Tips-最強の読書スタイル完成

あらゆる読書スタイルにチャレンジしてきましたがAmazonの本読み放題のKindle unlimitedにてようやく読書スタイルが完成。
自分史、最強の読書スタイル。
そのスタイルをご紹介。

読書で一番困ることのひとつが、未来の自分が一体何を読みたくなるのか良く分からない。ということである。
ビジネス書を読みたいのか?漫画を読みたいのかすら分からない。
割烹が良いのか、親子丼が良いのか、それすら決まれなければ献立など決めようが無い。
それをKindleが全て解決したのである。
これはunlimitedに関係ないけれども、適当に本を入れておけばOKという世界観の始まりである。
もちろん既に音楽はそうなっていたし、映画もそうなっていたし、なんだったらだいぶん前から本もそうなっていたんだろうけれども、僕は先日気づいたばかりだ。
凄い世界。

んでAmazonunlimitedは10冊の利用が可能で、いまの利用が以下。

Jpeg

Jpeg

直撮りで汚くて申し訳ないのだけども、これが7冊。直近で読んだ本が上位表示される。中韓の話なんかもunlimitedの効果発揮である。
こういう思想によって考えが大きく分かれるカテゴリは大量の本を読み込んで右と左のバランスを取りつつ、データを交えつつ読みたい。
それを本屋でやろうと思うと大きな出費だが、Kindle unlimitedならいける。「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほど違うのか」も読み放題である。わりとそういう本もKindle unlimitedにあるので適当に入れて読んでやっていけば、中韓の思惑から日本の立ち位置からあるゆる角度で広めの構造やパースペクティブとして把握できる。政治に関わる本の読書スタイルとしては今までそうしてたんだけど、そういうスタイルが好きならAmazon読み放題はコスト的観点からオススメだ。

次に「必ず出会える!人生を変える言葉2000」なんだけども、これもまた良い。こんな本、本屋では買えない。そして電車でも読めない。
この本の使い方は寝る前に数ページを読んで、その中からおもしろいフレーズをピックアップして、それについて考えるというのをやってる。そんな暇つぶしをやってると知らずに睡魔に強襲され落ちるように寝ている。
昨日は「人間は親から貰った顔のままではいけない。(森鴎外)」というフレーズを反証してた。人の生きざまが顔に出るという話だとは思うのだけれども、これは整形した人のカウンターフレーズとしても機能するかもしれない。日本では整形した人の背徳さもありなかなか整形したかを教えてくれない。そんな世界に対し俺は整形肯定でいきたい。
一昨日は「拍手されるより、拍手するほうがずっと心が豊かになる(高倉健)」というフレーズで。翌日から誰かが会社に来るたびに拍手してみたのだけど、大体がだるそうにされ、まだ僕の心は豊かにならないが、もう少し試してみて健さんの境地にたどり着けるかチャレンジしたい。

あと「飛田の子 遊郭の待ちに働く女たちの人生」である。これは遊郭経営10年の飛田の経営者の苦悩本の続編である。
1作めはめちゃくちゃおもしろかった飛田新地では女の子をどのように集め、どのように集客し、どのように利益を上げるのか?という話で、
レビューを書きたいぐらいに面白かった。こういう本は仕事疲れで何も読みたくないなあってときにピッタリである。飛田の経営者の苦悩は人材の苦悩であり、経営の苦悩である。みたいに結局仕事に戻るのだけど、読みたくなるタイミングのある本である。2作目はまあその。

ひとつひとつの本を書いてと長いので結論から書くと、読みたくなる本がKindleでは大量に置いておけ、そしてその範囲をKindle unlimitedで拾える。ということである。自己啓発も自分では買わないのだけど、読んでると結構面白い「仕事は楽しいかね?」という本もとても楽しかった。仕事の楽しさとは何か?を追求した本であった(冗長すぎたけど)、飛んで埼玉は埼玉県民の苦悩を書いた漫画である。東京都民に虐待される日々であり、これは別に読みたいタイミングなんて無い。出落ちみたいなもんで、50%でお腹一杯である。あと猫背は会社の猫背率が高すぎるので、猫背を直すためにはどうすれば良いのか興味があったので読んでた。ただこれはKindleムキじゃなくて紙の本向きだ(トレーニングとかレシピとかの読み直す系は電子書籍は圧倒的に使いにくい)

