雑感−年を取ると感動しなくなることについて

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30歳を過ぎて思うのだけど、日々心から感動する事が少なくなった。
人気の小説でもゲームでも何でも良いのだけど、はじめは面白いなと思うのだけど、少し長く続けてやると「なんだよ過去の焼き直しじゃない」みたいな結論に落ち着いてしまう。
年々、年を経るごとに以前まで感動したであろう心を揺さぶっていたであろう物事の回数が減り、感動の総量もひと目盛りぐらい減っているように感じる。
ある作品を見ても、その作品からポイントと感じるエッセンスを取り、エッセンスを配置しなおし、パッケージし、カテゴライズし、ラベリングするという行為をすぐにやってしまっている。
僕は別に評論家やコメンテーターになりたいわけでもないので、そういう方向に人生の舵を取るつもりはない。出来れば色んな物事を見て新しく感動し常に何かを好奇しておきたい。

前置きが長くなったが、そういうことで新たな感動を求め、大阪市立美術館のデトロイト美術館展に行ってきた。
「大西洋を渡ったヨーロッパの画家たち」ということで、デトロイトにあるモネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、マティス、ピカソなどが見れるという展示会である。
大阪市立美術館の立地は通天閣と天王寺動物園に囲まれているというなかなかシュールリアリスム的というか前衛的というかシムシティ的というか、子供が作ったような塩梅の立地である。ゴッホを見て、フラミンゴを見て、串かつを食べるみたいな觀光も可能な立地である。

まず作品の前口上として、僕の芸術的知識はそれはそれで貧弱なモノで、本を何冊か読んで、緩い知識はあるものの(2時間でわかる西洋美術史と食から導く西洋美術みたいなのを読んだ)基本的に何も知らない。
こういうときの作品に向き合う心構えは、感じるか感じないか?である。
いくらゴッホであろうがルノアールであろうが、もしそれらに感じず、自分が感じたのが無名の作家であれば、その無名の作家の絵を賞賛しようというスタンスだ。
世界的な名作だからということで評価はしない(そもそも出来ない)

結果から話すと。巨匠と言われる彼らの作品を見て、めちゃくちゃ感じた。
僕らは日々スマホだのパソコンだので、気軽にそういう美術作品を見たりし、なんとなくそれらの作品群を見たような気になるが、本物が持つ荒々しさ、力強さみたいなものを目の前にしたら、不覚にも圧倒されてしまった。
芸術家ひとりひとりが、極貧のなか、筆先ひとつで、自分と向かい合い、それを作品にぶつけるというアウトプットに振れ感じることは多かった。
モネの光の使い方と艶やかな色彩の使い方に心奪われ、ゴーギャンの挑戦的な不敵な視線に心がモヤモヤし、キルヒナーの冬景色に一瞬自分がどこに居るのか分からずに混乱してしまった。

そして途中からクロノロジカルに作品が見たいと思い、また美術館の入り口に戻り、すべての作品を作家ごとに発表年月を見ながら作品を見なおした。
時代的に何が流行って、何が廃れていったのか。
また彼らは10年の時の間、何を捨てて、何をとったのか。別の言い方をすれば何を伝えようとして、何を伝えなくなったのか。
そういうのを作品を見ながらジッと考えることになる。
もちろん僕にはどれが彼のオリジナルで、どれが時代のスタイルなのかの見極めはできない。そして多くの作品が分散して配置されてるものだから(1フロアがフランスの印象派で2フロアがポスト印象派でみたいな分け方)なかなか垂直的に物事考えることが出来ないが、それでも新しい感動がそこにはあった。その取っ組み合いしたであろう作家のアウトプットに振れ、人が人生を生きる熱量と質量を感じることになった。

もちろん感じない作家も多く居たが(並んでいたピカソやセザンヌには)それ以上に感じる作品がとても多かった。
いつもスマホで気楽に誰が作ったのか書いたのか分からない文章や作品に振れ、そしれそれはインスタントな感動を求めるなか、こういうような真剣に彼らの人生と向き合い、彼らのアウトプットに振れる時間はいつもとは違う体験である。

日々感動が減るなかで、感受する部分を出来るだけストレッチしておくこと、そのためには新たな物事に積極的に触れるようにする。触れるときは先入観を一旦脇にどけておくのが肝要なのかもしれない。
そしてもちろん帰り道に串かつを食べながら肖像画のゴッホは怒りなのか苦悩なのか喜びながらを考えながらハイボールを飲んだ、そういう時間もまたハッピーである。
まあ通天閣の苦悩はまた彼らの苦悩とは別の質量ではあるのだけども。

日々−書きたいことと言いたいことは違う

ブログで書きたいことが多くあると書いたのだけれども、
書きたいこと=主張したいのことなのかと言われると、全然そんなこともない。

書きたいこと=今しか感じ得れないことを書きたい。
例えば初マラソン体験でも、ロング・グッドバイを読んだ感想でも、インターンの面談を続けてみて感じたことなど、
いましか感じないであろうこと。あとあと振り返った時に感想や心持ちが変わっていることを書き残しておきたい。

プロ野球選手が不調時や好調時に昔のスイングを見て、今のスイングの差を確認するように、出来れば昔の思考をそのまま残しておいて、
未来にそれを見返すというのは有用に思う。恥ずかしさでヤバイ。。。という感情が溢れでるが、それでも。

というわけで今書いておきたい心持ち
・サービスを締めるということ
・新しい文化を根付かせるというチャレンジ
・学生と向き合ううえで大切にしたいこと。
・VRでのゲームデザインについて考えてみたい@出来ればVRする前に
・メディアと動画についてのチャレンジ方法
・シェアリングエコノミーという枠組みで思うこと。
・ピッチイベント辛すぎたん。
・Windowsユーザーよ立ち上がれ(結局Mac買ってしまったので)
・UAのライブ
・Amazonビデオでゴットタンがあるけど古い・・・。
・Amazonビデオでジャルジャルのライブが大量にあった・・・。
・高級ランチについて
・KiizanKiizanの福利厚生向上

日々−ブログを書くルーティンに載せられず

表題のとおりです。
ブログを書くルーティンを日々の生活に載せられませんでした。
理由はシンプルで家にパソコンを持ち帰らない。
ブログを書くにはパソコンが必要。
という帰結です。

そしてブログのためにパソコン買いたくない。という心理障壁があり。
その心理障壁を超えられる算段は立っておりませんで、何らかの算段が立たないかと日々閃き待ちです。