Tips-上司と部下の関係をよくする方法

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僕は基本的に会社や仕事の改善をする際は、管理者に厳しく、一般社員に優しい。
基本的に部下やら新人が仕事が出来ない理由は上司の責任だと考えてる。
だって、そう考えないと、物事が前に進まない。

先日も、ある会社の上司と部下の考えの交通整理みたいな泥臭いことをやってて、
僕としては基本的に仕事の細かい部分は書かないのだけども(特定されると申し訳ない)わりと便利なTipsかもと思い文章に起こしてみる。

まず交通整理のベクトルはシンプルである。
・上司は「部下」「新人」とはこうあるべきと考えてる。
・部下は「上司」「会社」はこうあるべきと考えてる。

というところを整理していく。
相手に向いた矢を自分に向けてもらう。「あなたの責任はどこかにありませんか?」「本当にそうあるべきですか?」という風にひとつひとつの内容を整理してベクトルを整理する。

例えば、
上司「部下から連絡がない」→井上「どのような形で何をいつ連絡するように言ってるんですか?」
部下「教え方がザックリ」→井上「仕事なんて教え方がザックリで当たり前。ザックリした仕事を分解して、要件を定義して、すべきことをまとめて、それを上司に、これで合ってるか?と確認するところまでが部下の仕事に僕は思うのだけれども、そこまでやってますか?」

上司「同じミスを何度もする」→井上「ミスは誰にでもあります。ただ同じミスをするのは部下が悪い。でも3回同じミスをさせたら、上司が悪いと思う。ミスをしないような仕組みを作りました?作ったならその制度が悪い可能性は無いですか?」
部下「上司が忙しそうで話しかけにくい」→「上司が忙しいかどうかキミが判断することじゃない。それは上司が判断する。忙しいなら忙しいと言う。それよりも相手が理由で出来ない理由を作るのはやめてくれ」

みたいな交通整理である。
って何か書き出したら、僕が、すごく真面目な人間みたいになってるが、まあ緩い感じでそんな整理をするわけである。
でもこういう整理をしてて思うのだけど、これは基本的に対人関係のすべてに思う。
恋人なら恋人とはこうあるべき、家族ならこうみたいな話だ。
「彼氏ならメシおごるべき」「彼女なら晩飯作るべき」「日曜遊ぶべき」「違う異性と遊ぶべらず」だとか互いが互いの「普通」というルールを相手に要求する。
そしてそれらの普通が普通のズレを生み、言い争ったり、やりあったりすることになる。

まずどのような場面でも、「普通」を定義づける、「普通」を懐疑してみる、「普通」を相手の立場から見てみる、という「普通」が本当に「普通」なのかというのはどのような形でも有効に機能する検証のように思う。
こんなのはご近所同士でも、マナーでも外交でも同じなはずだ。
こうあるべき。互いの普通の考えが軋轢や争いを生む。

冒頭のクダリと矛盾するかもしれないが、僕は上司には「部下の視点」から追求し、部下には「上司の視点」から追求する。
彼らはともに、ひとつの視点からしか物事を見てないことが多いので、多様な視点を相手にプレゼントして、今後の改善を一緒に考える。
「それであれば報告方法を決めちゃいましょう」とか「ざっくりした仕事は、これをすべきですね?と確認しよう」みたいな話になる。
これは関係改善に大きく寄与することがほとんどだ。もちろん対人なので好き嫌いというのはあるので、そこらも勘案が必要だが、まずはチームとして機能するように整理をするのが肝要に思う。

ちなみだが、僕はこれをタッチポイント以外の視点と読んでるのだけど、これは役職だけじゃなくて、職種などにも有効である。
人は自分のタッチする部分でしか物事を見ることができないという法則であり、例えば会社で「顧客対応」をしてる人は、「顧客」の視点からモノを話してくるし、「営業」の人は「営業」の視点からモノを話してくる。
それらのポイントから全ての内容を規定してくるので、こんな視点入った上での話ですか?という指摘をするのは有効である。
もっと言えば「財務」の視点だとか「コンプライアンス」の視点だとか「ジェンダー」の視点だとか、多様な視点で物事を検証すると、わりと解決が見えてきたりする。

