雑感−リオオリンピックの男子卓球を見て思ったこと

A photo by David Schap. unsplash.com/photos/W5TJpNKI9c4

旬な話題を旬が過ぎてから書きたいというわけで。
リオ男子卓球を見ていて思うこと。

それは僕が卓球でメシ食うのは無理げー。である。
まあ僕ではスポーツ全般で無理なんだけども。理由から能力は外すとして、スポーツ系でメシ食うのが無理な理由は日々の修練を本番の一発勝負で結果を出すというプロセスにほかならない。
毎日毎日徹底的に追い込み、そして戦略的に休息を取り、自分の能力が高まるために合理的な日々を生きる。
そして本番当日の一発勝負である。
結果と努力の正の相関はあるとしても、トッププロ選手とほかのプロ選手の練習時間の差にそこまでの相関はあるまい。
あとは才能と本番のコンディションとメンタル勝負である。

そして数あるスポーツのなかでも、特に卓球が無理だ。
まずパーソナルスペースがきつい。相手との距離が近すぎる。
まだスポーツの中でも自分との戦い系競技はわりと平穏に出来るのだけど、相手の感情をもろに受けると、こちらも思いっきり影響される。
攻撃的にこられればムキになってしまうし、馬鹿にされればムキになっちゃうし、挑発されれば、ムキになっちゃう。
スマッシュを叩き込みたいという衝動に駆られて、終始相手に翻弄されるのが目に浮かぶようである。

昔から対人ゲームなんかもそうだ。
今までの文脈から対人の対戦が弱そうに書いちゃったのだけど、そうじゃなくて、もう少し事態は複雑で、対人ゲームはめっぽう強かった。
というのも自分がムキになっちゃうタイプなので人がムキになるポイントはある程度わかるので、先に相手のムキになるポイントにあたりを付けて、そこを付いて、挑発して、相手を苛立たせて、ムキにさせて、そこを狙いすましてカウンター。という手法で、あまりゲームは上手くなかったが対人ゲーは大体が強かったように思う。
ただである。ただそこにプレッシャーが掛かるとダメで、これに勝てば優勝みたいなインセンティブが入ると途端に手に力が入り、今まで自分が挑発してきた相手から
逆に挑発を受けて負けてしまう。シューティングゲームでもみんなが残っているうちはそれなりに強さを発揮出来ても、俺が最後の一人になるとあっけなく負けてしまう。プレッシャーの弱い人間の常である。

卓球はすなわち「インセンティブ」と「対人挑発」のレベルが高すぎる。
目の前で「おっしゃあああーー」からの「さぁああああーー」からの「うぉおおおおおおお」である。
絶対にビクンビクン反応してしまう。
あれ目の前でされてインセンティブが付与されていたらと思うと、自分事のように恐怖を感じてしまう。

経営者でもビジネスでもいいんだけど、プロとして生きるのは楽だ。
日々積み重ねていけばある程度結果に繋がるところがある。
上手く行ってる事例が多くあるので、その事例からエッセンスを抜き取って、自社にカスタマイズして、それを踏襲すれば良いというところがある。
売れる体制作りをすれば、来月もある程度は売れるのが見込めたり、ある程度初動で準備しておけばコピペして次回もサクサク出来たりと、結果に繋がりやすい。

ただですよ。ただね。
いまスタートアップのリーダーとしてやっていて、ややシェアリングエコノミーの時流もあって、取材だとかピッチイベントだとか、人前で話すことが増えているのですね。
そういうのを避けられるというのも非常に経営者のメリットでして。もうガクブルなわけですよ。いまそこにチャレンジするのかとてもとても悩むのですね。
それがあるとそれに気を取られて、本業に身が入らずでとても困る。(決して憂鬱でもなくチャレンジしたいという熱はあるのだけど、ムキになってしまう感じが近い)
そしてムキになって失敗するので、その後も落ち込むわで、仕事は楽しいのに、ナンノコッチャである。

