以前のブログからの転載記事(2014年4月29日)
——————————————————
引っ越しが趣味の流れから、ようやく森の生活はじめました。@2ヶ月目突入。
2日に一度ぐらいは散歩で森に入ってるのだけども、今までの生活のどれとも違う感覚がある。そして森で聞いている音楽の紹介でも。
朝の森はどこまでも清々しい。暖かい光が全てに注がれ、全ての樹木から自分が祝福されてるように感じる。樹木の葉が太陽の光を受け、反射し、全てが輝いてるように見える。幻想的だ。
以前のブログからの転載記事(2014年4月29日)
——————————————————
引っ越しが趣味の流れから、ようやく森の生活はじめました。@2ヶ月目突入。
2日に一度ぐらいは散歩で森に入ってるのだけども、今までの生活のどれとも違う感覚がある。そして森で聞いている音楽の紹介でも。
朝の森はどこまでも清々しい。暖かい光が全てに注がれ、全ての樹木から自分が祝福されてるように感じる。樹木の葉が太陽の光を受け、反射し、全てが輝いてるように見える。幻想的だ。
以前のブログの転載記事。記事作成時は2014年4月28日
——————————————————
それは
「仕事が出来る人と仕事をしたい」
であった。
25歳の頃には30歳になったら絶対に優秀な人と仕事が出来る環境にしたいと思ってた。
なぜ優秀な人と仕事をしたいと思ってたかいうと、高い理解の人と仕事をし、出来るだけ面白いことを一緒に考えたいと思っていたからだ。
仕事で、若い子と話す環境に居るわけなんだけども、若い子の行動動機の多くが「楽しいかどうか」だ。
「あの子と一緒に居ると楽しい」「楽しいから行く」とか、最近では学校の広告なんかでも「楽しい」を押したモノを見かける「楽しくなけりゃ学校じゃない」とか、求人においても「楽しい」を押し出したモノは多い。多分若い子だけじゃなくて、おっさんでも、おばあちゃんでも、「楽しい」というのはとても大事な感情であり、価値観なんだろうなと思う。
でもさ、「楽しい」ってなんだろう?
久しぶりのブログ更新において、どうしても何を書こうかな?みたいなキモチになり久しぶりのブログ更新は心的に億劫なモノになる。
何を書くのか気にせずに「いえーい、昨日焼き肉でカルビ3人前食べた!」みたいなエントリーの更新もアリとすれば、久しぶりの更新でも特に心理的負担は少ないかもしれない。
「食べた焼肉の種別と皿数を伝える」というエントリー悪くはない。そう思っただけで、久しぶりのブログの更新の心理的ハードルは下がるはずだ。
ただ、そのような焼き肉エントリーを更新をするとして、ちょっとだけ注意点がある。そう、大阪人を縛るあのフォーマット「ヲチ」である。
スタートアップ界隈で有名な(PaypalやLinkendlnなどの)keithi raboisが 『ブログを更新し続けて成功している起業家を見たこと無い』という旨をツイートして話題になってるとのことで。
そう言われてみて色々考えてみたいんだけど、その旨には基本的には賛同したいと思う。
基本的と書いたのは、まず間違いなくブログを書くというのはリソースを使う。
時間的リソースだけじゃなくて(長文はまず1時間は掛かる)自分が考えてることを整理して、まとめて、アウトプットするというのは、やってみると分かるけども、結構なパワーが必要だ。
前のブログの転載記事です。引っ越しが趣味と書いてきているので、引越し時のキモチはできるだけ残しておきたく(2014年4月記事)
いよいよ引っ越しする。
というわけで、朝7時より散歩に。
スタジオ引っ越しが終わり、続いては自宅引っ越しなのだ。
当然山積みのタスクは待ってくれず、わりと身体に来る日々。
ただそうは言っても4年半住んだので、ラスト散歩と決めて散歩をしておきたいということで、朝日をあびつつ散歩。
この左の建物裏手ぐらいが家で、この散歩道はほぼ毎日歩いてたように思う。そしてこの散歩道は文句の付け所がなかったように思う。
デューク・エリントンが
「この世には「素敵な音楽」と「それほど素敵じゃない音楽」というふたつの音楽しかなく、ジャズであろうとクラシック音楽であろうとどんな音楽でも同じだ。「素敵な音楽」を聴くことによる純粋な喜びは、ジャンルを越えて存在してる」
と言っているのだけども、ビジネスもそういう部分はあるかもしれない。
デューク・エリントン流に言ってみれば、
書いてもらいまして。
なかなか結果は出ないけど、バタバタと格好悪く毎日サービスの広報やら改良を頑張れよ。というメッセージと受け取りました。(ただ、どこかの誰かのイラストに似ているような。。。ううん、まさかね)
これは以前のブログ記事の転載です。過去のビジネスに対してどう思っていたのか、残したいために、転載しました。(記事:2013年1月6日)
——————————————————
コーディネーターhidekiを安定した成長サイクルにのせるのが2013年の目標だ。
ただその前になぜhidekiをやろうと思ったのか?という文章を書いておきたい。
あまり偉そうなことを言いたくないので、小さな声で言うと僕は事業をするなら、誰かの楽しさや笑い合えたりするような場を作ることがしたいな。と思う。
これまでの人生で、色んな人に会ってきて思うことは、人は誰かに直接であれ間接であれ、必要とされることによって人生の充足は変わるように思う。それは恋人や家族だと言う人も居れば、友達や部下の人も居るだろう。
もしくは家庭という場かもしれないし、会社という組織や、ネットゲームという架空世界ということもあるだろう。
僕はそのような、人から必要とされるような場を作りたいと思って、コーディネーターhidekiを作った。
又聞きではあるが、ウディー・アレンのアニー・ホールという映画で
「人生は、ひどいか、悲惨か。そのふたつのうちどちらかだ」とセリフがあるという。
まあそういわれたら、そうかもなあ。と思わないこともないけれど
僕としてはひどいながらも、悲惨じゃなかった事が多い人生を生きたい。