日々-カレーの日々

会社に行くまでの時間でいかに楽しむかの会を勃興中。
日々仕事をしまくってる感じなので、そのなかでもいかに楽しむかみたいな視点は大事だなっと。
というわけで昼飯を早く食べるという生活に変えて(11時ぐらいに食う)なんだとアタック。

休日の日は京都カレーの会にアタック。(興味ある人はニョキニョキ カレーで検索してみよう)
京都のカレー店が集う感じ。好きなインド食堂タルカも出店とのこと。

出町柳から電車に乗るあいだにあるので、立ち食いカレー的に即効で食えるなと思いアタック。

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いろんなカレー店がひしめき合う。混沌の中。変わり種カレーばかりで、わりと悩む。
出来れば料金半分ちょっとで量も半分みたいなことをやって欲しい。色々食べたい。

そしてカレーで思うのだけど、カレーほど嗜好性が高い食べ物って無いように思う。
友人から、このカレーが絶品なり。と言われて実際に食べて満足することはあまり無い。
5にひとつぐらいであるまいか(俺は船場カレーが好きなんだけど、人に話したら、どこが旨いねん!と)

これは家のカレーの味が理想なんだろうか。僕はカレーが好きではない子供だったので、特にカレーに対する思い入れはない。ただ好きなカレーの嗜好性はしっかりとある。
どういう経路でカレーの嗜好性が決まるのか分からないのだけど(家のカレーの味ではないのではあるまいか)
そしてどこで食べても毎度これじゃないんだよなー。ということを思う。そしてたまに、そうそうこれこれカレーに出会う。
そう思うと、我々は自分に合うカレーを探すためにカレーを食べてるとも言えるのかもしれない。
人生とはカレーを探す連続した過程、そして毎度のコレジャナイカレーを食べながら、また新しいカレーを探していくのだ。自分の理想のカレーを求めて。
そうならば、このカレーがマズイなんて言うことは出来ない。それは僕にとっての合わないカレーなだけであり、決してダメなわけではない。その経験を通じて僕はまた理想のカレーにひとつ近づくわけだ。

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そして今回は自分の理想のカレーであったのか?
いや、全然違った。理想とは遠く離れたところにあるカレーだ。
ターメリックライスと豆カレー。彼女が作る豆カレーは理想ではなかった(作ったのか知らないけど)

そして別の屋台でサモサもゲットし、奥のテントの中でカレーにサモサを乗せて食べつつ。
テントの下で、立って食べてる外国人3人グループ、横に座ってるのは男性2人組。目の前に家族4人連れ。
その間の席に座って豆カレーを食う俺。暑いのと香辛料で汗がだくだく出る。

そして横の男性が時折「うーっほおーーー!」と雄叫びを上げる。
雄叫びが入る合間に、男性が目の前の家族連れの子供に向けて、「美味しい?」って質問してる。子供は一言、「暑い」と答える。
「カレーで暑いってそのままやないかーい!」とその男性がシャウトする。そしてその雄叫びの後、静寂がある。その静寂の中、僕は一口豆カレーを口に入れる。「これじゃないな」と思う。

また男性が「太陽の黄色とカレーの黄色、そのままやないかーい!!!!!」と太陽を指さして、叫ぶ。一瞬の間が空いて、静寂が訪れる。
今度の静寂では目の前の家族連れのお母さんが、スープカレーを口に入れる。もしかすると僕の理想のカレーは目の前のスープカレーだったのかもしれない。
僕は最後の一口、豆カレー食べる「だから、そうじゃないんだ。そうじゃないんだよ」

※お詫び
最後まできちんと書きたかったのだけど、出発の時間となりました。下書きに残して、後日書くほどの内容でもないため、ここにアップ。
本日は開発会議、朝11時より中津であります。9時15分ギリギリなので、そろそろ出ます。各自続きは適当に。先が気になる方はお気軽にお問い合わせください。

雑感-日本人にHip Hopは違和感なのか?

巷で話題のあの人がHip Hopについて話してたので、Hip Hop大好きの僕としては(嘘)ちょっと思う所を書いてみよう。
というか誰かのひとフレーズを取ってきて、グリグリ反論しようという気はなくて、こういう視点というのは、以前からあるし、一度考えてみたいなと。
それ対するRHYMESTERの人からの反論がこちら。

違和感という感じで抽象的に書かれてるのだけど、そしてどこが違和感なのか具体的には描写されてないのだけど、最後に着物で締めてるところを見ると、合ってない/似合ってない/ダサい/滑稽/みたいなところと予想(幼少期の空気にHip Hopはあったのかしらん)。とはいえ自分も日本のHip Hopを聞かないのだけど、滑稽だから聞かないのだろうか。

hiphopとはそもそも、一定のビートの音楽に自分の思いを同じリズムで乗せるという音楽だ。日本人の場合は、自己啓発Hip Hopが多くて、一度キリの人生やってみろよとか、成功しなきゃウソだろ絶対みたいな直球が多く。俺は誰かにこうしろと言われると腹が立つので(やってみろよ。と言われると、やってるわと感じるジミー大西思考メソッド)日本のHip Hopを聞かない。そしてそれらは滑稽な試みなのか。

