雑感‐健康に気を使いすぎるのはあまり意味ない

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最近なんですが、どこに行っても「井上健康意識しすぎ」とかさ「井上さんとメシ屋探すの面倒」みたいなことを言われるのだけど僕は健康なんて特段意識してないので、ちょっとまってくれと言いたいですが相手はただの世間話なんだと思うので、それはスイマセンみたいな顔してるのだけど、本当に健康に気を使い過ぎると人生損するよと僕は思ってるので、ここらで健康思考じゃない表明を。

・均衡
自分の経験として「なんでも比率は大体同じに収束するの法則」というのがあって、健康もその範疇に捉えているのですね。
まず均衡のイメージは、働きアリの法則やらを思い浮かべてもらうと近しいイメージを共有できるかなと思うのだけど、今まで小学校を含む学生時代において、クラスの中の人に感じる印象のタイプ比率って同じ感じだったのですね。
例えば40人のクラスで、内5,6人ぐらい気の合う人が居て、7,8人ぐらい嫌いな人が居て、あとは普通であって。
気の合う友達だけで固まって遊んでても、長く居るとあれこいつ性格悪くね?って思う人も居て(多分相手も僕のことを性格悪いと思ってた気がするけど)性格良いなあと思う人が居て、
どこで何をしてても、大体これぐらいの割合に収束するんですよね。
他もこんな風に捉えてまして。良い音楽も2割ぐらいで、2割が超ダメダメであと普通みたいな感じとか。漫画とか芸人なんかも同じで、ざっくりそんなモノサシを持って世界を規定しようと。出来るだけシンプルに捉えておこうと。

・健康
んで、健康もこんな感じで捉えててですね。
2割の絶対に取るべき栄養素や習慣があって6割のどうでもいい栄養素や習慣があって、2割の絶対やってはいけない習慣とか摂取すべきじゃない何やらがあるんだろうなーというイメージ。
そのため2割はある程度意識的に取っておけば良いだけで、そこはちょっと気を使えば取得や習慣にできるので、そこだけ意識しておけば良くてあとの6割は適当にやれば良いかなと。絶対やっては行けない2割も、多く取っても希釈していければ問題ないと思うので、まあそこも取り過ぎたらヤバいけど、別にそんなに気にするほどでも無いじゃん。
という感じに思ってます。
最近ラーメン2回続けて食ったな。と考えれば、塩分と脂質を過剰摂取してるので、何度か湯豆腐とかササミのヨーグルト和えと野菜でも食っとけ、みたいな感じ。

え?十分気にしすぎですか?そうですか。たださ、メシで同じ味のものが続くのがあまり好まずで。カレー2日連続とか地獄であって、こういうのはついバランス調整してしまうが、以外は特に何もしてない。

・損失
そして健康気にしすぎて何が損するのかというと、
これはクオリティの法則なんかと近しいのだけど、80%とか90%のクオリティを出すのに1時間掛かる制作物があるとして、それを100%にするのって倍ぐらい(なんだったら4倍ぐらい)の時間が掛かるの法則と近しい感じで、そこを100にするには爆裂な時間の投下が必要である。また健康は情報が100揃わないので(これが良いとか悪いとか錯綜しまくる)、いつも必死で情報を取得し続ける必要がある。WHOのブックマークは必須だ。そして得られる価値は投下時間の割りに大したことが無い。
健康というのは人生を楽しむためや何かにコミットする濃度を高める手段として捉えるなら、気を使いすぎると、これ大丈夫かなという気になるストレスと、その周りの人のストレスが降りかかってしまうので、そういうのもあまり気にしすぎるのは本来の健康が良いから毎日楽しいみたいなところから逸脱しちゃうことが多いのでは?と思う次第です。

・肉焼
というわけで、みんな気にせず串かつでも焼き鳥でも誘ってください。
ただ焼き肉屋を嫌がるのは、飲みは話をするのが目的で。なぜ目的の難度をあげるのか?肉を焼くというタスクを同時処理する必要があり、焦げないかどうかの視座は非常に高位であり複雑である。という点からの拒否であります。(一緒に肉を焼くという共同作業を通じてもっと仲良くなれるとか言う人には、それが鍋じゃないと行けない理由を一緒に考えることにしてます)
というわけで焼き肉拒否は決して健康のためではありませんので、何卒ご理解いただけますよう。

仕事-成長するって本当に必要?

