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株式会社きーざんきーざんにて企画をしております。あと色んな会社さんのふぉろーあっぷをしております。

日々−2018年上司が部下に言われて傷ついた言葉best3

上司として部下にいわれたくない事はいくつもある。
最近言われた部下に言われたくなかったことをまとめる。
ちなみに俺は代表である。小さな会社であるが代表という役職で職務を遂行している。

そのような環境で部下に言われた言われたくなかったことの、第三位は
「今日の井上さんのコーデは10点満点の4点」
これは飲み会の帰り道に言われて、今日一日仕事がんばって、いろんな人と会って、最後にみんなで楽しく飲んだ帰り道に言われる。後は家に帰って寝るだけのタイミングでの一言である。
もう今日という1日をやり直すことはできない後戻り不可の覆盆返らず事案である。できたら言わないで欲しかった・・・。と思う上司は俺だけではないはずだ。
ただ俺も悔しかったので部下に「5点寄りの4?」と聞いたところ「4点寄りの4点っすね」とのこと。「なら4点じゃん」「そうなんす。4点なんす」と部下。

第二位は「井上さんのFacebookて、なんであんなに友達少ないんっすか?」が栄えある2位。
友達数が少ない理由は誰の目にも明らかだが、あえて代表に質問してみるという挑戦的な視座、純粋な顔して聞けば何事も許されるというマインドが透けて見えて問いかけである。
帝愛グループ幹部の利根川幸雄であればFU・・で始まり、ガキが!で終わる、あの名言が出るレベルの質問である。
ただそれに反応しても大人げない。俺はさもありなんな顔して「Facebook始めたの最近やからなあ」と言ったが、もう4年ぐらいやってる。
そして俺は外に出ることも多い役職である。
ええっとここで皆さん勘違いしてらっしゃるようなので一言言っておくと、
俺はリアルに会ったこと無い人でも全然Facebookの友達申請OK派なので、申請に躊躇とか要らないかんね?気軽に申請しちゃっていいかんね?

第一位は「井上さんの顔って学校のクラス毎に一人は居そうな顔ですね」である。
あなたの顔は凡庸であり、汎用であり、ザクであり、サイバイマンであり、モブであるという意を短いセンテンスに濃縮に込めて頂いた一言を1位に。
これはちょっと動揺してしまい「え?」ってリアクションをしてしまうという狼狽っぷり。
部下は「え?」に対し部下は小さく首を振る。医者が最善を尽くしたのですが残念です・・と遺族に伝えるように。

ここまで部下から言われたくなかった一言集を集めて、ひとつの仮説が浮かぶ。
もしかすると弊社の部下たちは俺が代表であることを認識していない可能性がある。なぜなら俺は正式に本人たちの前で「俺が代表です」と伝えたことはないのだ。
彼らに上記を言われたのは飲み会のタイミングだったりするので、俺のことをバスロケしない蛭子さんかなんかと思っているのかもしれない。
「俺は漫画が書けない蛭子さんじゃないんだ。似たように見えるかもしれないけれど、そうじゃない。あれは俺じゃないんだ」

日々−久しぶりのブログ更新に何を書くのか問題

久しぶりのブログ更新において、どうしても何を書こうかな?みたいなキモチになり久しぶりのブログ更新はとても億劫なモノになる。何を書くのか気にせずに「いえーい、昨日焼き肉でカルビ3人前食べた!」みたいなエントリーの更新もアリとすれば、久しぶりの更新でも特に心理的負担は少ないかもしれない。
なんだったらそういうエントリーって会社の代表が書くブログとして新たな境地かもしれない。いわゆる代表者ブログで「食べた焼肉の種別と皿数を伝える」というエントリー中心。

あとそんな更新をするなら、もう一つ大きなメリットがある。それは「ヲチ」という大阪人を縛るあのフォーマットからの脱却ができることだ。
大阪人の会話において「起承転結」か「ヲチ」か「だれかの悪口」以外を認めない通天閣メンタリティからの脱却。
僕のような大阪府民の近くに生を受けただけで、この執拗な追求に心からウンザリしていた。

