雑感-多くの引っ越しで何が変わったのか

引っ越しが趣味と言い始めてから多くの場所に引っ越してきたのだけども、そういえば、いつからそんなこと言い出したのか考えてみたら、
たしか大前研一さんの人間が変わる方法は「時間配分を変える」「住む場所を変える」「付き合う人を変える」という3つだという説を変な覚え方をした可能性が高いようだ(その名言の続きで「一番効果が無いのは、俺は変わる!という決意だと続く)

その説を実行してみ、自分は変わったのか?と考えてみたのだけど、比較も出来ないので、判断するに、とても難しい。

そういえば書籍のホモ・サピエンス全史では農耕民と狩猟採集民を比較し、いかに農耕という生活が悲劇を生み、採集という生活が豊かな生活だったのかを説明した章がある。そこに書かれているのは、ホモ・サピエンスでは農耕をすることで安楽に暮らせる新しい時代になる思ったが実際にはそうはならず、手に入る食糧を増やすことはできたが、食糧の増加は、人口爆発(生活の質の低下)と飽食のエリート層の誕生につながったと説き、平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた、そして定住することでまわりとの陣地の奪い合いのリスクと、定住場所で来月の食料がきちんと確保できるかという不安が続く生活が始まることになった。と結ばれる。

自分の変化は説明しにくいが、自分の引っ越しの目的が、変わることになく、引っ越しの利便性や快適性じゃなくて、常に移動を続けることによる、どこに行っても心理的な、ここで何か楽しいものを探そうという、前のめり感みたいなものはあるかもしれない。
定住するメリットももちろんあるはずで、それは余計なことを考えなくても良い環境、どこに何があるのかわかる環境はとても良いはずで、また好きな住居に長く住める(賃貸は良い物件が本当に少ない)メリットは大きいはずだ。

どちらが良いのか?と言われるととても難しい。

ただ自身の引っ越しは、そんな楽しみが目的なので、引っ越しルールとして同じ環境には引っ越しをしないことにしている。

そんな感じなので、今は長屋住まいである。壁が隣と共有である。エコ!隣の人の鼻歌が聞こえてくる環境であり、隣の男性は、Aiko好きというのが知れる感じだ。
ただこういう環境の生活を続けると、変化には強くなっていく。どんな環境でも生けていけるな。という強い確信が自分に生まれる。
家に虫が出ようと、冷暖房が無くとも、外の扉が閉まらなくても、風呂から上がってうたた寝したら髪が凍っていたり、天井の雨漏りで全部の書籍がダメになっても、まあいっか。の心境になる。
まわりの環境にキモチが影響されない人生だと人生イージーモードである。まあ図書館さえ近くにあれば、ぼちぼちハッピーみたいな感じになる。

ただ趣味は捗ると書いててあれだけど、関西ではそろそろ引っ越し場所が見つからない問題がある。大体の環境に住んだような気もする。
私的には海外に住みたいなあみたいなキモチもジワジワ出てきてるところで、まあとりあえずは次の城の前に住むという環境を楽しみつつ、趣味が継続出来るか探る予定だ。
城の付近に住むことで自分の思考パターンへの影響はあるのだろうか!?さて!

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