普通を定義する。ところから議論をスタートするのは有効な施策かなと日々思うのでオススメしたい。

日々-雑談の難しさについて

日々多くの雑談機会がある。
「雑談なんて俺はできねーからパス」と自分のスキルから場を拒否したり、「雑談の場に近寄らない」なども対策を施すという状況になく、日々そこに「雑談」は存在するのである。それが僕の今週の仕事に付随したことである。

さて、と。
さてとなる。だって、なにを「雑談するか」なのだ。行動が必要とされる。
多くの雑談相手は若い女性であり、オシャレに興味があり、身なりの整った人たちだ。
そういう人相手に、俺のもってる武器は貧相である。
まず俺の手元の武器を整理してみると「ビジネスネタ」「ゲーム」「読書」「ランニング」「アメトーク!」「スポーツネタ」ぐらいのものだ。もちろん「旨いキャベツの食い方」とか「童貞の見分け方」とか「無宗教な日本人のリーダー論?」なんかの最近の話のネタもあるが、軽い雑談に使えるわけがあるまい。これらは限定された箇所しか活きない武器である(どこだろう?)というわけで、俺の使える戦術は相手の興味の源泉を探って、それを掘り当て、俎上に上げる作業だ。ただ興味の触り方はググっと入ってはなるまい。あくまで波風を立てず、静かに、出来るだけ自然にコトを進めなければならない。間違っても「会話を探してる」という自体は避けたい。望むは「あれ?知らない間に会話が始まったな。」である。

そのため「彼氏」がどうとかの深堀りする必要が高まる恋愛チャネルや、「ファッション」がどうとかの露骨な話題Searchは避けなければならない。
ということで必然的に、やんわりと、彼女たちの精神性とはあまり関連のない「バイトって週何回はいってんの?」とか「学校で昼飯どうしてんの?」だとか、どこにも辿り着かないが、回答のしやすい会話を展開する。

「女性」は、なんて女性をまとめて語ったりは出来ないし、するつもりは無いが、多くの人たちは会話のラリーを続けることで場の安心が高まるし、その場の満足が高まるように思う、それは場の予定調和というよりは、場を快適に過ごすためのストレッチみたいなモノで。この場は安全安心ですよ。誰も攻撃する人は居ませんよ。という空気の積み重ねである。そこにほんのり笑いを入れていくと、それでいて楽しいという感じにはなるが、あくまで笑いは副次的なモノで、間違っても笑いを取りには行かない。
自分の昨日こんなことがあってん。みたいな自分会話もしなければ、滑らない何かを披露することもない。静かにキャッチボールを繰り返すだけである。変化をつけず、ストレートに相手の胸元をめがけて放物線上のボールを投げるだけだ。

さっきのバイトからの雑談であれば「バイト何回?」→「3回。最近もっと入ってってめっちゃ言われる」→「忙しいんだ?でも入ってって頼りにされてんじゃん」→「人居ないだけだよ」→「スゴいと思うけどね、なんの仕事してんの?」と続く。

そういういくつかのコードを踏みながら進める難しさが雑談難度のひとつ。
もうひとつは、すごく話が面白い人が居たりすると、盛り上がってしまい、これまた仕事にならない。
相手がシモネタをガッツリ投下してきて、こっちも応戦しちゃうと「へー、でどうなったん?」「うそん、マジで。」みたいな感じで。飲み屋ワールドが立ち上がってしまう。これも自省せねばならない。俺は静かに雑談を繰り返しつつ、日々の仕事のパフォーマンスを落とさないように、そつなく行かねばならずで、大人しく遂行する必要がある。

というわけで日々マントラ(呪文)のように以下を刻みつつ。
「自分という存在は、会話する人間なんかじゃなくて、オウム返しするただのアルゴリズムである。間違っても感性や感情などをもちあわせていないただのテクノロジーである。」と呟きつつ、盛り上がったり楽しんだりしちゃいつつ、日々難しい雑談をこなす日々だ。仕事が溜まる溜まる。

ただこれはわりと経験値は上がってるような気がするが、接客業の予定も無いので、使い道はあるのかよくわからない感じである。とか言いつつブログ書いてるしアウトプットしたくなってんのかもしれない。

日々-肉をあまり食べない人がラーメン二郎風ラーメンを食うとどうなるか?