というわけで今ピッチイベントなどを通じて登壇系にチャレンジするかの狭間である。
ただ経営者的なポジションなので、出来るとなると役員クラスになり、それもなあ。である。
出来れば人生ムキになるのは、自分との戦いだけにしたいというのが自分の人生のベクトルである。卓球を見ていて早めに対策を練る必要があると感じる日々。

日々−会社にあたらしいカメラがあった

会社に新しいカメラが来てたので撮影されたり、したり。

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ノーマルレンズ。綺麗なような気がする。

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明るいレンズ。綺麗なような気がする。

以上何か更新しないと情報局より「何か似てるかもしれない紺の2人」を新カメラにてお届け。次回よりコッテリブログ更新がんばります。

雑感−スタートアップにチャレンジする理由

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leeapという新しいサービスをリリースして4ヶ月が経ち、
毎日いろいろなドラマがあって、色んな出会いがって、色んな感情の起伏がある。

えー!こんなに色々とやることってあるんだ?って日々で、全然うまくさばけない。
今まで16年ほど経営者として経験を積んできたのだけど、その経験はあまり機能しない。

そういうプラクティカルな部分以外に、毎日、朝にはテンション上がりすぎて困ったと思ったら、夜には「もうだめだ」ってなったりな日々で精神もあわせて揺れる。

それでもこう毎度スタートアップとしてチャレンジするのはなぜなのか?
自分でもよくわからず、何にモチベートされているのかよくわからないままチャレンジを続けているような感じで、自分でもこうも感情の起伏の激しい日々で安泰の道もいくつありそうだけどもそれを選択せずにチャレンジを続けているのか不思議だ。

ただ改めて、なぜこんな思いをしてるのかと言えば。
チャレンジが無いと飽きるからだと思う。
安泰の道だと飽きる。趣味に活きれば良いのだけど(本に)そうしたら仕事を辞めたいという衝動に繋がってしまう。ふたつに集中する事がイマイチうまく出来ない。
スタートアップが飽きない理由はシンプルだ。常に課題しか存在しないからだ。目の前の課題がこれでもかと詰まれていく。そしてその課題とともにヒリヒリ感がつきまとう。そしてそのヒリヒリ感の胃の締め付けはギャンブルのそれと似ている。
貧弱な装備で登山にアタックしてるみたいな、小舟に少ない食料を積んで新大陸を探すみたいな、
早く登りきらないと、早く新大陸を見つけないと、燃料が切れちゃうというところのギリギリ感がオブセッションのようにつきまとう。
課題とギリギリ感。
毎日のしんどさもちょっと凄ければ、エキサイト感も等価で提供される。

ただこのチャレンジの良き点は、ギャンブルのそれとは違い仲間と一緒に味わえることだ。
今一緒にチャレンジしてくれる仲間がゆっくりと集まりつつあって、このフェーズになれば、この人に声をかけようということも何人か居る。
また外部の協力者も多くの力強い人が援助をしてくれようとしている。

僕としては出来ることはシンプルで。
出来るだけ登り方や針路をぶらさないようにすることだ(実際はブレブレにも思うけれど)
新しいライフスタイルが日本に広まるように頑張っていきたい。
手前味噌だけれど、leeapは本当に面白いサービスで、誰かにとっては堪らないサービスにになりつつある。

まだまだKiizanKiizanは環境的には良くないですが、一緒にめちゃんこ良いサービスを作っていきたい人居ましたら、ぜひお声掛け、ご紹介ください!
環境的にはまだご一緒に出来ないかもしれませんが、一度お話だけでもさせてください。

