雑感-予定調和の飲み会

年末だし何か年末っぽく今年気づいたことでも。

僕の人生のベクトルとして予定調和を避けるというのが、ある。
この会議は予定調和になりそうだなと思えば、出ないって選択肢を取れないか探るし、この仕事は誰でも出来るな(予定調和)と思ったら誰かに振れないか必死で適任者を探す(いつもスイマセン)、それは友達とご飯とかもそうだったりする。

そして最近の多くの飲み会が予定調和になりつつあるな。という思いがある。
予定調和とは何か?先が読めることである。先が読めることによって巻き起こる退屈というわれの感情の想起までをセットで予定調和と呼ぶ。
僕は常に予定調和に抗おうと、時には暴論を展開してみたり、時には全然そんなこと思ってないのに逆の意見から論理を構築し論陣を張ったり、全然似てないのに「キミって斎藤佑樹に似てる」とか言ってみたりして、出来るだけ小さな熱を生もうとする。そしてその熱をもっと大きな熱量に変えるために色んな手法やレトリックを使いフルパワーでアジテートする。それが飲み会の僕の役割だと。そう思ってた。

テレビを見ながらの飲み会には絶対参加しないし、なぜかみんながテレビを見始めたら(何度消しても付けられたら)散歩の振りして(拗ねて)帰ったりしてた。
一番キライなモノはみんなでテレビを見ながら超ありきたりな論しか出ない(最近○○面白くないよねー。同じパターンばっかり。ぐらいの論=面白くない理由がない、なぜ同じパターンの笑いだとダメなのかという理由が無い)飲み会である。それをするぐらいなら、1時間説教されながら飲んでる方がまだ楽しい。(この人から見たら俺はそんな風にダメに見えるのかというのが分かるので)

ただそれが最近上手く行かない。予定調和が打破できず、なぜか毎度場や話題が予定調和に収束する。
着火間違いないと思った案件がボヤだったり、エクスプロージョンと呟いたら屁だったりとか、全然予定的に話題を跳ねさせることが出来ない。

困ったなーと思ってたんだけど、最近気付いたのは自分の経験値が増えてきて、ある程度の意見は以前聞いたな-という感じになってると思ってたら、年齢が上がるごとで共通の趣味やバックグラウンドにしてるモノが見えにくくなるので、何を語れば良いのか分からなくなる。え?仕事の話好きじゃないんっすか。みたいな。
だもんで、みんなに喋って貰おうとしてきて色々と場に話題を提供してきたのが今までなら(みんな大体自分の話をしたいので)これからは、場に収束不能な話題&相手の知識を要しないお題を投下するという技を磨くのが良いと思った。

俺が先日電車で考えてたのは「どこからが科学でどこからが宗教なのか?という実証性という観点に基づいた科学の分水嶺」であり、自分の中である程度結論が出た。昨日風呂で考えてたのは「なぜ同じく脳を使うのに、仕事だと疲れて、遊びだと疲れないのか?(俺は18時間ゲームは出来るけど、18時間仕事はキツイ)仕事を遊びのようにすることは出来るのか?遊びと仕事の違いは何か?」ってのを考えてた。これも結論出た。でも結論ありきだと盛り上がらないのかもしれないな。
俺も結論出てない話題にしたい、そんな話題を投下したら盛り上がるのだろうか。一度やってみよう。

ただこういう事を書いてて思うのだけど、俺としては予定調和云々より、実は語り部を求めているだけなのかもしれないという気がする、
語れる人とやっぱり語りたいんですよね。
最近大変っすよねーとか寒いっすねーとかわざわざ喋りたくないんだよねー。んでありきたりな(頑張ろうとか)みたいな結論に落ち着かせたくもないし。
でもさ、なに語りたいんだろうって言えばゲームなんだけど、語れる人がまわりに居ないし。うーん。宗教(仏教)かストレス論とかが自分トレンドだが、そんなお題の飲み会って何か危ないだけになりそうだし。難しいところだ。

日々-土曜の夜から

風邪を引いて、思考はしっかりしてるのだけど身体が重く、パソコンまで行けずで生まれて初めてスマホ片手にベッドという日曜を。
子どもとスマホ問題なんて何とも思ってなかったのだけども、この高刺激はスゴい。

全然時間無いんだけど、おもったことを書く(なぜか?今家で人待ちで出れないからだ)
ネットニュース、芸能ニュース、週刊誌系ニュースサイト、YouTubeというコースをたどった。
思ったことを並べたいので精査せずに思うままに。