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本エントリーの結論は「無し」であります。
結論は一切ない。でも今、悩むこともあって、そんなことを垂れ流してみよう。
世界にひとつの謎を。世界をもっと複雑系に。

今悩んでることは、
・仕事をするうえで、成長は必要なのか?
・必要だとして、どんな能力が成長すれば良いのか?
・成長すれば、成果は出るのか?
・人が一番成長するにはどうすれば良いのか?

という点が複雑に入り混じって、なかなか答えが出ない。

ひとつひとつを考察しつつ、最後に「結論は無し」に落としたいと思います・

仕事をするうえで、成長は必要なのか?

本設問に対して、多くの人は「YES」と回答すると思う。
成長は必要であると。僕もそう思う。成長は必要だ。
理由は逆説的なんだけども、まず成長意欲の無くした人(もしくは好奇心)というのは往々にして「問題発見」と「問題解決」する力(もしくはモチベーション)が低い。
そのため成長することが必要というよりは、そういう意欲を無くしてしまうと、仕事における一番必要な能力が同時的にスポイルされてしまうことになる。
そして成長というのは「過去の問題」から何か「教訓」なり「仮説」を獲得することにあり、そして「未来」に対しての問題に取り組むスピードや精度をあげることにある。
そんな観点から成長は必要であれば。

どんな能力が成長すれば良いのか?
必要であれば、その能力とは一体なにか?と言われると、僕は仕事の成果はPDCAしか無いと思ってるのでそのために必要な能力はシンプルにとらえていて。
・PDCAサイクルで必要な能力
1,課題を見つける捜索力
2,仮説の精度と多様な視点
3,実行プランの情報とプランの選択
4,実行プランの検証

というところだろう。そしてそのサイクルを元に、次の仮説へのフィードバックとなる。
たとえばスキルがあれば多様な実行プランを検討できる。
集客をしたいという課題があって、それに対して、どの手法のどのプランを実行するのか?というのはスキルと情報の話であり、
またコミュニケーション能力という(ただのお喋り能力のように言われてるけど)日本人必須スキルも、2.3.4に関連して必要な能力だろう。

そのためスキルというのは、そういう観点から必要な能力はある程度規定されてる。

成長すれば、成果は出るのか?

これは上述のとおりだが、闇雲に能力を上げると、そこがスピードやアクションが止まったりというところの弊害がある。
そのため上述のバランスを見ながら、能力を上げるというのは大事なのではあるまいか。
まず新人であれば、課題と実行のみ重点的に能力をあげるのが効率が良い(仮説の精度が絶対低く、実行プランの選択の決定権は無かったりするので)
意思決定者であれば、課題を見つける力が大事だ。仮説のプランなどは詳しい人に聞けば、わりに大丈夫である。
優先はあくまでPDCAを回すと捉え、その精度と速度があがるのであれば、いつかは成果は出る(当初は出ないとして、いつかは)


人が一番成長するにはどうすれば良いのか?