とはいえ、この何を食ったのかだけをエントリー化するという試みは失敗に終わるのは簡単に想像がつく。なぜなら「ヲチ」は回避できないからだ。「ヲチ」は「ヲチ」であり続ける。「ヲチ」は見えないとしてもあれば必ず存在するのである。
「ヲチ」は逆説の接続詞を用い、自分の姿が世に表出されるのを待っている。
表出のための手段も基本的には逆説である。「ヲチ」は「順接」を嫌う。もちろん「対比」や「並列」や「説明」も望まない。「ヲチ」を掘り出すのは逆説がベターなのだ。

たとえば、
「昨日焼き肉でカルビ3人前食べた、だからお腹が一杯だわ」という順接を一番に嫌う。
「昨日焼き肉でカルビ3人前食べた、なぜならお腹が空いてたから」という説明も意味不明である。
「昨日焼き肉でカルビを食べたか?それともハラミか?」と併設にすると、ただのクイズである。

もしくは「ヲチ」を表出するに使えるは否定である。
「昨日焼き肉でカルビ3人前食べてない」
へー。食べてないんだ?ってなる。そこからジワジワと「ヲチ」の全容があらわになる。黒々しい「ヲチ」のお出ましだ。ぎゃーとか、うごおとか大きめの鳴き声が似合う特大の「ヲチ」の立ち上がりが期待できる出だしである。プリンスで言えばパープル・レインである。あの弦の1音を聞くだけで、これから展開される音楽的構造の大きさにワクワクしちゃうのと同じだ。
もしくは松方弘樹のマグロ釣りと同じ・・・と言おうとしたが、それは違うな。撤回する。

これは多分ピカソが「赤を使わないとしても赤が必然であれば赤はそこに存在する」と言ったのと同じことが「ヲチ」にも言えるのであるまいか。
「ヲチ」を書かないとしても、ヲチが必要であれば、ヲチはそこに現れる」ということが言える。

そして僕は皆さんからの、この文章の「ヲチ」はどこに現れるのか?今のところ片鱗すら見えないが?という心の声は僕にもしっかりと聞こえている。
もちろん結論はSIMPLEだ。この文章にヲチは必然ではなかった。存在しない。今回は表出なし。以上だ以上!!今日は解散!解散!

日々−非エンジニアがエンジニアイベントMobile Act OSAKA #2に参加してみた結果

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※写真はただのチームイベントの写真でございまして、本内容とは関係ありません。まあ写真撮ってないのね。

結果、とても楽しかったよ!
と結論だけ書くと、幼稚園児の遠足の感想文のようになってしまうので、
もう少し具体的に非エンジニアはどのような点を考慮すればエンジニアイベントを楽しめるのかというの点を追記したい。

まずどのようなイベントに参加したのか。
フェンリル社が開催するモバイルアプリ開発の勉強会への参加であります。

ただその前に非エンジニアがイベントで感じた疑問を以下にまとめる。

登壇の発表内容を聞いて思ったこと

・すげー。。抽象的な話がなくて、ほぼ具体的な話。
→もちろん僕が内容がわからないのは自明でどうでもいいんですが、登壇の内容が問題クリティカルな問題解決な具体的な話しか出ない。
ライトニングなトークだから、そういうもんなのか
具体と抽象の橋渡しの回数の繰り返しこそが聴衆の理解である。という自分の感覚からするとびっくらする。

・今回はモバイルアプリのLT(ライトニングトーク)という企画だと、風呂敷が大きくならないのか、喋り手の興味と聞き手の興味が合致は無いか勝手に心配。
なんというか「早めに始める相続税対策」の講習に行って、社団法人の作り方を教えられるみたいな。例が適当じゃないか。
顧客体験命な自分としては、聴衆アンケートにて理解度を取りたくなる。

・なおLT後の懇親会はフェンリル社の食材提供なり!
そして金麦でもなく、スーパードライでもなく、プレモルな件からの、寿司とサンドイッチの流れであります。
名刺に負けないゴージャスさ。感謝!