日々−Amazonの月額読み放題のKindle Unlimitedをやってみた

Amazonの980円で月額で本が読み放題のKindle unlimitedが8月3日スタートして、当日に加入。
いろいろイジってみた感想。
雑感を箇条書き。

▼雑感
・検索が凄くしにくい。サイトやアプリの導線がいまいち。デバイスが色々あると面倒。など使い勝手は良くない。ただ俺の不慣れの可能性あり。
・読み放題のラインナップは少し古めのビジネス書が多い、あと専門書もいくつか揃っている。
・書籍のカテゴリの偏りが激しい(啓発とエロが多い?=ランキングがそうなっている?)
・新品で1500円で本を購入する心理ハードルが凄く上がったように思う。

▼読み放題のオススメの使い方
・軽く読みたい本を軽く読むのに凄く使える。
例えばAnalyticsの小技100とかホワイトハットのすべてとか。いくつかは知ってそうだなーみたいな買わない技術本は便利。立ち読みのようなパソコンが横にないとなあーというシチュエーションにも良い。
・昨日もKindleに入れて10冊ぐらい読んで、今日も5冊ぐらい入れたが、本の入れ替えが面倒。一度に利用できる本は10冊まで。その入れ替えのためのデバイスの削除と利用を終了の使い方がよくわからない(デバイスから削除しても利用の終了にならない?)
・買うまでには行かないなー。みたいな本の多くが暇つぶしに読めるのは嬉しい。
参考までに以下買うまでには行かないけどダウンロードした本5つ(宮本から君は、再読したかったので、買うにカテゴリされる漫画ではある)

超一流の雑談力
安田正2016年8月3日

諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない
為末 大2016年8月3日

宮本から君へ [完全版] 3
新井 英樹2016年8月3日

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である
中島聡2016年8月3日

ビジネス寄りにはなってしまったが、為末さんの本は買わないけれど読みたいと思ってたし、元マイクロソフトの中島さんの本もそうだ。
読みたいなあと思ってたけど、購入まではなかなか行かない本というのはつまり。ブックオフで500円なら出せるが1000円オーバーの金銭投下をとるほどまだ著者のことを知らない/読みたい動機までにはならないという本に思う。
雑談術とかは、買うのは恥ずかしすぎるけど、雑談に悩んでる人にはどのような雑談のススメをするのかは興味があるところだ。

私的には実用系よりも
・醤油大辞典
とか
・野菜の作り方
とか
・カブトムシの捕まえ方

とか絶対に買わない本を適当にKindleにいれておきたい。
通勤の往復で軽く読むと楽しい。
1日数冊ペースぐらいで読みそうなので(大体が流し読みの本ばかりなので)飽きるのが先か、未来永劫可処分時間の投下にKindleが入るのかはまだ分からず。とりあえず為末大さんの夢の諦め方はとてもおもしろい。夢は叶わない。無駄な努力はある、というのをアスリート視点からアスリートのセカンドキャリアから語られるのはとても新鮮だ。早く続きが読みたい。

でもこれが月額980円ってちょっと凄いな。。。(毎月本には1万ぐらい使ってるとして、半額ぐらいにはなりそう。コンテンツホルダーは行き着くところまで行くのだろう)

雑感−年を取ると感動しなくなることについて

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30歳を過ぎて思うのだけど、日々心から感動する事が少なくなった。
人気の小説でもゲームでも何でも良いのだけど、はじめは面白いなと思うのだけど、少し長く続けてやると「なんだよ過去の焼き直しじゃない」みたいな結論に落ち着いてしまう。
年々、年を経るごとに以前まで感動したであろう心を揺さぶっていたであろう物事の回数が減り、感動の総量もひと目盛りぐらい減っているように感じる。
ある作品を見ても、その作品からポイントと感じるエッセンスを取り、エッセンスを配置しなおし、パッケージし、カテゴライズし、ラベリングするという行為をすぐにやってしまっている。
僕は別に評論家やコメンテーターになりたいわけでもないので、そういう方向に人生の舵を取るつもりはない。出来れば色んな物事を見て新しく感動し常に何かを好奇しておきたい。