これが非常に悩ましいのだけど、人が一番成長するのは「失敗」であり、それによる「痛み」だ。
そういう観点から、僕はこの2年に爆裂に成長し、PDCAの回しは非常に強力になった。どれだけ自分の仕事が温かったのか改めて気付いたように思う。もし痛みがなければ、あまり成長しなかったはずだ。(どこの能力が低かったのか分からなかったので)
そういう点を含めて、成長されるのは「アドバイスを与えずに失敗してもらう@事業のダメージにならない程度に」みたいなことを意識的にする必要がある。
ついついアドバイスをしてしまうことが多く、こういうのは非常に難しい。

あと成長とはPDCAの強化にあるので、成長する事を目的におくと、途端に暗雲が立ち込めることになる。「例えば読書をするのが成長に大事」とか「人に会うのが成長に大事」とか、PDCAを度外視して、そっちの優先度を高めると、それを理由にPDCAを回さないという本末転倒なことが起こる。成長して何をするかが問題なので、それらの感覚的に「所詮読書なんて遊び」、「人と会うのは暇つぶし」ぐらいで、何か気付きがあればラッキー!ぐらいに思ってるのが良い。成長という名の大義名分が上段にあると、あまりろくなことにならないよと。僕のようなネットニュース大好きな人はこういうタイプが多い。そして徐々にPDCAが遅くなる。

ということで結論は「無し」で書き始めたけど、わりに結論出てますね。
ええっと、結論は「成長ってわりと大事」でお願いします!あーすっきり!

日々-なぜブログを更新しないのか?

と考えてみた。なぜか?

僕は基本的にどれだけ忙しくても(むしろ忙しいほうが)ブログを更新してたような気がするが、
なぜ更新しないのか?しようと思わないのか?考えてみた。

これは書くネタが無いという人向けではなくて書くネタはあるが、そしてわりと書くのは苦じゃない、なぜか書かなくなってしまった人という、需要渋めのエントリーである。(もちろん需要薄めのエントリーの応報は低アクセスである。無論承知のうえだ)

以下書かない理由を列挙してみる。

・寒いからブログ書かない
これが今までのエントリーで一番の書かない理由にあげていた。家のPC環境が寒すぎたので、ブログを書かないが理由である。
シンプルである。動物的で直感的で明確な原因に思う。そして自分でもその仮説を支持していた。
ただねノーパソを新調した現在も同じく書かない。なぜだ、誰に頼まれたわけでもないのに熱量ぼたぼたのテキストを投下し、誰に拾われことが無くとも回収の見込みがビタイチなくとも、ただブログスフィアの塵になるであろうエントリーだとわかってても、気にせずに爆裂なテキストとエネルギーと顕示欲を投下しつづけた日々よどこに行ったのか。
もしかするとあなたは人は結果の出ない行為を続けることはできない。だって砂漠に水を撒き続けた人は居ない。とか言うかもしれないけど(絶対言わないだろうけど)僕は砂漠に水を撒いて花を咲かすみたいな結果に興味があるんじゃなくても、砂漠に水を撒くときのジョウロに入った水の量とかさ、落ちる水の量と角度とスピードに興味をもつタイプであり、投下テキスト回収率なんてどうでも良かったはずだ。ふーむ。謎だ。

・日々のアウトプットの量が多すぎる
続いて思ったのはこれだ。
毎日ひたすら喋ってる。とめどなく喋る。でもさ、これも原因かは悩ましい。
ブログを書くメリットはアウトプット以外にも大きくメリットがあって、それはアウトプットの量だけで消化されるものではない。
それは思考の整理というとすごくシンプルなんだけども、自分が今何を感じてるかわかるのが書くという行為に思う。
なぜ月一更新になったのか、俺はどこで整理しているのか。それとも整理してないのか。

・恋ができない理由
昔、小説を呼んでて、ある男性が「キミが恋ができない理由は、キミはまだ恋を知らないからだ。」みたいな汗しか出ない文章を読んだ記憶があるんだけど,その構造で言えば、俺がブログをかけない理由は、俺はまだブログを知らないから。ええっと、思いつくままタイプしてみたいけど、全然意味不明だ。どうしよう。

まあ適当に書いて、今回の更新とするつもりだったんだけど、まあ喋ってるのと同じ感じで書いてるので、まあしゃべりモードではないのかもしれないなーぐらいが結論で。
いまは何だとインプットしてることが多い。
世の中は知らないことだらけでありますねっと。

そんなことでそろそろ春ですよ。