日々-関西弁


・8mile Final Rap【関西弁Ver 】

YouTube見てたら、発見したので、シェア。
8mileのRAPバトルを関西弁で翻訳。スラングばかりだろうし、フル意訳だと思いますが(look,lookでいっちょカマしたろかはさすがにあれですね)ラップと関西弁は相性が良いのですね(とかこんなことを書いてると大体元ネタがあったりするのだけど)ためになりました。関西弁の需要が、こんな所にもあり何より。
ちなみに小説で言えば俺はキャッチャー・イン・ザ・ライを関西弁で読みたいんですよね。ホールデン・コールフィールドくんの関西弁版を見たい。ハイパー能弁性と関西弁は相性が良いように思う。

ただ8mileもう12年前て。

8mile
嘘て言うてや。
人生一度きりや。チャンス掴めや言うてたEminemハンが12年前やなんて・・・。
バスの中でリリックをメモってたあのEminemハンが、とんねるずのカメラのレンズを飛ばし芸の天丼Eminemハンが12年前の人やなんて。嘘や。嘘や。何かの間違いなんやでー。

日々-オコエくんに会いに行く

甲子園にハマる年とハマらない年があって、今年はおもいっきりハマる。
3年に一度のペースでハマり、今年は予選からカブリツキで見てる年だ。

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というわけで、甲子園に。
甲子園は地元であります。実家は甲子園から歩いて20分ぐらい(多分)
勝手知ったるノリで行くも。内野は満員なり。
清宮くんじゃなくてオコエくんにしたのに・・。

外野(無料)も入ってすぐに満員御礼に。
甲子園ってこんなに人気コンテンツだったのか。自分が高校の頃は暇つぶしと言えば甲子園。ぐらいだったんだけど、今年は清宮くんフィーバーで、そんな甲子園人気じゃないんだろう。
普通に考えると高校生が野球をしてるだけであって。と思ってたが、毎年実況までやってるし、国民的な人気スポーツとして認識しなおす。
あと俺は近所の少年野球でも少年サッカーでもついついヒマだとずっと見てしまうので、スポーツを見るという行為が好きで。プロだから見てるわけでもないのかもしれない。そしてそれが多数派なんだろうなと。

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7年ぶりぐらいに甲子園に行って感じた変化。
・飲食店が超充実してる。
・トイレがキレイになってる。
・満員甲子園での喫煙所(8畳ぐらいの部屋)が煙幕みたいになってる。前見えるの?レベル。ここでタバコを吸うという行為は嗜好なのか罰ゲームなのか。服は一発でダメになりそう。
・観戦時の↑横の写真と縦の写真、どちらが迫力あるのだろうと思って。縦という結論に。
・売り子の数、増えすぎ。ビール売りすぎ。
・外野無料はいい加減やめたほうが良いような気がする。俺は金を払ったほうがコンテンツを真剣に見る派なので、無料というのがあまり好きではない。テレビでこんなにやってるし無料にする意味あるのか。500円でも取って1万人なら500万だし。高校生が甲子園アタックって楽な運用なんでしょうか。
・甲子園のエンターテイメント性は上がってる。写真撮影やら記念館やら色々と充実。
・昔は付近のメシ屋もグズグズだったけど、充実してきてるような感じが。

あと観戦記だけど、オコエくんの、あのダイビングキャッチ見れなかったのな。あのスーパープレイを見ずに、オコエくんの内野安打を見た。初めての一塁スライディングだったとのこと。ありがとうございました。
ただサヨナラホームランは痺れた。甲子園が静まり返る。何が起こったのかわからず。そして一呼吸置いて、大声援に。
テレビだとフォーカスされるのですぐにホームランと分かるのだけど、あの感じは凄く良いですねと。

雑感-普通の顔の定義

普通の顔の皆さん、こんにちは。
普通の顔(多分)のイノウエがお届けする普通のブログです。どうぞよろしく。

日々、世間話程度に女性から恋愛相談なるものを受けることが多いのだけど、彼氏の居ない女性から「彼氏が欲しい」からの「どんな男子がいいの?」で出てくる男子という基準で一番多いのが「普通である」ことに最近気づいた。
流れとして、
井上「どんな人がいいの?」
女子「普通でいい。普通の顔で普通に喋れたらいい」
井上「どれぐらいの顔?」
で出てくるのが、
・オードリー若林
ぐらいが出てくる率たかし。
俳優だとあまり知らないのだけど、
・田中圭
とのこと。
それをパソコンの画面に映しながら「これがいかに普通の基準を上回っているのか」を彼女に伝えることは可能なのか?多分ムリだ。彼女は夢想しておる。でも多分不可能でも、いやほぼ不可能に近い位置するのかもしれないが、それは誰かがやらねばならない。現実の標を俺が打ち立てる必要がある。そしてそれは俺しか居ないのだ。