答えは、36時間以上、食欲が減退し、目の焦点が定まらない。である。
俺のミスだけども、俺のミスでラーメン通に行くことになって(京都一乗寺)なぜか一番コッテリを食べることに。

事の発端は(事件の始まりは)先日、京都のある大学を視察し、視察の内容を元に打ち合わせをしよう。その前に昼飯でも食おうぜ。という段で、ちょっと僕が一度家に戻らねばならずで、それなら折角だし、井上家まで送って、みんなで一乗寺でラーメンでも食おうという流れに。ちょっとマズイ雰囲気だなあ。とは思うも俺の都合で家に戻って、俺に選択権など無い。
店の内装もノリもすごく啓発地味た感じで、その頑固そうな説教が好きそうなオヤジさんが出すラーメンを見て、震え上がってしまった。丼から具材が溢れ、汁は脂が浮き白濁し、トロトロのチャーシューが並べられてる。そのラーメンを食べる前に、僕のささやかな食欲は尻込みし、そんな食欲を何とか鼓舞する。「キミは昔、天下一品でコッテリラーメン食ったことあるじゃないか。汁はムリだったけど食った。まずは一口頑張ってみろよ。やれば出来る。ラーメンこそ漢(オトコ)のメシなり!!!」
・・・・やはりですね、こういうラーメンは、10人に1人ぐらいが最高のラーメンと評するラーメンであり、凡人には挑むことすらムリな代物である。
まず豚の匂いがダメな人間があのトロトロチャーシューは苦行である。何度かチャレンジして食ってみるけど(驕って頂いてるので・・・感謝!!!)ぐぐう。うっぅ。
外に出て、清涼飲料水を買って、一気で飲む。その後の車中からその日の夜、翌日の夜まで胃はグロッキー。
俺は男性メンバーでどこに行くにも断らないようにしてるのだけど、今後ラーメン二郎風のラーメンは断ることに決めた。いやその前に仕事中に自分の家に戻る用事を残さないようにする。それしかない。

そういえば苦難続きで、その前の日に神戸のIKEA周辺で仕事をしてて、周辺にメシ屋がなく、仕方なくハンバーグチェーンに。
俺は肉をあまり食べないだけで、嫌いでも無いのだけど、ハンバーグがなかなか(魚のミンチも少し苦手でつくねも苦手・・なぜだ)

ただね、このハンバーグチェーンは最高であった。ここはカレーが食べ放題なんですよね。あとスープも。
日替わりを頼んでハンバーグを残して、ご飯とカレーとクリームスープを飲むというワザにて楽しい昼食に。
そんなスゴい店はここなり。
ハンバーグ苦手だけどハンバーグ屋に行く必要が。という人にはビッグボーイをオススメ。
ほぼ肉ナシのカレーと、具が控えめなクリームスープという胃に優しいお昼を満喫できます。是非。

Tips-相手がどんな人か知るための質問

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日々、色んな人や初対面の人と話す機会は多い。
そんな中、相手を知るための質問というのがあってそんなことでも。
(あまりそういう質問をしないのだけど、どうしてもする必要があり)

まず逆説的ではあるのだけど、「人に聞いても無意味な質問」というのがあって、
まあ無意味とは言えないのだけど、あまり聞いてもその人のことを知ることが出来ない質問というのがある。
それは「あなたはどんな性格ですか?」とか「自己PRをしてください」だの、自分が自分をアピールする質問である。
「僕は明るい性格で…..」なんて、こんな質疑はただの消耗である。厚顔性を見極めるなんかであれば使えるのかもしれないのだけど、基本的には無意味に思う。
明るいの定義も無ければ、どんな時に明るいのかなどなどよく分からない。