前置きが長くなったが、そういうことで新たな感動を求め、大阪市立美術館のデトロイト美術館展に行ってきた。
「大西洋を渡ったヨーロッパの画家たち」ということで、デトロイトにあるモネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、マティス、ピカソなどが見れるという展示会である。
大阪市立美術館の立地は通天閣と天王寺動物園に囲まれているというなかなかシュールリアリスム的というか前衛的というかシムシティ的というか、子供が作ったような塩梅の立地である。ゴッホを見て、フラミンゴを見て、串かつを食べるみたいな觀光も可能な立地である。

まず作品の前口上として、僕の芸術的知識はそれはそれで貧弱なモノで、本を何冊か読んで、緩い知識はあるものの(2時間でわかる西洋美術史と食から導く西洋美術みたいなのを読んだ)基本的に何も知らない。
こういうときの作品に向き合う心構えは、感じるか感じないか?である。
いくらゴッホであろうがルノアールであろうが、もしそれらに感じず、自分が感じたのが無名の作家であれば、その無名の作家の絵を賞賛しようというスタンスだ。
世界的な名作だからということで評価はしない(そもそも出来ない)

結果から話すと。巨匠と言われる彼らの作品を見て、めちゃくちゃ感じた。
僕らは日々スマホだのパソコンだので、気軽にそういう美術作品を見たりし、なんとなくそれらの作品群を見たような気になるが、本物が持つ荒々しさ、力強さみたいなものを目の前にしたら、不覚にも圧倒されてしまった。
芸術家ひとりひとりが、極貧のなか、筆先ひとつで、自分と向かい合い、それを作品にぶつけるというアウトプットに振れ感じることは多かった。
モネの光の使い方と艶やかな色彩の使い方に心奪われ、ゴーギャンの挑戦的な不敵な視線に心がモヤモヤし、キルヒナーの冬景色に一瞬自分がどこに居るのか分からずに混乱してしまった。

そして途中からクロノロジカルに作品が見たいと思い、また美術館の入り口に戻り、すべての作品を作家ごとに発表年月を見ながら作品を見なおした。
時代的に何が流行って、何が廃れていったのか。
また彼らは10年の時の間、何を捨てて、何をとったのか。別の言い方をすれば何を伝えようとして、何を伝えなくなったのか。
そういうのを作品を見ながらジッと考えることになる。
もちろん僕にはどれが彼のオリジナルで、どれが時代のスタイルなのかの見極めはできない。そして多くの作品が分散して配置されてるものだから(1フロアがフランスの印象派で2フロアがポスト印象派でみたいな分け方)なかなか垂直的に物事考えることが出来ないが、それでも新しい感動がそこにはあった。その取っ組み合いしたであろう作家のアウトプットに振れ、人が人生を生きる熱量と質量を感じることになった。

もちろん感じない作家も多く居たが(並んでいたピカソやセザンヌには)それ以上に感じる作品がとても多かった。
いつもスマホで気楽に誰が作ったのか書いたのか分からない文章や作品に振れ、そしれそれはインスタントな感動を求めるなか、こういうような真剣に彼らの人生と向き合い、彼らのアウトプットに振れる時間はいつもとは違う体験である。

日々感動が減るなかで、感受する部分を出来るだけストレッチしておくこと、そのためには新たな物事に積極的に触れるようにする。触れるときは先入観を一旦脇にどけておくのが肝要なのかもしれない。
そしてもちろん帰り道に串かつを食べながら肖像画のゴッホは怒りなのか苦悩なのか喜びながらを考えながらハイボールを飲んだ、そういう時間もまたハッピーである。
まあ通天閣の苦悩はまた彼らの苦悩とは別の質量ではあるのだけども。