というわけで
僕は色んな例えを使って、彼らが以下に優れた顔面の持ち主かを伝える。
彼らは偏差値で言えば軽く60オーバーである。
関東で言えばMARCH、関西でいえば関関同立ランクを普通と言っておる。
関西の野球で言えば、堺東とか金光クラスである(履正社や桐蔭ではない)
ゲームで言えば、バハムートラグーンとかキャプ翼4ぐらいに位置する。名作ではないかもしれないが、どうみても佳作である。

ちなみにたまに星野源とか嵐櫻井くんとか出てくる始末・・。それ名作やないかと、現代が産んだひとつのカテゴリに位置する星やないかと(掛けたわけではありません)
あんな優しそうな顔が家に居たら、どうやっても和む。常にこたつと餅と猫と無印クッションが家にあるようなモノだ。いやパルム(アイスね)と熱帯魚ぐらいつけてもいいかもしれない。
尺度評定を外さないことで定評の僕が普通がどれぐらいかを伝えさせていただく、学校の20人クラスの丁度10番目に位置する、びっちり普通を定めさせて頂くと。
芸人なら
・パンクブーブーのでかい方

ウーマンラッシュのコミカルな方

・カウカウのよしくん

よしくんは少し男前寄りですが、ぽっちゃり含めて、平均と設定させていただきたい。
オードリ春日も男前指数57の強者です。あれは超イケメン漫才コンビと考えて頂いて間違いない。東野幸治さんも普通の顔かなと思う次第です。はい。
俳優は全然知らないけど、新田(新太?)さんとか、生瀬勝久さんが中間でしょうか。ちょっとイメージまで判定できないので、こちらは自信がありませんが。

色んなテンポと口調と語彙を用いてフツメンを伝えたのだけど、伝わってるのかあまり自信が無いけど。そのように伝え終え。

あと相談聞いてて思うのだけど、上述の普通に話せたらOKというのがあるが、普通に話というのが男女に大きな隔たりがあるので。
こういうのもイチイチ言語化した方が良い。
女子の話すは、すなわち「話を聞く力(ヒアリング力)」「相槌を打つ力(型踏襲力)」「裏を読む力(機微察知力)」の3つが必要だ。
この3つを備えてる時点で男子として有能である。
出世はしないかもしれないが、少ない能力の持ち主である。
比べて男子の喋るというのは「オチを付ける力(笑わせる力)」を持つかどうかが話せる力となる。そして笑わせも多様な術の多くをいうのでまた難しい。

そしてそこに年収も500万でとか言い出すと、そんな男が居るのか。
そんな男が普通に居て、それで今もフリーである確率なんて、0に近い確率ではないのかなと。と思う次第です(プラス、今彼氏が欲しくて悩んでる人を選ぶのかという厳しい問題も合わせて提示されます)

ただ思うのだけど、逆に男子はあまり「普通」が良いというのは言わない。
はっきりとこれがいい。というのをよく聞く。聞く一番は「綾瀬はるか」に類推されるタイプ。
それって凄く最近の男子的だなあと思うのだけども、まあまたの機会に。

あと女子にオススメしたい良い男子の見分け方なるエントリーも書きたいが。飲んだ席の話のように思うが、そんなことも機会あれば。

日々-会社ホームページを一新してみて思うこと

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会社ホームページを更新しました。
株式会社KiizanKiizan-キーザンキーザン

色々な仕事がスタートし、本格的に忙しくなる前に、とある浅山君に依頼して、WordPressコテコテのサイトからレスポンシブ風味のサイトに変更。
ロゴのサイズが違うとか、変な英文が残ってるとか、写真が最後まで決めかねてなどの残作業は多く残ってますが、とりあえずアップ。
9月には写真をほぼ入れ替えるしメッセージの大方を入れ替え予定で、とりあえずのSTAFF ONLYな状態で皆さんにお届け。ディティールに住もう(住まう)神は死んだの精神にておすそ分け。