それよりも相手を知るための質問はもっとシンプルである。それは「○○について思うままに喋ってください」である。
別に芸能人でもいいですし、食べ物でもいいですし、友達になれないタイプでもOKである。
その対象物との興味でも考察でも、好き嫌いな所でも、対象との距離感でも話してもらえれば、多くの事は分かる。その対象から、その人は何をピックアップして、何を掘り下げて、何を捨てて、何に喚起されるのかなどを聞かせてもらう。

例えば「AKB48」について俺に思うままに喋ってくださいでも、「カツカレー」でも「地方再生」でも「病棟の夜勤勤務」でもなんでもいいのだけど、それらについて語ってもらえれば、何にどれをどれぐらい掘り下げて、掘り下げないのか、どこまで横に繋げるのかなどから、おぼろげな彼(彼女)の性質の輪郭みたいなモノが出来上がる。
そういう輪郭がつかみ、もしその人に興味を持ったのならば、そこから当たりを付けて、色んな質問をして、その輪郭をもっと正確にもっとクリアにしていく作業を進めていけばよいと思う。そういう初めの輪郭を描くにあたり、こういう質問は、大枠のパースペクティブ(見通し)を立てるにとても役に立つ。相手もあまり事前に質問を予想だてて準備できないので、そういうのも良い。人はあまり「カツカレー」について考察してないはずだ。

相手に対し趣味の質問だとか、休日何をしてるだの、どんな性格ですか?とか環境によって変わるというのもあるし、また人の性格を構成する要素は、本当の意味で固まって動かないモノではなく、性格を構成する多くは自分に与えられた役割を演じててそれを性格だと自分もまわりも認識してる事が多い(例えば学校の教育指導の先生ならその役割を、一家の大黒柱は大黒柱性を演じつづけることによって脳がそれに最適化して、性格(のようなもの)になって表出する)

それ以外の相手を知るための質問も考えたみたのだけど、昔「相手の聞いてる音楽と服装を見れば大体分かる」ってのがあったのだけど、こういうカテゴライズって、便利は便利なんだけども、彼(彼女)の何かを一般化することによって見落とすことが多く、数年前にそういう先入観を捨てることにした。そういう切り方は対人関係としてフェアじゃないのではあるまいかと。
そういえば食通で有名なフランスの政治家サヴァランは「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう。」と言い放ったと言われるが、そういうのはなんだかカッコイイ。

という感じで、皆さんもコンパとか新人歓迎会とかあれば、そういう観点から相手に質問していくと、相手のポイントの捉え方によって合うなとか、その発想は無かったなみたいなことで仲良くなれる人が早めに見つけることが可能に思う。出会いの季節にお試しあれ。
基本的に対人力向上は、こういうのは仮説を立てて、検証するという繰り返しであって、色々とやってみると対人力にもなるんじゃないかなと思う(昨今は異常なまでにコミュニケーション力を求められるので)ただあまりに人に踏み込むといろいろ大変なので、注意深く検証をしてみると良いと思います。

雑感-テクノロジーの進化はどこまで必要か?

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子供のころ読んだドラえもんぐらいから喚起されてきたお題ではありますが、この10年ぐらいのテクノロジーの進化で僕らの生活はどれほど良くなったのかなと。
とはいえ、今更テクノロジーの進化の不要性を叫ぶなんて、ナイアガラの滝とか、巨大扇風機の前で「資本主義反対!!!!」とか「恋愛結婚禁止!!!!」を叫ぶみたいなモノで、誰にも届かず、まあどこにも辿り着く話じゃないというのは重々承知である。

でもさ先日のニュースで「1分でスマホが充電できるバッテリーをスタンフォード大学が開発」というニュースがあり、これには省電力の観点やら医療用機器に使えるなどの用途もあるとは思うのだが、自分としては、そんなことになったらイヤだなあと。
スマホの充電が切れて、ようやくスマホから開放される瞬間、たまにどっかで充電が切れてくれる有り難み。スマホの充電が切れる画面を見ると、永久にお休みな。もう二度と立ち上がらないでくれ。みたいな感情を抱くことってあって、もうみんなが選ぶニュースとかSNSとか要らない。いつ開いても神経症的にしつこく、眠らないタイムラインを見てると、心底ウンザリしてくる事がある。見なければ良いということなんだけど、まあ見ないとなあ。という感じだ(スマホから仕事の情報は全部確認出来る)