では本題の面白かった点を。
全体的に登壇内容を聞いても、非エンジニアに技術的な理解が出来るわけなく、
それでも好奇心の源泉として、彼らの思考パターンへの興味である。何を気にして、何を問題として捉え、どのように解決するのか考えるのか。
もっと言えば、問題提起と問題解決の提案方法であり、提案の仕方であり、トレードオフの吸収の仕方である。
エンジニアの人たちの視点が興味である。
効率的なテスト開発、他アプリの階層を見る方法であったり(ちなみにpreconditionとassertの違いはビタイチ分からず。−0だけエラーが出ない?ぐらいの理解)という点からいかにスピーディーに開発するのか?という点からの多様な視点のアプローチに見えた。
具体的なところがなかなか理解できず、自分としては具体的な話から、勝手解釈な強引な抽象化も出来ず、もう少し基礎的な知識があればと悔やむ限り。

ただ一番彼らの視点が分かるは勉強会より終わってからの懇親会であり、図々しくも参加させていただいた二次会で色々と理解できたところも多い。

僕が非エンジニアから見た優秀なエンジニアの定義とは?とか聞かれると、
「先読みしてくれる」とか「これを入れたら、どこに影響ある?」みたいな質問に即応えてくれるとか「将来の拡張可能性を一緒に考えてくれる」という、僕はヌルいことを考えてしまうのだけど、正直なところ、そんなことはどうでも良くて、一番は「顧客のサービス体験」の最大化にコミットが出来るかどうかが優秀なエンジニアの定義であって、その軸からの効率性であり、スピーディーな開発体制なんだろうなと思う。
となると僕の優秀なエンジニアの定義とか瑣末なことで、その体験を最大化するために、経営者としての僕の役目は、いかにエンジニアがそこに集中出来る環境を提供出来るかである。
RPGでも大体最後に強いのは魔法使いクラスタであり、戦士クラスタは壁役である。壁がやることは決まっている。

彼らと一緒にチームを立ち上げ、チームでサービスを作るうえで
エンジニアの人は、何がイヤで、何がムカついて、何にテンションが下がるのか。
何が好きで、どんなサービスを作りたくで、どのように開発したいのか?という点を知る必要がある。
設計の仕方、言語の選択、開発環境。労働環境、それら全てをいかに組み立てるか。
そういうことを知るために懇親会に参加し、色々と質問させて頂き、とても有意義な時間だった。
良い環境を作りたいとつくづく思うし、優秀なエンジニアとサービスを良くするために切磋琢磨したい。

そんな非エンジニアの僕のささやかな興味と独特な好奇心に懇親会で応えてくれた人に感謝を!
図々しくも二次会にまで参加させていただきまして、ありがとうございます!

名前を書いて宜しいのかな。はてなの中の人や、フェンリルの中の人や、IR研究のあの人や、他多数のエンジニアの皆さんに感謝。
また来月弊社もフェンリルさんとクックビズさんにてさくらインターネットさんにて開発イベントに寄せていただく予定にしておりまして、今後とも色々とお話させてください。
何かご一緒にワーク出来ても、出来なくても、互いのシナプスでもニューロンでも何かのを刺激しあえるととても嬉しい。
というわけで、フェンリル様にメシをごちそう様でした!お礼のエントリーまで。

日々−おもしろきこともなき飲みをおもしろく

223ー

孫聞きではあるが、ウディー・アレンのアニー・ホールという映画で
「人生は、ひどいか、悲惨か。そのふたつのうちどちらかだ」とセリフがあるという。

まあそういわれたら、そうかもなあ。と思わないこともないけれど
僕としてはひどいながらも、悲惨じゃなかった事が多い人生を生きたい。

そこで悲惨になりがちなモノの代表例が会社飲み会である。
誰か1人が(大体先輩)話し始めて、愚痴のような、説教のような話を聞く時間というのがまさに悲惨な時間だ。
そして、気づけば前回も聞いたような話が展開され、そして前回と同じ結論がそこに展開され、提示される。
そこに「自慢話」と「過去の苦労」というエッセンスを投下される。
これを悲惨と言わずに、何を悲惨という。

この悲惨さに抗うために、僕は飲み会の開催回数を制限し(頻度が多くなると同じ話になるから)、飲み会希望者だけを限定し、前回の座組みと違うメンツで構成して、説教めいたことと自慢めいたことを(たぶん)封殺してきた。