 

Jpeg

Jpeg

2ページめの続編は、あまり読まないリストと言いたいところなのだけど、これは全て読んだ本である。ヒマなので再読したいときにピッタリである。再読は脳をあまり使わないので、2度め読んでも再度興味がある箇所を求めて読み、そうすると記憶に定着する。

後半は飽きてリストの紹介を端折ってしまいましたが、多様な読書に向く読書スタイルはKindle unlimitedであった。とても便利だ。Kindleunlimitedで読みたい本が無くなるまではもう少し続けて見る予定。同じような読書スタイルの人、月額980円なので一度チャレンジしてみると良いと思う。通勤がとても楽しくなっているところ。

ヒマ−良き音楽とは何か?

photo-1470163395405-d2b80e7450ed
音楽のことを書きたいと言いながら、自分の音楽知識は本当に浅いもので、音楽を語るのはとてもつらい(苦しい)。
人から聞かれて困る質問第一位が「どんな音楽が好きですか?」である。
つらすぎる。。。。

でも書こう。書いて恥をかかなければずっと書けないわけで、良き音楽とは一体なんなんだろう。

とはいえ真正面から「良き音楽とは何か」と考えると禅問答のように思考の袋小路に迷い込みそうなので、別の角度から良き音楽を考えてみたい。
例えば、僕はBjorkというアーティストはとても好きなのだけど、僕は特に彼女の音楽を日常的に好んで聞いたりしない。
僕が彼女に興味があるのは、彼女は何を語るのか?何をするのか?である。

そもそも今アーティスト、表現者につきまとう命題は「何を語るのか?」だ。
表現者たちは、格差に対してNOと言って、戦争にNOと言って、核にNOと言うのは僕も賛同するのだけど、彼らは一体何にYESと言うのか?どういうビジョンを示してくれるのか?という所は僕が音楽を中心としたアーティストへの興味のひとつだ。
それが僕がBjorkに興味を持つ理由で、彼女は面白いアプローチ(テクノロジーとエレクトロニクス)から自身のビジョンを提示していく。

同じ文脈で日本のアーティストのUAにも興味があるし(今年の夏にキャバレーみたいなところにライブに見に行った)好きな曲は多く、また新しいアルバムにある「あいしらい」などとても美しい曲でとても好きな曲である。ただ日常的に彼女の音楽を聞かない。

僕が思う良き音楽について語ろう。
その音楽のひとつは高木正勝の音楽である。
先日「大山咲み」という高木正勝のコンサートに京都のロームホールまで行ったのだが、
彼の音楽の全ては、そこには聞くシーンがあり、聞くタイミングがあり、聞き手の聞きたい心情がある。とても実際的な音楽である。
それでいて彼は基本的に音楽的予定調和であったり、聴衆が彼に望んでいるであろうノスタルジーに逃げていないように見える。
昔はよかったなあ。というノスタルジーは現代に生きる人間としてその方向性は少ししんどい。もちろんその音楽的展開はあるのだけども、そこにもきちんと彼のパッションや熱の発露が存在する。夕焼け小焼けじゃないビジョンの示し方であり、そこは生きる上の峻険さの提示である。
聴衆にそうだな。そういうことなんだな。と膝を打つ音楽だ。

彼の音楽は基本的に論理や思考などを介在しない直感や感覚をベースにした音楽だ。
その音楽表現は別の言い方にすればコミュニケーションのあり方である。
ピアニストとしての高木正勝からギタリストとのコミュニケーションであり、バイオリニストとのコミュニケーションであり、パーカッショニストとのコミュニケーションである。
また誰もしらない楽器や身体表現とのコミュニケーションである。