今までのテクノロジーの進化の定方向といえば、
・もっとハイパワーに
・もっとスピーディーに
・もっと低コストで

という進化を元に、
・あらゆるモノがデータに変換する
・あらゆるデータがどこでも取り出し可能になる

という拡大をし、それにより我々は「時短」「便利」「ローコスト」などを享受したきたのがこの10年だろう。
ただそれのデメリットをこう考えてみるといろいろある。
今気づけば、今までのいくつかの選択は減ってしまった。
音楽はプレイリストからシャッフルになってしまった。
まだ自分の読書ライフにテクノロジーを介在させていないのだが、以前友人にKindleを借りて使ってみて、これはちょっと本を持つのメリットよりもテクノロジーが勝ちそうだなという印象をもった。
こうなると、多分だけど本は捨てる選択肢はなくなるはずだ。この本を持っていようかなあーという選択は人生に置いて、大切な決断だったのだが、置き場所に困らない以上、残すことになる。

でも、こんな風に便利になって、効率性が高まった先、利便性を突き詰めた先に何があるんだろう。とふと思ったりする。世のテクノロジーの進化はまだまだ止まらないと思うのだけど、テクノロジーを使うこちらの脳のスペックは変わらないので、その分なにか考える時間でも増えるのだろうか。
その進化によって、我々はどんな選択が残って、何を感じる必要があるのか。そしてそれはHAPPYなのか。

そんなことを考えてると、ビジネス書しか読まないビジネスマンなんかを想起しちゃう。彼らも定方向の進化形態である。
小説とか自然科学の本とかは、時間のムダ。読むはビジネス書のみ。右手にフレームワークで左手に論理である。それらに掛かれば無駄は削ぎ落とされ、重複は削除され、情感は制御される。そこから出てくるモノは決まった形の決まったアウトプットだ。
そういうアウトプットって、ひとつひとつの物事を良く見てるし、納得感もあるのだけど、それだけじゃないだろう。みたいな感慨を抱くことは多い。
平坦で奥行きが無いとまでは言わないけど、どっかで聞いたなあ。みたいな既視感。長くアウトプットを見続けると、もうそれはいいから部屋に帰ってゆっくり風呂でも入りたいなあという感じがしたりする。

ただ最近はテクノロジーを使った楽しいサービスも増えているのを紹介したい。
例えばairbnbやら、クラウドワークスとか、僕好みのサービスがいくつか出てきたのでそれは純粋に嬉しいし、サービスの手触りとして悪くないように思う。
まだまだ問題だらけだけども、便利って方向の進化じゃなくて、何か新しい体験みたいな感じで可能性を感じる。

ゲームもマッチョな進化の先に何にも無かったように(MAGがあったのは忘れないが。あれはマッチョイズムが無いと出来上がらないゲームだ)出来れば定方向の進化以外の効率性を度外視した、全然便利じゃないけど、何か楽しいサービスが色々生まれると嬉しい。そんな未来を望みたいなあという。自分もそんな未来に寄与したいなあ。誰も便利にならないけど、何か楽しいサービス作り。ついつい便利なサービスを作ろうとしちゃうんだけどなあ。

Tips-食欲を制御する方法

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最近仕事をしていて、自分は食欲をコントロールすることが出来る人間なのではないかと。悟り的に感じまして。そんなことでも。
というのも、毎週の金曜日は定例会議をやってるのだけども、スタートが夕方17時みたいな感じで遅めなのですね。
終わりが21時ぐらい。というわけで結構お腹が空く時間帯なのであります。

会議は、お菓子とかパンとか食べながらのゆるい会議なんだけども、自分としては何かあれば食べるし、なければ我慢出来る。
というわけでいつもの如く、結論は無く、書きながら結論を考えてみよう。
どうすれば食欲を我慢できるのか?なぜ僕は我慢出来ているのか。について。