ただ悲惨さの芽を摘んでも「悲惨では無い飲み会」にはならない。
NOをいくつ並べてもYESにはならないように。苦手な異性の苦手の感じてしまう箇所を修正しても相手を好きにならないように、必要なのは「悲惨の理由」ではなく「ひどくない飲み」の定義である。

まずひどくない飲みの定義ひとつめは、
・相手の喋りたい話をする
である。

例えば「成長意欲の高い若手があつまる会」なら
「成長の定義」
だったり、
「婚活」しているメンバーなら
「狙うべき異性」みたいなことを話していれば、仮説提案力の能力の高低で盛り上がりは変動する。

ふたつめは、
・予定調和でまとめない。

ここらは賛否分かれるが、
ひどくないどころか、実りも欲しいという欲もあり、いくつかのリスクを取って、場や内面に踏み込みつつ、そして誰も傷つけないように注意しないように、コードギリギリにスリルのあるトークを展開したい。もちろん踏み込みすぎて、生々しい話になることもあって、そういう後悔は翌日かなりすることになるが、それよりも欲するのが実りである。

そのふたつが目下ひどくない飲みのための取り組みである。
「お題」の精度と、「仮説」の広がりがコツで、今後もそこにはチャレンジしていきたい。

ここからは余談だが、
日常的にそういうチャレンジしていたら、先日、後輩と先輩の何人かから、「井上さんって話の主導権取りたがりですよね」と。言われる。
「場のグリップ握りたい人っすよねー」「井上CEOから井上グリッパーに変えたらどうっすかね?」と言われる

その言われようは素人MCである。
「この話題に、○○さん、何か言いたいエピソードありましたよね?」って、アメトークならぬ、イノトークである。
「○○さん、なんかないの?△△やってて腹立つ瞬間とか?」
素人MC・・・。それは細かいことに気づかない雨上がり宮迫であり、毒舌のない有吉であり、ギターの無いフットボール後藤である。
もしくはオタクじゃない南海キャンディーズの山里であり、顔の小さいトミーズ雅である。

飲みは悲惨ではないが、他者評価が思いっきり悲惨という結末を迎えそうだがチャレンジの歩みは止めないつもりだ。
チャレンジの軌跡を見たい人は5000円札握りしめて、お気軽に井上までお問い合わせください。

雑感−毎日の変化と感動

ピー

年齢を重ねることが辛いことのひとつは、毎日感動することが減ってしまうことだ。
例えば何か作品を見ているときも、
以前は強く感動したようなモノでもも、あれ?これどこで感じたんだろう?みたいなことが増える。
自分が好きだったジャンルの同じような作品を見ても、
結局は過去の焼きましだよな。とか。
多数の作品を見た経験によって、何のフォーマットとか何を下敷きにしているのかとか透けて見えてしまうことが増える。
そして気づけば批評家気取りみたいなスタンスになってしまい、楽しむより先に批評してしまう。
僕は可能なら、そういう年の重ね方を避けていきたい。
出来るだけ何を見ても素直に感動したい。

とはいえ。そうは言っても、毎日同じものを摂取し、同じような音楽を聞いて、同じような本を読んでいる。
所詮毎日が同じことの繰り返しであり、昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日である。ってなモンだ。
だから強制的に毎日に変化をつくっている。

そのひとつの例が、
前回のエントリーで書いた「趣味は引っ越し」ってのも、強引に変化をつくる方法である。
引っ越しすることで、いつもの通勤路が一新され、よく行く飲み屋を変更し、いつもの生活ルーティンをアップデートする必要が生じる。
朝の歩くルートが新しくなることで、街で行き交う人達の顔や服装が変わり、帰り道に寄る飲み屋なども代替えが必要とされる。
そういう変更のあれこれは面倒くさいことばかりなんだけども、そんな風に強制的に毎日に変化をつけることで色んな新しいモノをまた摂取し、毎日の考える幅や種類が変わり、いつもの違う思考プロセスを経て、自分の好奇心が刺激されているのを実感する。