日々−書きたいことと言いたいことは違う

ブログで書きたいことが多くあると書いたのだけれども、
書きたいこと=主張したいのことなのかと言われると、全然そんなこともない。

書きたいこと=今しか感じ得れないことを書きたい。
例えば初マラソン体験でも、ロング・グッドバイを読んだ感想でも、インターンの面談を続けてみて感じたことなど、
いましか感じないであろうこと。あとあと振り返った時に感想や心持ちが変わっていることを書き残しておきたい。

プロ野球選手が不調時や好調時に昔のスイングを見て、今のスイングの差を確認するように、出来れば昔の思考をそのまま残しておいて、
未来にそれを見返すというのは有用に思う。恥ずかしさでヤバイ。。。という感情が溢れでるが、それでも。

というわけで今書いておきたい心持ち
・サービスを締めるということ
・新しい文化を根付かせるというチャレンジ
・学生と向き合ううえで大切にしたいこと。
・VRでのゲームデザインについて考えてみたい@出来ればVRする前に
・メディアと動画についてのチャレンジ方法
・シェアリングエコノミーという枠組みで思うこと。
・ピッチイベント辛すぎたん。
・Windowsユーザーよ立ち上がれ(結局Mac買ってしまったので)
・UAのライブ
・Amazonビデオでゴットタンがあるけど古い・・・。
・Amazonビデオでジャルジャルのライブが大量にあった・・・。
・高級ランチについて
・KiizanKiizanの福利厚生向上

日々−ブログを書くルーティンに載せられず

表題のとおりです。
ブログを書くルーティンを日々の生活に載せられませんでした。
理由はシンプルで家にパソコンを持ち帰らない。
ブログを書くにはパソコンが必要。
という帰結です。

そしてブログのためにパソコン買いたくない。という心理障壁があり。
その心理障壁を超えられる算段は立っておりませんで、何らかの算段が立たないかと日々閃き待ちです。

Tips−ネット情報の適正摂取量

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情報をどのように取るのかというのは現代社会において必須スキルである。。。かは知らないけれど、もうこんなに情報がありあまる中で、どの情報を自分に入れるのか、いや逆に言えば、意識的に何を取らないのか決定はしたい。そのための叩き。

何も考えずに情報を気にせずに取ってると
・すぐに回答や言説で正解めいたことが書かれているので、自分の頭でモノが考えるより、回答を覚える作業になる。
なぜこうなったのか?という思考が生まれず。評論家気取り。9000万総評論家\(^o^)/
あとさ、そもそも結果論じゃないのか?と思うことも多く。もしくは本当にその因果の結びつきが正しいのか分からない。PS3が世界的に売れたのは映像美のせいなのか?ネット接続無料のおかげなのか。同業がコケたからなのか。おれはMAGがPS3に負荷をかけ過ぎたと思っているが。

・ネット限定だが。ネット情報はレコメンドが効き過ぎるので自分に都合の良い、自分が好きな情報ばかりになる。
俺の情報は気づけば、ビジネスとプロ野球の情報のみになった!阪神の原口がいい感じらしいよ。

・体系的な情報摂取の比率とのバランスは必要。
この情報がどこを前提にしてるかが見えにくく。断片的な情報から業界でも今後の流れでも全体像が見えず。

というのが情報摂取の過剰摂取による弊害。

棋士の羽生さんが情報摂取に対して
「最新の動向を吸収することばかりにとらわれていると、自ら創造的な手を編み出していくことの研究に時間を割けなくなってしまいます。」

ということを言ってたが、おれは全然創造的な手を産んでないが、いや産んでないからこそ、その思いは理解できる。

まず情報を摂取する一番の目的はアウトプットの質向上と仮定したとして、誰かと同じインプットを取れば同じアウトプットになるのも前提としたい。
それを上述の羽生さんは「情報の高速道路を」と形容し「いま高速道路を走り抜けた先で、大渋滞が起きている」と看破した。
そうなるとアウトプットにオリジナリティをもたせるためには、インプットは独自な仕組みをこしらえる必要がある。
もしくはアウトプットを独自な仕組みをこしらえておいて(例えば毎日株価分析ブログを書くでも)インプットをアウトプットにあわせて変化させるかのどちらかなのではないかと思う。