なお前提としては僕の意志は非常に貧弱でありまして意志の力は介在してないように思う。
あくまでテクニカルな手法にて食欲制御。

1,食欲を蔑む
この意識付けを持ってるところは前提としてあるかもしれない。
僕は小学3年のころから、食欲をベースに行動する同級生をすごく蔑んでまして、それが一番大きい。
給食のオカワリジャンケンとか、思いっきり蔑む日々。給食でデザートのアイスクリームが余って、必死の形相でジャンケンに勤しんでる人を見て、細い目をして眺めており、食欲が我慢できない人というのはどういう顔なんだろう。とか観察してた。
そんな日々を生きてるとですね気づけば、小学生が大好きなカレーライスとかハンバーグが嫌いになる(みんなガッツクから)ほどにコジらせてしまってたので、そこまでやるのはあんまりだと思うのだけど、子供の頃はそれがありまして、蔑むはすでに無い感情だが、今でもガッツク系は警戒する、グルメ漫画は好きだが、これとか警戒MAX。飢餓時代の食欲ならまだしも飽食の食欲なんかに自己の主の理性が負けるかってーの。というところが動機のスタートはあるかもしれない。
でも一杯食べるのはエライ!みたいな文化に育った人は、ちょっと難しいと思うので、あくまでひとつの例としてお考えいただきたい。今は食べる人を見ても何とも思わなくなってしまい(どちらかというと気持ち良い)こういうのは慣れかもだが、出来ればガッツク自分を出すのは避けたい。

というわけでこっかがらTips本番なんだけど、

2,美味しいを定義する。
まず思うのだけど、味とは何か、美味しいとは何か?を勝手に定義するならば、
美味しいは2つに分かれる。まず先天的に美味しいと感じるモノと後天的に美味しいと感じるモノ。
前者は動物本来のモノであり、後者は食べる経験を通じて、学んだ美味しさだ(美味しいと判断したものだ、脂とかが代表例)
まずそこが大事で、前者の甘味や塩というのは人間がわりと我慢出来ない類のモノだと思う。脳みそにダイレクトに届き、そして刺す。強烈な殺傷能力である。刑務所とか自分でメシがコントロール出来ない人が一番メシにおいて欲してしまう味が甘味で、続いてが塩だという。
ただこれらはすぐにインフレ化する(慣れる)ので、インフレ化しない方法が必要である。
美味しいかどうかを信号の強弱のみにしてしまうと、高濃度のモノしか受け付けられなくなる。自分が美味しいと思うかどうかを「調和」に重きを置くと非常に日々が楽になる。外食産業の多くはこの刺激の強化で味を出してくるので、外食産業のチェーン系のメニューに舌を慣れさせない。小腹が空けばまともなパン屋のパンとか、果物とか、豆系のモノとか、刺激はゆるいが味として美味しいモノを食う。それしか無いと思えば脳はそれに最適化される。そして少ない量で満足できる。

3,未来を想像する
それらを食べた後に来るダルさみたいな未来は常に想定しておくと、わりとセーブが効くようになった。何かを食べるということは、舌と脳はそこで仕事(快楽)は終わりだが(唾液の分泌があるけど)、そこから臓器の消化という物質の分解タスクがスタートされる。そこに脳のリソースやエネルギー投下と収縮運動にて、常に食べる生活だと慢性的に臓器疲労みたいな状態になる。臓器は常に寝不足みたいな感じであり、それは体の随所で不調を感じる(と僕は思う)朝も起きにくいし、胃も臭いし、身体が脂でベタベタするしと、わりと悲惨な感じになるのだけど、臓器がずっと疲れると、わりとイライラする。そう思うとアルコールの摂取と似てて、今は楽しいが、あとでしっかりと快楽の取り分を取られるのだろうなという感じが常にメシを摂取する生活に思う。

こんなことを書いてますが、しっかり5年前は太ってまして、まあすぐ太るので注意しとかねばというところで。
でも太った時のデメリットって何かあったかなと思うと、あまり思い出せず。ストレス耐性が低かったような気がしますが。ただそれもストレスが多かったから太ったとも言えるかもでよく分からず。若いうちは太っても特別にデメリットは無いかもなので、好き好きに!俺も飲むとチップス系のスナックを食べたくなるので、なかなか制御出来ずであくまで理性が標準ならという話で。