これは全てにおいて、そのように強制的に変化をつけるようにしている。
僕の場合、飲みでも同じメンバーで毎度飲むことは少ない(会社メンバーでも変わることが多い)
いつもと違う座組みで、誰か新しいメンバーが入り、これならどう展開になるかわからないな。みたいな飲み会を常に探す。
もちろんそういう場合は会話の内容も踏み込みが必要な話題も多く、どうしてもリスクを取った会話をする必要もあって、そのリスクをうまく吸収できず、よく会話の展開に失敗しているけれど、いつも何らかのチャレンジはひとりでやっている。

これは音楽もそうで、食べ物もそうで、本もそうだ。
音楽ならSpotifyとかでアイスランドの人気チャートとか聞いて、気に入った音楽を深掘りし、食べ物も大将のおまかせみたいなモノを頼むことが多い、本であれば本屋で自分が知らない領域の本棚の本をいくつか買ったりするようにしている。最近読んだ本は「母という病」と「小川洋子短編集」だった。

そして最大の刺激はもちろん仕事だ。
毎日やったことない仕事や考えたことがない課題に囲まれて、それらのタスクをひとつ取って、処理してとやっていると脳が新たな刺激で活性していると感じる。
1分1秒成果を出さねばという思いと、長期的なレンジでモノを考える必要性のバランスを取り、
ひとつひとつのタスクで自分がやるべきかを考え、そして好奇心のわく仕事と息抜き的な仕事を交互にやり、
それらを通じて優秀なスタッフたちと一緒に仕事を進める。
それらは単純な刺激だけじゃなく、そういう連続した行いを繰り返すと、今まで知らなかった感動を生むことがある。
年をとることではじめて感じる感動。
加齢による感動の減少に抗うために、別の感動の生み出すために、これからも出来るだけ新しい刺激を摂取し、それを咀嚼し吸収しつづきたい。
多分そういう連続した行いが新たなアウトプットを吐くことになると信じて。
でもそろそろ引越し先のバリエーションはなくなりつつある。。。

日々−疲労

趣味は引っ越しと書いた手前、自宅を引っ越したので、それについて書きたいと思いつつ、時間が経過。
そうしてると事務所まで引っ越ししたので、急いで更新。

引っ越しは趣味だが、引っ越しの行為自体は別に心楽しいモノでもない。
仕事には仕事の疲労があり、旅行には旅行の疲労があって、遊びには遊びの疲労がある。
そして引っ越しにも引っ越しの疲労がある。そしてそれは強い疲労である。
出口のない疲労。というか入り口のない疲労である。疲れが溜まるというより、今まで貯めていたエネルギーが無くなるような疲労だ。
その疲労(というか疲労という何か)を回復するには、時間の経過が必要である。
いますぐ引っ越して、とか言われると絶対に無理だ。

まずは自宅の引っ越しの様子。

Jpeg

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引っ越し風景。
引っ越しが終わると、目の焦点が合わない感じになる。
目の前にあるジュースのパッケージの裏面をつい見てしまう疲労である。
あーもう昼かー何か食べないとなあー。と思いつつ、どん兵衛にお湯を入れている疲労である。
取り敢えずビール。という疲労であり、適当に頼むわ。という疲労である。

そんな疲労を経て、引っ越しで何を得たいのか謎だ。
でも毎度、毎度引っ越しをしてしまう。

もちろんそれからも疲労は続く。
朝、どこで歯磨きするんだっけ?という思考があり、
どこでゴミ捨てるんだっけ?という思考があり、
どうやって会社まで行くんだっけという思考があり、
どこで寿司くおうかなという思考があり、
毎日毎日、どんなプロセスを経るにも思考が乗る。ぼーっとしながらコンビニみたいなのは無い。あーセブンイレブンはあそこ角を曲がったところだったな。みたいな思考が必要。

それでもまたエネルギーが溜まり次第に、自宅を引っ越すと思う。
2年後に。多分。次は海の近くに住みたい。(いまは商店街の近くに住みたくて引っ越したので、商店街生活について書きたい)

そして合わさるは会社の引っ越しである。

Jpeg

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これは僕が一度も内覧せずに事務所が決まっていた。
みんなが必要な条件を合わせて、決定した事務所だ。
事務所の引っ越しに僕の意見が入らず、決定されるというのはとても力強い組織に思う。誰でも決められる組織。
僕が見たときはすでに、その物件で決まっていた。そして僕の内覧第一声が「へー。こんなところに引っ越すんだー。」部外者である。