そして彼の京都ロームシアーでそのコミュニケーションはとても親密な空気の塊として成立していた。

もちろんこれは完璧な音楽ではない、バイオリンが走り過ぎだったり、よく知らない楽器がよくしらない表現で有り体に提示されて、何だかよくわからないなあみたいなことも多かった。ただその集積がエモーショナルに訴えかける空気の塊になった。
彼は音楽とコミュニケーションと映像によって、彼の世界を提示する。

そしてその世界感が空気の塊になり、僕らはそこに共振し、僕らの身体の芯に何らかのモノを受け渡されるものだ。
近くの男女はともに涙し、最後はスタンディングオベーションとなった。

これが僕が思う良き音楽のひとつなのだ。

高木正勝

雑感−リオオリンピックの男子卓球を見て思ったこと

A photo by David Schap. unsplash.com/photos/W5TJpNKI9c4

旬な話題を旬が過ぎてから書きたいというわけで。
リオ男子卓球を見ていて思うこと。

それは僕が卓球でメシ食うのは無理げー。である。
まあ僕ではスポーツ全般で無理なんだけども。理由から能力は外すとして、スポーツ系でメシ食うのが無理な理由は日々の修練を本番の一発勝負で結果を出すというプロセスにほかならない。
毎日毎日徹底的に追い込み、そして戦略的に休息を取り、自分の能力が高まるために合理的な日々を生きる。
そして本番当日の一発勝負である。
結果と努力の正の相関はあるとしても、トッププロ選手とほかのプロ選手の練習時間の差にそこまでの相関はあるまい。
あとは才能と本番のコンディションとメンタル勝負である。

そして数あるスポーツのなかでも、特に卓球が無理だ。
まずパーソナルスペースがきつい。相手との距離が近すぎる。
まだスポーツの中でも自分との戦い系競技はわりと平穏に出来るのだけど、相手の感情をもろに受けると、こちらも思いっきり影響される。
攻撃的にこられればムキになってしまうし、馬鹿にされればムキになっちゃうし、挑発されれば、ムキになっちゃう。
スマッシュを叩き込みたいという衝動に駆られて、終始相手に翻弄されるのが目に浮かぶようである。

昔から対人ゲームなんかもそうだ。
今までの文脈から対人の対戦が弱そうに書いちゃったのだけど、そうじゃなくて、もう少し事態は複雑で、対人ゲームはめっぽう強かった。
というのも自分がムキになっちゃうタイプなので人がムキになるポイントはある程度わかるので、先に相手のムキになるポイントにあたりを付けて、そこを付いて、挑発して、相手を苛立たせて、ムキにさせて、そこを狙いすましてカウンター。という手法で、あまりゲームは上手くなかったが対人ゲーは大体が強かったように思う。
ただである。ただそこにプレッシャーが掛かるとダメで、これに勝てば優勝みたいなインセンティブが入ると途端に手に力が入り、今まで自分が挑発してきた相手から
逆に挑発を受けて負けてしまう。シューティングゲームでもみんなが残っているうちはそれなりに強さを発揮出来ても、俺が最後の一人になるとあっけなく負けてしまう。プレッシャーの弱い人間の常である。

卓球はすなわち「インセンティブ」と「対人挑発」のレベルが高すぎる。
目の前で「おっしゃあああーー」からの「さぁああああーー」からの「うぉおおおおおおお」である。
絶対にビクンビクン反応してしまう。
あれ目の前でされてインセンティブが付与されていたらと思うと、自分事のように恐怖を感じてしまう。

経営者でもビジネスでもいいんだけど、プロとして生きるのは楽だ。
日々積み重ねていけばある程度結果に繋がるところがある。
上手く行ってる事例が多くあるので、その事例からエッセンスを抜き取って、自社にカスタマイズして、それを踏襲すれば良いというところがある。
売れる体制作りをすれば、来月もある程度は売れるのが見込めたり、ある程度初動で準備しておけばコピペして次回もサクサク出来たりと、結果に繋がりやすい。