一緒にサービスを開発しているクローバーラボの毛見さん(専務だったかな・・・。常務・・・。検索まではお許しください)は情報を全然取らないのだけど(取ってるように見えないのだけど)いつもアウトプットが独特である。おお。そんな視点が。みたいなことが多い。
どこからインプットしてるか分からないが(音楽から?)オリジナルなアウトプットに思う。

そのために情報摂取は自分の方向性にあわせて戦略的に組み立てたい。と思う。
そして情報摂取なんてあくまで娯楽ぐらいのキモチでゆるく行きたい。

Tips−スタートアップの人が守るべきFacebookの使い方とマナー

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最近人に会う機会が増えたのでFacebookを再開。
その中で自分なりのFacebook使い方とマナーを学びつつある。というわけで今の気付きをメモ。

▼自慢とPRの境目
スタートアップの実情は厳しいモノで、その厳しさの裏側を書くべきか華やかな表側を書くかは悩ましい。
とはいえ、イケてるスタートアップ感を出す必要があり表を書くことは多い。載った、喋った、会ったの3PRだ。
ただ私的な性質としては「代表取締役」の肩書さえ自分に乗るのが煩わしく、3PRをすると胃がキューっとなるが役割上仕方あるまい。可能であればはあちゅうさんみたいな強力タレント性のある広報ほしい。
なのでSNSでキラキラアピールを見てもキャラ付けのために頑張ってるのね。と生温かい目で見守ってくれると嬉しいが、別に人から「自慢乙」と思われて構わないな。各自判断にお任せしたい。

▼人の悪口めいたことは書かない
これは本当に注意すべし。
これをしちゃうと誰かと会う際に気を使われ(相手からすると粗相をすればSNSにあげられる・・・という恐怖あり=僕はよく粗相をする)やめたほうがよさ気と認識。目と目を合わせて相手に要望や苦情を申立てるが大事。

▼リア充アピールをしない。
リア充はリアルが充実な人なのでそこは自由にアピールするよろし。
でも仕事以外のリアルでは休日は古本屋しか行かない僕がリアルを克明に、あの古本屋って古本の品揃えだけじゃなく本の配置のセンスが良い!とFacebookに投稿しても心からいいねと思う人は存在しない。ただ私的に大学に囲まれた京都三条のブックオフと、スモッグに囲まれた尼崎の東難波ブックオフの品揃えがどれぐらい違うかは本年度中に書きたくはあるが、Facebookエントリーじゃないなということで。リアルは控えめで。

▼かといって過度に謙遜しない
過度の謙遜はFacebookでは美徳にはなりえない。イラストをあげる → 誰かれから「ウマすぎ♪」 → 「全然ですよぉ(T_T)」みたいな流れ。
もちろんコミュニケションに生産性はいらないのだけれど、なんだったら会話キャッチボール回数こそSNSの充実KPIなりなこともあるのだけど、自分の立ち位置としては褒められたら(スタートアップに対してわざわざ!)褒めた相手をキモチヨクする精神を持ちあわせたい。
というわけで、皆さん僕をガシガシほめてください。必ずやあなたをキモチヨクしますのでよろしくお願いします。
そして当サービスの「ファッションレンタルサービスleeap」を皆さんのSNSや口コミで褒めて頂ければ、きっときっと来世でいいことあると思います!オススメ!