・好きなモノを好きなだけ見れすぎる。
自分が好きな記事やら動画だけを延々と見ることが可能、その内容の精査やその内容って?というツッコミや思考を潜るよりも先に次のニュースが提供されつづける。
留保とか検討とか考慮みたいな概念はそこに無く、ただただ高刺激なニュースが続く。サルみたいにクリックしてしまう引き。

・高刺激の勝負になりつつある。
コンテンツの作り手の動機はPVの確保からの広告費の獲得であり、アテンションを得るためなら裸であろうと火をつけようと何でもござれだ。次から次へ強い刺激を持ったテキストと画像が並ぶ。これを浴びてると、まとまったことは何も考えられないんじゃないか。という気がするが、それにそった思考スタイルがあるのかしらん。

・好きなモノが好きなだけ見れてしまう。
ベッドに潜りながら何かを見れるというのは本当にスゴい。昔ならテレビ見てたら親の突っ込みやら兄弟からの遠隔操作機器の奪取やらが勃興したが、まず勃興しないと予想。
自分が見たコンテンツは自分だけのものであって、これって結構怖いなと。その考えが一般的見地から見て行き過ぎなのか、妥当なのか。よく分からず。俺から見れば明らか保守と思いきや本人はノーマルだと思ってるので、なんだかなあである。

・アダルトの垣根の低さ
高刺激の極。アングラなサイトでもなくちょっとした週刊誌的なサイトで、これでもかとアダルトが流れる。たどればまずの無料視聴である、アテンションは次なるアテンションを呼ぶ、そしてそこで次の成果を得るために課金がある。ただ課金なくてもコンテンツは駄々漏れで、コンテンツ業界の未来もとても厳しそうに見える(体験にお金を払う系じゃないと立ちいかないと予想@ニコニコ動画とかネットゲームとか)こうもインスタントにアダルトが消費出来るというのはどうなんだーっと(の割に現実で同じことをする壁はドンドン高まってる感じも)

・漫才見たいなでも、小籔見たいなでも、木綿のハンカチーフ聞きたいなでも。
即座に対応可能な環境って凄すぎる。やっぱり未だになれないな、スマホ環境。
そして自分が望まないモノは見ない環境ってどうなんだろうな。まだテレビは多様なコンテンツが流れてきたが、スマホだともっと視野は狭い浅い。
無限に近いコンテンツがあり、イヤなコンテンツは開始3秒で終了だ。

・そして見終わったあとの徒労感
もうグッタリ来る。強く笑うこと(爆笑)ってある意味ストレスと思ってる自分としては、強く笑いを生むコンテンツも見てるだけで疲れる。週に一度のバラエティなら良いが、こう連打に見せられると、もうお前らが面白いのは認めるから、俺を開放してくれ。って感じになる(スマホを手放せ)

・ただちゃんとしたソースをしっかりと逃げればステキなサイトも多数ありまくりんぐ。
なので、情報格差はスマホに行き渡った今のが激しくなりつつあるのではないか。
芸能ニュースとか見てるだけの人と、自分の方向を深堀りした内容を見まくってる人は(と言ってライフハックばかり見てる人も多いので難しいが)

ってなわけで、スマホとベッドって本当にスゴいねと。改めて。
あのデバイスの強力さは知ってたので、電車タイムは常にカバンの奥で寝て頂いているのだけども、ここまでの脅威を持つデバイスとは。どんな影響を当たるのか。恐ろしい。(まともな思考が出来ないに一票だが、そういうのってゲームが出たときも、漫画が流行ったときも言われただろうし、うーん。どうなんだろうな)

日々-ただの雑感

バタバタしすぎて何が何で全く整理できないので、整理できないままに。

・ふと自分ってどんな環境で仕事したいんだろう。と理想の仕事環境を考えた時に、全部自分が嫌なことからの回避で仕事の環境を固めるのもひとつなのかなと。
ベースは利益なので、有る一定の利益が出てたら16時に仕事終わり。みたいな環境を作りたい。7時間で仕事が終わるか?のチャレンジって凄く楽しいんですよね。
余った時間(往復3時間)で本2冊読めるのも凄く達成感ある。

