雑感-過酷な人生を少しでも楽に生きる

まずは命題。
人生とはタフである。
人生とは過酷である。
人生とはタフである。
人生とは過酷である。
人生とは…..

みなさんの人生では「タフ」と「過酷」という尺度は自分の人生に命題になりえないだろうか。
いや、俺の人生は楽でヌルくて緩くて、全てがイージーで全てが思い通りあるという人が居るかもしれないが(石油王の人生は楽かと思ったけど、石油王は石油王で嫉妬とか色々大変なのかもしれない)
たぶん多くの人にとって、人生は過酷で、タフなのではないだろうか。
僕にとってももちろんタフだ。こうも人生ってタフで過酷なのかと毎日びっくりしている。
自分のタフな過酷な状況というのは自分がスタートアップの経営者という文脈だけじゃなくて、自分の人生そのものがタフであり過酷なハードモードに設定されてるように思う。
こんなに色々起こるっけ?ってぐらいに毎日、毎時間にいろいろ起こる。
このモードを例えるに朝起きたら、ミスしたらヒステリーを起こすボブ・サップが俺の頭の上でたけしの挑戦状をやってるみたいな状況である。やばい。にげろ。

自分のハードモードの人生を生きるに当たり自分のモットーはひとつ。
「ハードな環境よりも先に動け、先に変化せよ」である。

常に動く、常に変化する。それだけを人生のモットーにしてきた。
ダーウィンは言ってないとされているけど、それでもみんな大好きな名言の「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」とするみたいな感じだ。

ハードなモードにトラブルはつきものなんだけども、そのトラブルがあるたびに尻尾を切られた豚みたいに騒ぎたくもないし、できるだけクールに実際的にトラブルを処理したい。
変化にあわせて眼の前の事象に対して実際的にプラクティカルに処理するために変化でキモチを揺らさない。
そのためには常に自分を動かしておく、トラブルが起こってから動くんじゃなくて、トラブルの前に体を動かしておく、往年の中日の名ショートの井端弘和みたいにいつ打球が来ても良いように、踵を浮かして、前かがみ気味にお尻をプリっと突きだして準備しておく(オジー・スミスと書こうかと思ったけど、それは言い過ぎなので辞めた。うちも謙遜でけたよー)

具体的にはどう変化に準備するんですか?と問われたら、それはインプットの量と質を変えることだ。
野球で言うなら、様々な弾道の大量のノックを浴びる。同じ弾道のノックを多少受けても何も変わらない。
それは動物園で飼われている動物や、家で引きこもっている人のインプットが毎日同じルーティンから別の環境に対処ができなくなるように、
インプットの量と質が均一化すると、変化できなくなる。

前振りが長くなったがさ、自分のインプットが固定されないように常に引っ越しをしてインプットを変えてきたが、さすがに関西でそろそろ引っ越し場所もなくなってきたのと、私的な理由もあって環境を思い切って変える必要があり、39歳にして初のシェアハウスに住んでみた。
はっきり言って39歳でシェアハウスはなかなかに痛い。

そして結果シェアによってインプットの量と質が変わったのか?
結論から言おう。
これは、めちゃくちゃ変わった。
変化に強くなったのか?と問われると、YESしかない。

シェアハウスで何がどう変わったのか?
まずコミュニケーションのあり方が代わり、人生に対する問題の捉え方が変わった。その変化によって人生が少しだけタフで過酷じゃなくなったように感じている。
そうか、こういう変化の仕方があるのか?こう視界が開けるのか?という思いである。

ちとエントリーが長くなったので、詳細の内容は別エントリーに続けよう。(書いたらリンク張るよ)

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