▼妹の旦那の投稿が凄い勢いで滑ってた
妹の旦那のFacebookの投稿が毎度ものすごい勢いで滑ってるのだけど、本人全然気にしてなさそうでかっこいい。
Facebook界の幕の内一歩のよう。見てると凄いほっこりする。
先日は「スレンダートーンで腹筋を鍛えようと思ってます」と言って滑り、いいね鉄板の子供の写真を載せて、いいねが嫁と嫁の友達しか無かった。
妹の旦那に「あんなに滑っても平気なの?」って聞いたら「僕が見てるモノってもっと先の未来なんっすよね」とのこと。
彼のメンタルを見習い、僕もSNSを頑張ろうと思いました。

▼過去の恥ずかしいPR写真や元カレとの写真をいいねして発掘すると嫌われる。
ダメ!絶対!

Facebookは仕事時間減りまくるという思いを持ってましたが、友達申請されると嬉しい!のキモチの萌芽ありです。
不慣れSNSではありますが、アピール強めで頑張ります。
ってなわけで、メンズの新しいファッション体験、違う自分に生まれ変わるでお馴染みのleeap、leeapを皆さん、どうぞ、どうぞよろしくお願いします。

仕事-スタートアップで仕事をする時の心構え

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日々スタートアップで仕事をしていると色んなことが起こる。
毎日何らかのドラマがあり、自身にとっても新たな発見と成長がある。
やったことが無い仕事での新たな能力の必要だったり、知らない知見の獲得と様々である
また同時にそれは新しい疲労としても現れる。
新しい発見には新しい疲労があって、新しい成長には新しい疲労がある。
例えば僕がプレゼンが得意ではないのだけど(まあドモるし)それがみんなのまえでプレゼンしましょうと言われると、それは新しい成長と同時に新しい疲労である。

それは資金調達や採用だったり、営業など様々なシーンで同じように現れる。
中小企業の経営とスタートアップの経営の違いは、圧倒的な成長への期待がある。
そして成長と疲労の連続の中でほかにも考えるべきことが大量にあり、日々降って湧いてくるモノが大量にある。
もちろん全部ができない。捨てるものをすて、やらないものはやらない。

そういう新たな機会と負荷と疲労のなか大事なことは、
それらを負荷と感じず、疲労と感じないことに思う。
疲労を疲労として捉えない、疲労を出来るだけ相対化すること。

まず疲労として捉えないことは気の持ちようである。
どうせ大量にいろいろ降ってくるんだから、それを楽しもう。
そこに何らかの可笑しみを見つけようという気の持ち方だ。

例えば満員電車が嫌だなって思った折は、満員電車の楽しみ方を考える。人が多くても楽しめる場所。そう、野外フェスだ(行ったことないけど)今オレはフジロックに居ると妄想し(やっぱ行ったことないけど)shuffleでフーファイとかレッチリを流す、ここは満員電車じゃなくて、快晴のなか芝生にビール片手に音楽に乗るフェスである。横にもたれ掛かってくるのは加齢臭強いリーマンじゃなくて、汗っかきのロックンローラーでロックとビールと平和を愛する同士なんだと思うことにしてる。ぴーす。

そうしてるとわりと疲労に感じない。疲労度高めの夜9時新幹線であればピアノ・ソナタを聞きつつ(ピアノであれば誰でもいい)自分はサントリーホール(もちろん行ったことない)に居ると想像する。内田光子の魔術的呪術的なソナタを聞きつつ(スタイル)そうすると疲労が疲労となり乗ってこない。
日々そういうことを細かくチャレンジしてる。

そうなるとどうなるか?
キモチ的には結構いける。夜にはヘトヘトで大体何も考えらないが精神衛生上はまともである。
割り込み乗車をしてくる人が居ても(嫁さんが陣痛で入院したのかもしれない)と考え、弁当屋の店員がお釣りを投げるとしても(昔握手会か何かで悪戯されて人の手が怖いかもしれない)という域に達した。
スタートアップを続けると行く先は仏のような心持ちになるのかもしれない。

スタートアップで働く皆さん、疲労軽減は計画的に。日本を変えるのは我々だ!の精神の前にまずは長く働けるようストレス軽減からオススメしたい。