テキストを作成していて思うのだけど、サイトに載せるメッセージ(代表)の難しさって凄い。全コンテンツで一番の難度だ。
不特定多数が見る&様々な利害関係者が見るメッセージというのは難しく、恋人と番長と母親と用具係のオッチャンに向けて共通に書く暑中見舞いの手紙の難度にプラスして、その内容が一生Webに残り続ける怖さ付きである。コーポレートサイトの良いメッセージとかご存知の人は紹介して欲しい。まあ誰もメッセージ何て読まないと思うのだけど。それでも書かなくてはならず。

あと真偽不明なKiizanKiizanの社名由来もアップしてみた。宜しければ合わせてご賞味ください。共に味わうと、ほろ苦さと青臭さが口いっぱいに広がることを保証致します。

ほんと文章が上手くなりたいというのは、この10年ぐらいずっと思ってるような気がする。上手くなりたいなあ。

雑感-古典を読む効用

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スコット・フィッツジェラルドが
「他人と違うことを語りたければ、他人と違った言葉で語れ」と言った。
確か、これは村上春樹が30歳の時に、デビュー時に「風の歌を聴け」で受賞の言葉で引いて、僕も40歳になるまでにまともな作品を書きたいと締めた(と記憶してる)

いまフィッツジェラルドを読む人が多いのか知らないのだけど、僕は基本的に古典小説を中心に読む。
古典を読む理由はシンプルで、当たりの率が非常に高いからだ。
だって今、50年前の凡百な小説が僕の目に現れる可能性は少ない。その小説が50年もの長い歳月の検証をくぐり抜けるは、簡単じゃないはずだ。

ただ古典にはその当たりの率が高い以外にも良きメリットはある。それは噛みごたえのあるフレーズに出会うことが多いのもその理由だ。
冒頭のフィッツジェラルドで言えば、彼は「この世界にはあらゆる形の愛があるが、同じ愛は二つとない」と言った。
これを聞いて、皆さん、そう簡単に納得出来ますかね?
僕は全然できなかった。
こと恋愛に縛っても同じ愛も多数あるだろうと思う。どこかの街の合コンで始まった恋が毎度唯一無二なら、ちょっとそれは疲れるのではあるまいか。インスタントな恋もそりゃあるのではないかと。

そんなことを思いつつ、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んでると「幸福な家庭はどれも同じだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」という文章に出会う。トルストイ最高、ただ髭が長いだけじゃない。フィッツジェラルド分かってなかった。と感じた。その仮説は示唆に富んでる。このトルストイのフレーズだけで一晩ぐらい思索に耽ることは可能ではあるまいか。

そんなことを経たりしつつ、数年後、またフィッツジェラルドの冒頭のフレーズを読んだのですね。
でもですね。数年を経て、その言葉に出会った時に、僕は全然違うことを思い、
それは「なぜ彼は「同じ愛はふたつとない」なんてことを言ったのだろう」と。

俄然、フィッツジェラルドに興味がわき、彼がどんな人生を経て、小説を書いたのか、毎度出てくる破天荒な女性のモデル(ゼルダだ)そしてどんな生活をしてのたかと。
そして彼の小説における大きな疑問のひとつは「なぜ、彼はここまで美しい文章を書く必要があったのか?」というのはみんなが感じるに思う。彼の小説はひとつひとつの描写が本当に美しいのだ。
人物も建造物も所作も、彼の手に掛かると全てが美しくなる。そしてすべてが艷やかで華やかでドラマチックだ。そしてそれでいて全体的なトーンはとても物悲しく儚い。
僕は彼が生きた時代はあまりに華やかだったことを知る。常に彼は喧騒の中に居て、その中での生活を愛したのだろう。そしてそんなドラマチックな時間は長くは続かない、それらは限られた時間軸の限定された期間にだけ許されるたぐいのモノだ。そして気づけば、その音は過ぎ去ってしまう。もう喧騒は遠くにある。そんな華やかな時代を生きた彼は、そしてそれらが終わることをしっている彼はすべてを美しく書く必要があったのだろう。
そう思うと彼の冒頭の「同じ愛はひとつもない」という言葉は、そう生きざる得なかったフィッツジェラルドの生きた言葉として僕らの胸に突き刺さる。とても正直な心持ちとして。

最後に、彼の最高傑作と呼び声が高いグレート・ギャツビーから引用しよう。
グレート・ギャツビーの冒頭の言葉である(折角なので野崎訳じゃなくて村上訳で)
 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」

是非古典を手にとって見て欲しい。
とても滋養に満ちた世界がそこにあると思うのだけど。