日々-春のこもごも

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どこの地域でもだと思うのですが、桜満開であり、
まず自転車は沿道スピードを出せない時期に。混みがすごくなり、5分早く出る生活はわりに大変。

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そして毎朝桜やら梅やら満開ランニング。
この池の辺りにブクブクに太ったアヒルが居て、僕はそのアヒルとこの冬をともにしてきたのだが、
このアヒルはみんなが触れるところに縄張りを抱えていて、春になり多くの人がアヒルを触ったりしつつ一緒に写真撮影が行われ、
アヒルもあまりにみんなが構ってくるので、疲れがひどそうで冬がようやく終わったと思いきや春も大変そう。ただ縄張りは一向に変えないので楽しいのかもしれない。

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んで満開のなか、毎度縁側。
こちらは悲喜の喜。どこにも居ない時は、大体縁側であり、ただこの季節が終われば、辛い夏が待っており、今だけの喜びのよう。

日々-なぜ自分の話が分かりにくいのか

昨日のエントリーで「時間に追われて書いたエントリーを後で見ると落ち込む」と書きましたが、実際に再読して落ち込んだのか?と言われると、思いっきり落ち込んだ、途中の移動時間で携帯からどんなエントリーだったっけ?と読み返したところ、ふぐぐ。と思いましたが携帯から記事削除するのは面倒で、諦め。
とはいえあまりにあれなので、先ほど昨日のエントリーの問いと解いの関連性を明確にし、何がどこに修飾してるのかを分かりやすく移動し、不要な記述を削除し、何とかかんとかして、それなりの体裁を。

こう自分の文章(や自分の話す言葉)の分かりにくさがどこにあるのか?を改めて考えた時に、そういうテクニカルな部分もまあそうなんだけど、一番は
・一般的に誰が何を知らないのか、よくわからない。
→プラス僕の知ってることぐらいみんな知ってるだろう。
→プラス自分が考えたことぐらいみんな考えてるだろう。
という所にあるような気がする。

自分が書いてる時は自分で文章を読み直しても意味は分かる。なぜならその時自分は、その文章に応じてその文章における思考のプロセスを経て文章を書いてるわけで、意味はビシっと分かる。ただその思考をたどってない人からすると、よくわからんの文章に見える。前提がどれ?みたいな感じで。
なので自分でも時間を空けて自分の文章を再読すると、一体なにが言いたいのだ?という感じであります。自分の後日文章の場合、書いてる時の思考のプロセスが排除されてるものだから(そして俺もどんな思考をしたのか忘れてることも多く)その思考が辿ったであろう道を予想しつつ、補完しつつ読み進める必要があり、なかなかに骨が折れる読解となる。
自分でも難解な事も多いので、他の人なら尚更だと予想。

普通にエントリーを書いてる時は、もう少し時間があるので、わかりやすさを心がけているのだけども、まあ時間が無いとあんなものであります。
そして多分誰かに対して話す言葉もあんな感じなんだろうなと思う。
文章であれば「推敲する時間を取った文章を書こう」かなと思うが、人への説明はどうすれば良いか。
分かりにくい人というレッテルで生きるか、5W1Hぐらいからスタートするか。もう少し検討してみる。とはいえ説明するために冗長になるのもイヤであり。悩ましいところだ。

仕事-差別化しないことも大事

日々仕事において何か仕組みとかサービスを考えてると、差別化というのが非常に大事なポイントになるのですね。
「いかにブランドを構築するか」でもいいですし、「いかに他と違うことするか」でもいいし、「トンガレ」でも良い。
「振り切る」でも良いし、「オリジナリティ」でも良い。

なんでも良いのだけど、仕事において、いかに突き抜けるか、振り切るかが大事というワードを散見するのだけど、これだけが前に出るのはあまり良くないのではと思ってます。
確かに世の成功事例の多くは、突き抜けたり、尖った結果、成功したかのように書かれていることが多いのだけど、その因果関係ってどこまで正確なのかちょっと怪しい。
あたかも成功した企業は、とんがって、差別化だけを常に意識したから成功したみたいに言われるのだけど、それは結果が出てから、その突き抜けの論を補強しただけに過ぎず、実際は営業力が鬼のように強かったりとか、丁度良い位置に付けてて、ネットワーク外部性が効いて、それで成功しただけみたいなことも多いのではあるまいかと思うところであります。