まあそういう感じなので、引っ越しも段取り力の高い人々の手によって決定されていた。
そのため僕はメインの疲労は背負っていないので、なんとも事務所引っ越しについて書きにくいのだけど、自宅の疲労の質とは違う疲労だ。

最終の正解はある引っ越しというか。
日々の流れの中で、知らない間に正解に収斂されていく。正しい場所にものを買われ、正しいプロセスを置いて配置が決定される(優秀なスタッフが多いので)

なので事務所引っ越しは特に疲労は無いのだけど、
事務所が変わることの新しいワークスタイルがあって、気分は楽しい。

これからも定期的に引っ越しできる人生で今後もありたいなと思う。
常に過去と違う刺激をインテイクしていきたいなと。
今回の引っ越しの統括は以上です。

雑感−手段の話に近づかない

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基本的な方針として「手段の話に近づかない」と決めて生活をしている。

まいにち、大量の情報に囲まれながら仕事をしていると、どうしてもセンセーショナルなニュースに目を奪われる。
今日のニュース記事なら「労働時間が短い人が将来どうなるか?」とか「スマホばかり見ている人の創造性の無さ」とかそんなニュースである。
ついついポチりたくなるアジった記事群だ。

ただ労働時間の長さなんて、所詮は一人ひとりの能力から判断すべきトピックである。
1分でも長く仕事をした方が生産性は上がるのは自明であるが、集中出来ない状態で仕事をしても、ナンノコッチャの話である。
そして仕事は基本的にアウトプットすることばかりで、どうしても仕事ばかりしてるとインプットの量が薄くなってしまう。
そのレンジにおいて、一番パフォーマンスを最大化するに、僕の場合は12時間以上のWORKは基本やめよう。である。
そしてきっちり7時間寝ようである。

そのために昼飯を5分で食べる。すぐに仕事に戻る。17時から10分休憩する。ってのが一番パフォーマンスが高く。
(もちろんコミュニケーションを取るために昼ゆっくり食べたりもします)
そうやってフルパワーでやってると20時〜21時にはヘトヘトになってる。もうこれ以上は何も考えられない。みたいな感じだ。

そんなときに「スタートアップ経営者は寝る以外働け」みたいなニュースに読むと、自分の能力足らずに、落ち込むことになる。
僕は学生起業家あがりで、まわりの学生ベンチャーが寝ずに働いてるのを横目に、自分は16時間労働で仕事の最適化を出来る能力は無いな。と気づいた(言い訳を見つけた)
そこからは10時間労働ぐらいから。徐々にスコアを伸ばしてきて今に至る。
なので逆に6時間労働でパフォーマンスが高いのであれば、それはそれで良いように思う。優秀なんだろうなあという思いこそあれ。

スマホの情報摂取もそうだ。
スマホで情報を摂取したらバカになる。みたいな論説。

僕はスマホで情報を取らないけれど、基本移動時にスマホをあまり触らないけれど、こういう自分のやり方を肯定してくれる記事なんかも、ついついポチっちゃうのだ。そういうときにそういう論説に触れ、悦に浸るは簡単である。

こういう折にスマホで情報を取るのに向いた人や職種もあるはずだ。
体系立てて物事を考える必要がある研究職には不向きかもだが、色んな人と世間話をする人や何らかのアイディアマン(なんだろう)もスマホで情報を取った方が良いかもしれない。手段の話はあくまで「なんのために」という視点を持ちたい。

というわけで手段の話には近寄らないを日々徹底している。
とかいいながら「人から面白いと思われる10の会話術」とか書いてあるとポチっちゃうのは弱さである。

日々-朝、家を出る5分前に言いたいこと

あと5分で家を出るんだけど、何かブログを書きたい。
5分で書けることを書くか。5分で伝えたいことを書くか。
どちらを書くか。

5分で伝えたいことを書こう。
それは最近の漫画ダンジョン飯からの二番煎じの多さと、駄作の少なさについて書きたい。
ありえない場所でメシ食う漫画多すぎてうんざりって言いたいんだけど、なぜか駄作の少なさに驚く。わりとどれも面白い。
いや、そもそも料理漫画というのはある程度安定する題材なのかもしれない。って書こうと思うも。
これを書くには過去の料理漫画の系譜を探り、ダンジョン飯の新規性を語らねばならない。予想するに30分は掛かる。