・その理想に沿えば、今は8時起床、散歩に行きながらなんだと考える、仕事する@今日やるべきことと昨日の仕事をやる(頭を昨日今日に繋ぐ)、10時会社に向かう@カバンに本を2冊ダンクする、電車で今日のタスクを一応洗う、残30分ぐらいで本を読む、12時に会社着く、雑談しながらメシ食う、フルパワーで集中する@15時まで、集中落ちる、少し動く、少し食べる、少し話す、徐々に集中する@19時30分まで、帰る、電車で明日やることとか今日まとめないといけないこととか書く、残40分本読む、帰る。22時頃家に着く。メシ食う(いつも腹減って死ぬかと思う)、風呂入る、軽くパソコンしてニュース見るか、軽く仕事する、やる気無ければ酒を飲むで、YouTubeでゲームの動画を見るか漫画読む。23時にはベッドに入って本を読むという生活。自分的には11時間労働ぐらいかな。とはいえ場所が変わるので凄く集中が出て良い。いま野獣が山に放たれたような、ナメック星に着いた悟空みたいに動けててすごくキモチが良い。とはいえ、もう少し仕事を短くしたいが(家に着いて22時ってボチボチバテる、、感覚的にもう少し早く出て18時に終わるぐらいが丁度良いかもしれない。が集中の波で12時に会社着くのが丁度良いんですよね)

・上と違う意見っぽいが、最近つくづく思うのは経営者って頑張るべきじゃないなーって思う。
経営者が頑張らないと周りが頑張るので、これは最近学んだことだ。経営者だから模範で、みたいな考えはいかにダメかというのが良く分かるのだけど、これを論理的に説明するのは難しい。利益が出たら全部体制を変えたい。俺が一番仕事をしない。全部まわりに任せる。俺は寝つつ一番新規事業を考える体制にしたい。まわりも口出しされないほうが楽しそうだろうし。さてと。

・日々通勤が長いので、通勤を快適にするグッズって無いのかなーとか思ってたら、先日S字フックを使って買い物カゴを電車の車両に掛けてる主婦が居た。頭いいな。確かに棚は使いにくいし、ちょっとした時にS字フックがあると便利だが、あとは羞恥心に相談だ。その人は服?あー繊維のことね?みたいな御仁でありました。

・やりたいことが大量にあるのに、リソース的にムリだなあって思うことを大量に抱えてる、悔しい。
そして何をやるにも、あまり自由度は無いので、もっとグリグリやるために体制を色々イジらせてもらってる。色んな正しいが世の中にあるので、自分の正しいを押す難しさを痛感してるが、一番は改善速度が出ないのは全て悪に思う。それより優先すべきことは無いはずだ。徹底的にリソースぶち込んで、その環境を作ろう。やっぱり自分に全責任が乗らないと面白くないし、頑張れない。誰かに相談すると責任が共有され、誰が悪いの?感が出てぜんぜん面白く無い。

・12月の都会って歩いてるとかなり気分落ちる。僕としてはクリスマスソングを聞いて落ちる人と上がる人を分けてほしいと思うが、これって多分キモチの上げ下げじゃなくて、消費の上げ下げなんだろうなと思う。何となくクリスマスソングを聞くと消費せよという声無き声が聞こえてくるようだ。たださそれにしても欲しいモノって無いな。消費せねば幸せになれないってことも無いだろうが、そのゲームを降りるとまわりまわって不幸になるというのも確かで。踊り続けねばならないのだなーとか思う。消費しない人って多分世の中に要らないんだろうなと。にしても欲しいモノ無い、強いて言えばゲームだけど、買ったらHAPPYじゃなくて、そこに時間の投下がセットされるんですよね。そう思うとブランド買ってHAPPYとかいう人のが得してるのかもしれない。とかそういうことも落ち着いて考えたいが、色々忙しい。

という日々。あー年末。
来週ぐらい忘年会でもしよう。色々。

日々-オチは顔面から地面にツッコむ

スライディング

この話のオチをお伝えしよう。
一昨日、顔面から地面にツッコんだ。である。
オチは上図と同じと解釈いただいて構わない。

水曜日に堀江の事務所を出て長堀通を猛ダッシュしてたら(なぜ猛ダッシュをしたのかというと寒かったからだ。身体を温めようと思い猛ダッシュしてた)超スピードで転んでしまい、スライディングガッツマンズッコマーン(上図の名前)を展開。
転んだのは俺の運動能力欠如の可能性を否定しないが、長堀通沿いに、鉄のワイヤーが落ちており、足がワイヤーに絡まって(自転車のタイヤをロックするチェーンみたいなの)顔面から強打。
いまアゴ部分が裂傷、右手の甲裂傷、左臀部内出血、左膝内出血である。

