ああ、そうだ。そのとおり。
キミの言うとおりだ。
認めよう、僕は疲労している。
それも非常に大きな疲労だ。純度の高い、そうそう消え去らない濃密な疲労。
ああ、そうだ。そのとおり。
キミの言うとおりだ。
認めよう、僕は疲労している。
それも非常に大きな疲労だ。純度の高い、そうそう消え去らない濃密な疲労。
あなたって、仕事できる人?って聞かれたなんて答えますか?
僕はこれだけ、いろんな仕事にまつわる文章を書いてきて、
「自分は仕事ができるのか?」と問われたら。
「出来るとは言えないとしても、ある限定された環境において力を発揮する部分(こと)もある」と答えたい。
そんな話。
「本を読みたい」という話を聞くが。
本を読む行為において、知識の取得を目的とすると読書は毎度ダルい。
本から学べ!とか言われると、しんどい。ですよね?
ボクが思う読書の喜びというのは、
・誰かの見解について考えてみる
・自分だけではたどり着かない見解の発見。
に思う。
過去のブログの転載(2013年9月20日)
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去年の暮れから今にかけ、大切な人が何人も亡くなった。
特にそれに対して何か言いたいわけじゃない。
ただ自分の今の思いを少しだけ残しておきたいなと思って、セコセコ文章をこしらえたい。
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ボクは大切な人が亡くなると、やると決めていることがあって。それはいつものランニングの距離を長くすると決めている。
どうしても時間がとれなければ、強く早く走ることにしてる。時間的な負荷か強度的な負荷を高め、フィジカルな痛みを自分に与える。
フィジカルへの痛みを通じ、彼らが亡くなったという事実を自分の身体に染み込ませようとしているが、効果があるのか分からないのだけど、それでも、もう戻れないひとつのポイントとして、身体に染み込ませたいと思って、そうしている。
彼らがボクに話したコトのひとつひとつ思い出しながら一定のリズムを刻み、長い距離を淡々と走る。雨であっても台風であっても、時間がなくて真夜中であっても、もくもくと走ることにしている。
新規事業をやるときは、不安である。
出来るかなあというキモチがどうしても、頭をもたげる。
自分はリーダーとして、何とか難しい問題に取り組み、ビジネスを成功させねばならない。
というわけで、過去の数百年も昔の人が構築した、高難易度の城の築城を見に行き、自分を鼓舞し、出来ることなら事業で大事なことを掴みたいという思いからの登城である。
本エントリーは、以前のブログの転載記事です。
新規事業に立ち向かうときに、自分のキモチを残すためのエントリーである。(2012年6月21日)
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新規事業を立ち上げるときに、
「この世に、その事業の居場所は、まだない」と思っていて、
新規事業なんて誰かに求められて事業をはじめるわけでもなければ、
ここでやってと言われたわけでもないなかはじめることになる。
そんな誰にも求められてないところから、淡々と事業を考え、
これなら誰かが必要としてくれるかな。という所まで事業を落としこむ。
特定の誰かをイメージし、特定の誰かが使うところを想像する。
その人達がその事業を使ってくれ、必要とし、その集積により新事業は居場所を得る。
それなりに人生を生きてきて、年をとることで残念に思うことは、
体験するものごとへの感動が日々落ちていくことだ。
新しく体験したことはすぐパターン化されカテゴライズされ、感動の目盛りがひとつ減った状態で惰性とは言わないけどそれなりに割り引かれた感動になっていく。それならまだよくて、何度も繰り返したモノは、感動どころかコンテンツ視聴の途中で好奇心が途切れ、放置し、体験することを諦めてしまう。
感覚を感じるより情報の咀嚼が先行し、コンテンツの認識よりコンテンツの判断が先行する。困った。
チームhidekiでは学生3人がhidekiをフォローしてくれてる。
基本的にボクは学生だからという文脈を使わず(学生と思ってない節もあって)、あまり学生という括りで彼らを見たことが無いのだけど、それでも今は便宜上学生チームと呼んで(チームではブランディングチームと呼んでる)学生との仕事を考えてみよう。
とてもとても優秀な学生チームである。今まで色んな20歳前後の子と接してきたが、そのなかでも群を抜いて優秀な三人だ。
問題点を各自が発見して解決を試みてる。ボクが見れない範囲も見て、仕組みに乗せるのが上手い。
その彼らとどのように仕事をすべきか?というのが最近の自身の課題だ。
一体なにを教えるべきなのか。と。
以前のブログからの転載記事(2014年4月29日)
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引っ越しが趣味の流れから、ようやく森の生活はじめました。@2ヶ月目突入。
2日に一度ぐらいは散歩で森に入ってるのだけども、今までの生活のどれとも違う感覚がある。そして森で聞いている音楽の紹介でも。
朝の森はどこまでも清々しい。暖かい光が全てに注がれ、全ての樹木から自分が祝福されてるように感じる。樹木の葉が太陽の光を受け、反射し、全てが輝いてるように見える。幻想的だ。
以前のブログの転載記事。記事作成時は2014年4月28日
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それは
「仕事が出来る人と仕事をしたい」
であった。
25歳の頃には30歳になったら絶対に優秀な人と仕事が出来る環境にしたいと思ってた。
なぜ優秀な人と仕事をしたいと思ってたかいうと、高い理解の人と仕事をし、出来るだけ面白いことを一緒に考えたいと思っていたからだ。