というわけで調べる時間は無いので、
・料理漫画って長寿漫画が多いはず(予想)
・料理漫画が長寿になるのはネタのバリエーションの豊富さである(思い込み)
・その料理漫画と何かが組み合わされば、例えば強面パパだったり、鉄鍋をもったバトラーだったり、可能性は無限である(適当)
・その着想からの「食べられないモノ」を料理のプロットに放り込む×「シチュエーション」というのがダンジョン飯の着想(そのまま)
・なぜダンジョン飯が滑らないのかというと・・・(時間切れ)

と結論なしでタイプを辞める。
元気があれば書き直す。で、これまでの時間7分・・・遅刻。遅刻してまでこれが言いたかったのか。結論は出ない。

ヒマ−加齢が趣味に与える影響

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あなたの趣味はなんですか?と聞かれたら何て答えますか?
僕は日常的な趣味でなければ、という面倒くさい前置きが必要ですが、
引っ越しが趣味と答えたい(盛り上がらないので答えないけれど)

どこか別の自分が知らない街に住むことで、自分がまた見たことが無い風景や、感じたことが無い感慨に出会うのが楽しい。
まあそれぐらいなら旅行でもいいもんだけど、旅行はほぼ行かない。引っ越し一択である。
自分としてもわざわざ引っ越しするというのはハイリスクな選択だと思うのだが、住むというハイリスクを取ることで、いくつかのリターンがあると感じている。投下リスク・リターン率。現地に住むことで、現地の多くのいろいろを引き受けることになる。都会に住むなら、都会の利便性と引き換えに多くの都会の煩わしさを引き受ける、田舎に住むなら、田舎の美しい風景を引き受ける代わりに自然の過酷さも引き受けることになる。

そういう引き受けるというリスクを取ることで、その地域の色々と自分の記憶がようやく強く結びつくことになる。
たとえば覚えているのが、散歩していて鴨川の鴨たちが仲良く昼寝している風景と自分の当時の辛い思いや楽しい思い出が強く結びついている。
鴨川を歩く時に、そんなことをふと思い出す。
そしてそのような場所と記憶が、日本のいろんな地域に点在している。

ある小説家が言った「人が変わるのはふたつしかない。付き合う人を変えるか、住む場所を変えるかだ。」という言葉を聞いた、
その人が言うに、住む場所を変えると。毎日の生活パターンが変わる。そうすると毎日意思決定の多くが変わる。そして感じ方が変わる。という。そんな引っ越しの思考の遷移を僕も感じる。
そういわれると都会に住んでるときは都会的な思考になっていたし、山の麓に住んでいるときは山的な思考になっていた。

そういう経緯があり、今後も今までにない刺激がある場所に住んでいきたい。
でそろそろ今の住居(今回は墓場)から、
初の商店街沿いに住みたく、以下の物件に住もうと思い内覧に行ってきた。
・守口の長屋

物件まで見に行って、庭に猫が遊びに来たり、ワクワクする商店街で(旨い蕎麦屋があった)、新たな生活になろうと。申し込もうと思ったのだけど、申し込む直前に申請書類作成で止まってしまった。
・古民家リノベ・・・・。
・また大量に虫が入ってくる生活か。ムカデ、ハチ、G、アリ、、、
・隙間風がやばくて、冬は寒いだろうな
・2Fの階段が急だな。
・風呂が露天風呂ということは。。。
・洗濯物干しの大変そうだな。

というところで結局申し込みしなかった。
どんなことよりも刺激や面白そうというのを優先に置いていたのに、躊躇した自分に驚く。
20代なら間違いなくとりあえず住んでて、笑いながら、そんな過酷な生活を楽しんでいたはずだ。

刺激よりも安定なるマンションの選択。
虫が居るかもしれない面白い家よりも、虫が居ない普通の家の選択。
自分としては人生の岐路に居るような気がする。
商店街の次は、海の隣に住んで、高台に住んでと考えていたのだけど。