転んだ瞬間、体制を立てなおそうとするも、足が動けず、マジに顔面からズサーっと突っ込んでしまうという。
右手でフォローしようとしたのだけど、微妙に間に合わず左側面全体を強打してしまい、長堀通(ほぼ心斎橋寄り)でぶっ倒れ、バチーンという音が響く。
ちょっとゆったりとか、少し躊躇とか、一切ない、猛ダッシュからのバチーンである。クリスマスソングが流れる心斎橋に一閃のバチーン音。
長堀通に「突っ吉こむ平?」という可能性が漂い、あたりが騒然としてたように思えたが、痛すぎてそれどころじゃなかった。殴られまくったボクサーみたいにフラフラになりながら、これでダッシュをやめると視線を一身に受けるので、超痛いのを我慢して、ダッシュを続けて、路地裏に行って、座り込んでた34歳の12月10日。

この話に教訓めいたことは一切無い。走ったのが悪かったからとも思わないし、ワイヤーに気をつけるべきだったと思わない。
クリスマスに起こった、ただのファクトだ。よくあることである。そして今も全身が痛くて辛いのだけど、京都の寒さのが辛いので、痛いのか寒いのかよくわからない状況である。
ただ目の前のパソコンのTODO管理にタスクが山積み。俺が理解してる状況はそれだけなんだ。

写真-山がある生活

写真逃げ。
なぜ写真だけでも更新しようと思うのか。

それは心の余裕をブロゴスフィアに残しておきたいからだ。
忙しいかもしれない。でもそんな日々でも俺は楽しめるんだぜ!みたいな精神的強靭性のアピール。
飲み会もほとんど入れてないし、もう徹底的に仕事なる日々。

とか言いつつ、忙しさの合間を縫って、いい加減に先日アタック完了(半年アタックできず)

朝一起きて、
IMG_1763

家から3分の裏山。

IMG_1769

セコセコ登り、

IMG_1793

樹木のアーチを抜け、

IMG_1789

始めての登頂。
何分ぐらいだろうな。20分ぐらいかな。

山のある生活は喜びある生活なのか未だ見えず。
キモチヨイと言えばキモチヨイが、だから何なんだ?感もあると言えばある。
あとさ、山って何だか怖い、動物との急な出会いも怖いし、人も怖い。急に人に会うことも多く、会った人がサイコな人ならどうしよう感あり。疑心持ちつつ、挨拶してみたら、とてもステキな笑顔で挨拶を返され、自分の猜疑心に落ち込む。なんて俺はダメな人間なんだろう。こんなステキな人を疑うなんて、と思いつつすれ違ったあとに、後ろから斧で斬りかかってこないかなと振り返ってしまう俺。ほんとダメだ俺….という落ち込みも山の特徴である。

んで、絶景(って言うほどでもない、低い)で何をすれば良いのか見えず、景色の感動なんてすぐに薄れ、さあ帰ろかな。となる。
景色を見て、自分自身と周囲の世界を三人称的な視点から見ることに意味があるのでしょうか。そういうメタな力を獲得するやら、視点やらで世界を見るために山に登る。それとも俺は世界を獲るみたいな気分になるために絶景を見るのか。俺はこれを見てても、愚民でいいから、そろそろ仕事したいな。となる。
まあがんばります。

日々-京都に住むべきじゃない5つの理由

  1. 冬が寒すぎる
  2. 夏が暑すぎる
  3. 人がイケズすぎる
  4. 観光で渋滞が酷過ぎる

IMG_1563

5, 通勤が楽しすぎて他の街の通勤路じゃ我慢出来なくなる。

 

毎度環境が強力でストレスが高すぎる反面、川にやられる日々。

高負荷と回復の泉が交互に。ツンデレなる街。誰かが京都は「住む街じゃなくて見る街」と言ってたけど、住むと他に代えがたい魅力もあったりする。呑んだくれのオトコと結婚してしまったけど、呑む時のツマミは、いつも私の好きな鯖缶という。そんな街かもしれない。この寒さに耐えれる人だけがその恩恵を享受できるのだ。いつもは呑んで相手にしてくれないけど、たまに鯖缶。ただ俺はそろそろ我慢の限界である。春よ来い!