早くやるには)どうすれば良いのか考えたい。
これからも感動が経るには抗いつづけていたいと思う日々であります。

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