これは加齢の影響なのか、まだ判断はついていないのだけれど、
自分としては積極的に引っ越す自分でありたい、かばんひとつで引っ越すような身軽な人間でありたいと思うので、何とかこのチャレンジは続けていきたい。
肉体的な老いには抗うつもりは無いが精神的な老いには抗い続けたいところだ。

風呂が露天ってのがなあ。

仕事−優秀な人と仕事がしたい

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25歳の時に自分の未来の理想ワークスタイルとして思い描いてたことが
「手応えのある仕事をしたい」
「優秀な人と仕事をしたい」
だった。

この思いは今も同じだ。
前者は「サービスがよくなるために改善を続ける」で8割方の話は終わるのだけど、後者を達成するのはとても難しい。

スタートアップ形態に限定されるかもしれないが、僕が思う「優秀な人」に定義付けしているのは、「好奇心」と「柔軟性」があるかどうかだ。

僕は常にスタートアップに身を置きたいと思っているのだけれど、毎日の仕事で出てくるのは大体が「応用問題」である。
「基礎問」×「基礎問」の組み合わせもあれば、え?この問題の方程式って学んでないよな?みたいな問題がずらずらでてくる。
答えがあれば良い方で多くが「答えが無さそうな問題」である。
・10万円しか予算がありません、まだ誰も知らないサービスです(まさに裸族に服を売るような所業)どうやって、誰に認知させますか?
みたいな問題がある。やらないって選択肢もありなのではないか。。みたいなところの思いも出てくる。

そういう「難題」を手に取り、やってみようと思えるモチベーションに「好奇心」がとても有効に機能する。
多くの問題でモチベーションが「競争」だと勝っちゃったら力は落ちるし、「承認」だと認められると力は落ちる。
「なんか面白そうだな」と面白がっていたら、気づけばなんとかなっていることも多い。

もちろん自分では処理出来ない「難題」もあって、そんな時は自分の能力の引き上げをコツコツするという、とてもプラクティカルな所業である。
これからは英語が必要だから、英語学ぼうっかなー。なんて能力アップはない。無人島で海の水を濾過すしないと、飲み水なくない?みたいな感じである。
んで、課題を処理してその繰り返していると、また違う課題に溢れたフィールドにたどり着く。
その作業の繰り返しである。自分でハードルを設定し、目の前のタスクをひとつずつ処理していく。

もうひとつは「柔軟性」である。
何か新しい価値を世の中に作りたいと思うとき、頭の中のロジックではビジネス的に弱いことが多い。
なぜならロジックは誰でも考えることができる。
「商品の選定は、ユーザー嗜好性からデータマイニングして、自動レコメンドで提案して・・・」って間違いなく誰もが考える手法である。
多くのビジネスパーソンはビジネス的な方程式を考えるのは得意だけども、そこに感性を持ち込むのが苦手だ。
ロジックにひとつ感性を投下する。その感性の追求が多分に競争優位性になり、他社との違いになる。ただそういう感性を仕事に持ち込むは多様性である。
効率化という方程式を使うとそれは抗生物質のようで、使い所を間違うと成長に必要な良い菌まで殺しちゃうことになることも多い。

良い菌も悪い菌も多様なモノを混ぜ合わせて、新たな価値を生み出す。
そしてそんな良いも悪いも多様な人材が生きるために大事なのは柔軟な視点と柔軟な感受性である。
こんな人もいいじゃんか。こういう考えもありじゃないか。服装なんてどうでもいいじゃんか。家で仕事やってもいいじゃんか。価値を生むに最適化すればいいじゃんか。
という多様な価値観の中で。新たな価値を生みだすだけに意識を向ける。

そのふたつがあって、優秀じゃない人に出会ったことがない。
そしていまKiizanKiizannではその素養を持った人が増えている。
その環境は心から望んでいたことなので、この環境が出来つつあるのは本当に嬉しい。

そんな人たちと一緒に誰が心から喜んでくれるような、手応えのある仕事がしたい。願うはそれだけであります。
ベクトルだけはきちんと合わせること。

まだまだそんな人を探し続けていきたい。
お心当たりのある人居ましたら、ご連絡ください。って毎度の求人でした!
あなたをお待ちしております!