まあ前提はあると思う、滑稽の前に。
なにを言ってもHip Hopはアメリカの、それも黒人の音楽だ(元々は都会から始まったとしても)上述のリンク先の反論ではロックってあったけど、それはちょっと違うように思う。もともとロックは体制へのアンチテーゼであり、若い人たちの総意であったはずで、これは世界共通の若い人の思いである。それは体制にNOという人たちの声であった。(ただ何にYESと言ったかは分からなかった)別の言い方をするなら共同幻想であり、イデアである。ただHip Hopは違う。
アメリカの黒人(それもミドルレイヤーに属する白人的ライフスタイルを志向するインテリ層じゃなくて、ブルーワーカーに代表される貧しい人たちの)で流行した音楽である。どうしようも無い毎日のなか、鬱屈した日々を音楽に乗せて歌う。徒手空拳でとても切実な思いをもって、何とか生きていこうとする姿勢に思う。
Hip Hopであれば音楽的素養や勉強がなくても、一定のリズムに合わせて伝えたいことを伝える。彼らは今の生活が変わることを願って、もっと幸せになることを祈って、絶対成功すると信じてる。それを歌詞にして乗せる。彼らにとってはHip Hopというのは彼らを結びつけるひとつの物語であり、ひとつの象徴に思う。だもんで、まあ日本人滑稽というよりは、アメリカ発祥としてのリスペクトは要るように思う。ロックじゃなくて、これはジャズなんかに近いと思う。ジャズはやはりブラックミュージックなのだ。

話を戻そう。日本人にはHip Hopは違和感なのか?
断言できるが、絶対にそんなことは無い。
自分の思いを乗せるというツールに違和感なんて感じない。
そりゃ寒い歌詞は単純に寒いと言えばいいだけであって、音楽が批判されることは無い。
日本人なら演歌でも歌ってろはあまりにも偏狭だ。
別にそれがクラシックであっても、小説であっても、踊りであっても何でも良い。
自分の思いが伝える手段は常に開かれておかねばならないと僕は思うのだ。

こういうのはひとつの作品を出すのはシンプルな話なんだけど、継続出来るのかとても難しい。
フォームや手段を批判するのはイマイチな話で、それよりも継続性を見る必要がある。
日本はダメだ。とか声上げろ!日本人!とか言っても当然ながら変化はなかなか見えず、朝はまたやってくる、アンチクライマックスの連続である。
ヒッポホップのようなPVみたいなアゲアゲな一体感のような日々は続かない。何について声を上げるのか。問題はそっちにあるんじゃないかなと思う。音楽の是非を語るよりも、本当に語るべきことがあるのか?ということですよね。安い右的な思考はあまり聞きたくない。そして頑張っても報われない日々に対してどうするのか。はとても難しい問題だ。それでもガンバレよと声を上げるしか無いはずで、その声を上げ続けることが出来るのか。そこに日本人的文脈を持ち出すと話が別の方向に言ってしまう。Hip Hopの歌詞であれば若い人はわりと落ちるので、それは違和感じゃなく今後力を発揮するフォームに思う。

日々-通勤電車の楽しさ

最近通勤電車のルートを京阪電車に固定化させまして、何というか通勤が楽しい。
京阪に行くまでの道のりは結構時間が掛かってしまうのだけど、それだけの理由々あり。

無題

大きな理由はこれ。
京阪の車両は本当に気持ちが良い。コンフォートサルーン、エレガントサルーンの名に恥じない出来。
それでいてJRの半額並みの料金設定。
居心地が良くて、リーズナブルで、尚且つ人も少ないなんて、コスパどころの話じゃねー。
毎日の通勤が観光気分。昼間なんて別に人なんて乗って来ないので(大阪に入ると乗ってくる)出町柳で昼飯を買って(おにぎり屋のおにぎりとだし巻きとか)足をバタバタさせながら食べる。旨い!嗚呼旨い!

