雑感−毎日の変化と感動

ピー

年齢を重ねることが辛いことのひとつは、毎日感動することが減ってしまうことだ。
例えば何か作品を見ているときも、
以前は強く感動したようなモノでもも、あれ?これどこで感じたんだろう?みたいなことが増える。
自分が好きだったジャンルの同じような作品を見ても、
結局は過去の焼きましだよな。とか。
多数の作品を見た経験によって、何のフォーマットとか何を下敷きにしているのかとか透けて見えてしまうことが増える。
そして気づけば批評家気取りみたいなスタンスになってしまい、楽しむより先に批評してしまう。
僕は可能なら、そういう年の重ね方を避けていきたい。
出来るだけ何を見ても素直に感動したい。

とはいえ。そうは言っても、毎日同じものを摂取し、同じような音楽を聞いて、同じような本を読んでいる。
所詮毎日が同じことの繰り返しであり、昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日である。ってなモンだ。
だから強制的に毎日に変化をつくっている。

そのひとつの例が、
前回のエントリーで書いた「趣味は引っ越し」ってのも、強引に変化をつくる方法である。
引っ越しすることで、いつもの通勤路が一新され、よく行く飲み屋を変更し、いつもの生活ルーティンをアップデートする必要が生じる。
朝の歩くルートが新しくなることで、街で行き交う人達の顔や服装が変わり、帰り道に寄る飲み屋なども代替えが必要とされる。
そういう変更のあれこれは面倒くさいことばかりなんだけども、そんな風に強制的に毎日に変化をつけることで色んな新しいモノをまた摂取し、毎日の考える幅や種類が変わり、いつもの違う思考プロセスを経て、自分の好奇心が刺激されているのを実感する。

これは全てにおいて、そのように強制的に変化をつけるようにしている。
僕の場合、飲みでも同じメンバーで毎度飲むことは少ない(会社メンバーでも変わることが多い)
いつもと違う座組みで、誰か新しいメンバーが入り、これならどう展開になるかわからないな。みたいな飲み会を常に探す。
もちろんそういう場合は会話の内容も踏み込みが必要な話題も多く、どうしてもリスクを取った会話をする必要もあって、そのリスクをうまく吸収できず、よく会話の展開に失敗しているけれど、いつも何らかのチャレンジはひとりでやっている。

これは音楽もそうで、食べ物もそうで、本もそうだ。
音楽ならSpotifyとかでアイスランドの人気チャートとか聞いて、気に入った音楽を深掘りし、食べ物も大将のおまかせみたいなモノを頼むことが多い、本であれば本屋で自分が知らない領域の本棚の本をいくつか買ったりするようにしている。最近読んだ本は「母という病」と「小川洋子短編集」だった。

そして最大の刺激はもちろん仕事だ。
毎日やったことない仕事や考えたことがない課題に囲まれて、それらのタスクをひとつ取って、処理してとやっていると脳が新たな刺激で活性していると感じる。
1分1秒成果を出さねばという思いと、長期的なレンジでモノを考える必要性のバランスを取り、
ひとつひとつのタスクで自分がやるべきかを考え、そして好奇心のわく仕事と息抜き的な仕事を交互にやり、
それらを通じて優秀なスタッフたちと一緒に仕事を進める。
それらは単純な刺激だけじゃなく、そういう連続した行いを繰り返すと、今まで知らなかった感動を生むことがある。
年をとることではじめて感じる感動。
加齢による感動の減少に抗うために、別の感動の生み出すために、これからも出来るだけ新しい刺激を摂取し、それを咀嚼し吸収しつづきたい。
多分そういう連続した行いが新たなアウトプットを吐くことになると信じて。
でもそろそろ引越し先のバリエーションはなくなりつつある。。。