そもそも何故突き抜けるやら振り切るやらを人が言いたいのかと言うと、
・考えないで済むから

なんだよなーと思うところです。
日々責任者として色々とやってるとなんだと決めることが多いので、振り切るで意見を固めると、決断のスピードがすごく上がります。
○○がコアですね。ではそれで振りきりましょう。となると、マジで考えなくて良いのですね。
例えば、当飲食店で「うちは、おもてなし」で行きましょう。おもてなしで振りきりましょう。となると、途端に判断が不要となって、あたかもおもてなしでブランディングしていけば、成功するかの如くなんだけども、おもてなしで効果を発揮するのは「リピート施策」なんですよね。2回目に来る人が再訪されるがための施術なので、そこを突き抜けて行って本当にユーザーが「おもてなし」を理解するまで突き抜けられてオリジナルになるかというと、なかなかに難しい。だって他の外食産業もかなり「おもてなし」は強い、ならユーザーはおもてなしで金を払うのか?となると悩ましく、そんなおもてなしが欲しいなら高級料亭行くわとなるので、価格のレンジとおもてなしの刺さり具合はわりに難しいのではないか?と思う。粗利が大きく取れないとスタッフの教育コストや採用方法なども絡まって、なかなか難しいポジショニングを取っちゃう。

とかゆったりとブログを書いてると打ち合わせの時間が迫りつつ、足早にまとめよう、
で、なら何が大事かというと。

・1つが他に波及して効果が出る施術を考える
というのと
・ユーザーに直撃で売上に繋がることを考える

のふたつが大事だよーと思ってるところです。
ひとつめはですね。自社サービスにとって一番大事なところを決めて(振り切るとか言わずに)その大事なところを伸びるがための方法をいくつか考え、そのなかでもひとつの施術をすれば副次的に他も波及して、最後は自社サービスが強くなるみたいな仕組みを考えるのが良いのではないかなと思ってます。ここで大事なのは間接的に効果が波及するコトと、また運用コストがいかに低く設計できるか?が大事だなと思います。事業をしてるだけで勝手に仕組みが動いて、その仕組みを経て、自社の魅力が高まり、ユーザーもHAPPYだよね。みたいな体制です。
例えばなんだろうな、いま思いついたのは新品のミニ四駆販売店でお客さんが当店で買ったモノは購入価格の3割で買い取ります→ユーザーは3割りで確実に買ってくれるから他で買うよりも嬉しい→店は買い取って売れば利潤も高い→ユーザーは中古の豊富なお店のイメージ→中古を買っても中古を売れて、みたいなサイクルをイメージ。
これだと新品を普通に売るだけで、どんどん自社の魅力が高まるので、乗っていけるように思うのですね。
ここで振り切ると「中古半値で買い取ります!」だけを全方位で押してしまって、買い取りショップ?みたいなことになるのではないか?というのも多く感じるところです。
メインは新品を買ってもらいつつ、中古を買い取る仕組み作りなので、そこのバランスは上手に取るのが良いのかなと思ってるところです。

っと、2個め書く時間が全然ない。遠回りな施策は後でやればOKってことです。振り切るから全部やるべきじゃなくて、ブログとかSNSとかあとあと効くモノはあとからやれば良い@暇な人が居る会社はOK!(店舗運営スタッフの空き時間とか)みたいなことを掘ろうと思いましたが、時間が無くなったので各自お考えいただけますと。

ただこう時間に追われて文章を書いて急いでアップしたエントリーは、あとで見返すと、自分の文章のヘボさと論理の甘さにウンザリすること多々。
しゃべりと文章が大体同等クオリティなので、人にこんな感じで喋っているんだなあーと思うと、ひどく落ち込むところだ。
とはいえ先日のエントリーにて出来るだけブログアップすると書いた手前、落ち込み予想が立ちますが、アップして落ち込みを待ちます。