もともと新幹線も音楽聞きながら景色を見てるだけでHAPPYなので(だけど忙しいから仕事してるけど)京阪は、わりと景色も綺麗なので、仕事に疲れたら景色を見てるだけで良い。音楽も何を聞こうかなーというぐらいで。本も快適に読めるし。昨日はホロヴィッツのプーランクを聞きながら「食べる西洋美術」を読むという優雅さ。定年退職して15年目春なみの優雅な昼下がりであります。そして飽きたら窓側で横になってれば寝れるしで言う事はない。

とはいえ、さすがの京阪でも。全てがオールHAPPYということなんてありえないのであります。

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我々ケイハンヤー(京阪を乗る人)を震え上がらせるのが、シティーコミューターであります。
おにぎりと惣菜を買ってウキウキしながら出町の列車に降りると、通称「緑(MI・DO・RI)」の列車がホームに鎮座。
シティーコミューター。街へ行くための列車。それが快適である理由などない。列車とは移動するための道具であり、手段である。大量生産型の資本主義社会に置いて、電車とは大量に人員を輸送し、インフラとしての最大効率化を目指すモノ。それが緑の宿命なのだ。彼は多分予想するに団塊世代、全共闘時代に生まれたのではあるまいか。どことなくこだわりが強そうな言い出したら話を聞かないような面構えに見える。

そして資資本主義的ニヒリズムに満ちた「緑(MI・DO・RI)」の圧倒的な存在感の前で、おにぎりをカバンにしまう俺。何を浮かれてたんだろう。電車でメシなんて迷惑だろ?そもそも、たがが電車じゃないか。
気づけば自分のワクワクやウキウキに接続し得るコネクタは閉じてしまっている。いや、はじめからそんなコネクタは無かったのかもしれないな。なぜなら俺は今から仕事なんだから。
そして静かにシティーコミューターのシートに腰を降ろす俺。あー何だか最近腰痛気味かもしれない。そういえばガス元栓閉じたかな?なんで俺は昔、あんなことをしてしまったのだろう。嫌なことばかりが頭によぎる。

僕からアナタに言いたいことはただひとつだ。
シティーコミューター、彼の名を聞いて、何とも思わないケイハンヤー(京阪を乗る人)は居ないということなのだ。
出来れば彼には近づかない方がいい。Stay away from him.ただ彼は音もなく、アナタの前に滑りこんでくる。鈍い緑が見えたら、彼女を置いてでも走って逃げろ。俺が忠告出来るのはそれぐらいだ。

写真-朝の市場

最近日々の生活を朝中心にシフトするか悩み中。
色々考えると朝の方が生産性が高いことが多く。

とはいえ朝に変えると毎日の付き合いの悪さに拍車がかかりの懸念あり。うーむ。
というわけで朝の生活に変えるか検討がてら、近所の朝一アタック。

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山を超えたところに朝一あり。朝一だけあって、朝6時から8時まで。朝5時30分に起きて、朝6時から山アタック。
朝の山アタックは、めちゃシンドイ。ただ辛い。空気が綺麗で感動というのは始めの20分ぐらいであり、あとはただシンドイ。

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ようやく、ひと山超えて。
ちなみにこんな感じ。
採れたての野菜がそこかしこに。それらに集まる人。
朝早くから、こんなに人が集まってるのを見てると(自転車バイカーが多い)自分が認知してないだけでいろんな朝のスタイルやら場があるのだなあと。

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市場では、
漬物売ってたり、鯖寿司売ってたり、おはぎ売ってたり、鶏肉何かもあったりと。
新鮮且つ直接生産者から購入できるのがメリットだ。コミュニケーションありきの即席市場。
隣に居た人は北海道から来ました!ということで、県外からも多く参戦してる朝一。集客力あり。
あわせて駐車場は第一駐車場も第二駐車場も一杯。大盛況の様相。

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そして屋台が多いのが魅力。
これはウドン。旨いのか?と言われると、普通である。
大自然の中、山を見ながら食う暖かいうどん。というバイアスを掛ければ、旨い!最高!なんだけど、
うどんと向かい合い、見つめ合い。だしの深さを、麺のルーツを思索するほどのモノでもない。即席うどんであります。ただアゲのぶっとさは特筆に値。
とはいえ、それはアゲを買って持ち帰れば良いような気もするので、まあ食べたければの代物。

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なお、これは旨い。
卸の新鮮な魚介類を焼いて食えて、安い。イカの丸焼き200円といった具合。
ただ朝一番にイカの丸焼きが食べたいのか?と言われると返答に悩み、少し時間を頂戴したい。朝に食べたい魚介類なるものが存在するのか。
ほたてや鮎があり、みんな嬉しそうに食ってたが、食べたいか?と言われると、せ、、、先生、俺、サンドイッチが食べたいです。の心境であります。

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別のブース(歩いて3分ぐらいのところにある)なんてのもあったり、
採れたての野菜を天ぷらにしてくれたりと、なかなかソソるモノ多数。
ただ・・・・朝一に天ぷら。。。
という所は、アナタの胃腸と相談の上、楽しめるかというところでしょうか。
みんなムシャムシャ食ってたので朝生活というのも、なかなかタフな生活なんだろうなと予想。決して朝一は老人のものではなく、心身ともに健康でなければ楽しめない模様。間口はわりに狭い。

そんなわけで、採れたて野菜をゲットして、そしてまた一山超えて帰る。
家に帰宅しても、時刻はまだ7時45分。運動したら小腹が減ってきたいなみたいなアルプスの山間に住む少年的タイムテーブル。
そっから仕事をしても、井上さん今日早起きっすね。ぐらいもので、まあ充実感はある、ただ22時には寝ることになるので、悩ましく。
朝生活にするかは今だ模索。

日々-人から本を貰った時のリアクション

連打。
先日誕生日でして、誕生日プレゼントとして、皆さんが古本屋で「井上が好きだろう本を探してプレゼント」するという金をかけないココロがこもった企画が勃興され、以下の本をプレゼントされましたよ。

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そして僕としては、その本を読みたい順に順番をつけるという(誰が買ってきた本かは伏せて)残酷な執行をさせられまして、上記左が読みたい順。
まあ、読みたくないのね。「弱みを強みに変えちゃうっす」「俺、逆転の発想とかしちゃうっす」みたいなのはあまり読みたくないのだ。申し訳ないのだけども。ただひとつ読みたいのを上げると左の「ロックミュージックの社会学」は気になった(そしてすぐ読んだ)僕はこの付近の体制にNOを言いまくってるロックを掘り下げた話が好きで(というか、全共闘の時代が、あの空気感が好きなのだ)これは読みたいなあということで、有りがたく。

でもですね。以外は本当に手が伸びない。
それを顔に出してしまったのか「もっと喜ぶと思ってた」と言われ、この企画も5分ぐらいで終わってしまって「この企画で1時間は行くつもりだった」とか言われたんだけど、そりゃムリな相談であります。
こう本好きに本をプレゼントすると微妙なリアクションを頂戴するというのは仕方ないように思う。クラシック好きに内田光子のシューベルトピアノソナタ集をプレゼントしようとは思わないですよね?鉄オタに終戦の蒸気機関車写真集をプレゼントしなければ、ゲーマーにスト4をプレゼントしない?そうですね?漫画好きに無頼伝 涯を渡さない。

というわけで、元来プレゼントを貰った際のリアクション弱すぎると言われ続けてきましたが、上記は俺は悪くないということを強く表明しておきたいと思います。
何卒ご理解いただけますよう。

日々-ワークスタイルとブログ

「ブログを更新できてないなー。」ってことを思ってましたが、8月のエントリー数を数えると7件。
わりと普通ですね。普通のブログよりちょっと更新頻度のあるぐらいの数を更新しておる。ふむ。

更新出来ない理由は、ワークスタイルとの変化である。
以前はブログ更新をすることで仕事が早くなるという考えのもとルーティンに入ってたのだけど(当然例外の1日はあったんだけど)今はいかに早くタスクを処理するか、タスクをまとめるか。そして空いた時間で情報を獲得するか?に重きを置いてるので、高速ワークスタイルであります。

電車は始点駅のため必ず座れるので、座りながらA4の紙に今日すべきタスクをグリグリと書く。
その紙の内容から今日処理のみすることをまとめ、堀江に到着したらすぐさま業務に取り掛かる。ちょっとYahoo!もちょっと切り込みも、ちょっと消耗も一切無い。それらをグリグリやって、これ以上やったら明日すること無くなるなと思ったら帰る。そして帰りの電車でも同じくA4の紙に明日すべきことと未来に向けて考えるべきことをまとめる、そして空いた時間に日々読まない本を読む(今は食べる西洋美術史とフィッツジェラルドのゼルダの話を読んでる)、そして家に付いたら未来に向けた情報を摂取する(今なら広告)という感じだ。そして少しの家用タスクをする。

そんな感じなので、ブログを書くための時間がビタイチ無い。
ブログを書きまくりターンと書かないターンは何が違うのかと言うと(いや別に週に一度ぐらいは書いてるんだけど)脳の遊びの有無だろうと思う。
上のようなライフスタイルでグリグリやると、途中で間違いなくエネルギーダウンorツマラナイ合理的なアウトプットしか吐けなくなる(そのために関係のない本を帰りの電車では読む)。ビジネス書ばかり読んできたであろう人は、言ってる事も方法も是なんだけども、総体としてうーんな感じが多いんですよね。論理性を突き詰めても上手く行かないのがやはり面白いところだとは思う。
でブログをやってると日々の出来事を拡大解釈して理屈を展開しようとするのでありまして、何らかの視点獲得に動こうとするんですよね。
それら含めて、もう少し書きたいなあと思うけど、みんなセコセコやってるなか書きにくいというのもありまして。

まあ日々書きにくく9月も既に8日にて初更新ですが、月に6本ぐらいの更新でひとつ行きたい限り。
書きたい事は多数あり。