ただですよ。ただね。
いまスタートアップのリーダーとしてやっていて、ややシェアリングエコノミーの時流もあって、取材だとかピッチイベントだとか、人前で話すことが増えているのですね。
そういうのを避けられるというのも非常に経営者のメリットでして。もうガクブルなわけですよ。いまそこにチャレンジするのかとてもとても悩むのですね。
それがあるとそれに気を取られて、本業に身が入らずでとても困る。(決して憂鬱でもなくチャレンジしたいという熱はあるのだけど、ムキになってしまう感じが近い)
そしてムキになって失敗するので、その後も落ち込むわで、仕事は楽しいのに、ナンノコッチャである。

というわけで今ピッチイベントなどを通じて登壇系にチャレンジするかの狭間である。
ただ経営者的なポジションなので、出来るとなると役員クラスになり、それもなあ。である。
出来れば人生ムキになるのは、自分との戦いだけにしたいというのが自分の人生のベクトルである。卓球を見ていて早めに対策を練る必要があると感じる日々。

日々−会社にあたらしいカメラがあった

会社に新しいカメラが来てたので撮影されたり、したり。

dscf4003

ノーマルレンズ。綺麗なような気がする。

dscf4026

明るいレンズ。綺麗なような気がする。

以上何か更新しないと情報局より「何か似てるかもしれない紺の2人」を新カメラにてお届け。次回よりコッテリブログ更新がんばります。

雑感−スタートアップにチャレンジする理由

photo-1463054089930-f4b250ba3c3c

leeapという新しいサービスをリリースして4ヶ月が経ち、
毎日いろいろなドラマがあって、色んな出会いがって、色んな感情の起伏がある。

えー!こんなに色々とやることってあるんだ?って日々で、全然うまくさばけない。
今まで16年ほど経営者として経験を積んできたのだけど、その経験はあまり機能しない。

そういうプラクティカルな部分以外に、毎日、朝にはテンション上がりすぎて困ったと思ったら、夜には「もうだめだ」ってなったりな日々で精神もあわせて揺れる。

それでもこう毎度スタートアップとしてチャレンジするのはなぜなのか?
自分でもよくわからず、何にモチベートされているのかよくわからないままチャレンジを続けているような感じで、自分でもこうも感情の起伏の激しい日々で安泰の道もいくつありそうだけどもそれを選択せずにチャレンジを続けているのか不思議だ。

ただ改めて、なぜこんな思いをしてるのかと言えば。
チャレンジが無いと飽きるからだと思う。
安泰の道だと飽きる。趣味に活きれば良いのだけど(本に)そうしたら仕事を辞めたいという衝動に繋がってしまう。ふたつに集中する事がイマイチうまく出来ない。
スタートアップが飽きない理由はシンプルだ。常に課題しか存在しないからだ。目の前の課題がこれでもかと詰まれていく。そしてその課題とともにヒリヒリ感がつきまとう。そしてそのヒリヒリ感の胃の締め付けはギャンブルのそれと似ている。
貧弱な装備で登山にアタックしてるみたいな、小舟に少ない食料を積んで新大陸を探すみたいな、
早く登りきらないと、早く新大陸を見つけないと、燃料が切れちゃうというところのギリギリ感がオブセッションのようにつきまとう。
課題とギリギリ感。
毎日のしんどさもちょっと凄ければ、エキサイト感も等価で提供される。

ただこのチャレンジの良き点は、ギャンブルのそれとは違い仲間と一緒に味わえることだ。
今一緒にチャレンジしてくれる仲間がゆっくりと集まりつつあって、このフェーズになれば、この人に声をかけようということも何人か居る。
また外部の協力者も多くの力強い人が援助をしてくれようとしている。

僕としては出来ることはシンプルで。
出来るだけ登り方や針路をぶらさないようにすることだ(実際はブレブレにも思うけれど)
新しいライフスタイルが日本に広まるように頑張っていきたい。
手前味噌だけれど、leeapは本当に面白いサービスで、誰かにとっては堪らないサービスにになりつつある。

まだまだKiizanKiizanは環境的には良くないですが、一緒にめちゃんこ良いサービスを作っていきたい人居ましたら、ぜひお声掛け、ご紹介ください!
環境的にはまだご一緒に出来ないかもしれませんが、一度お話だけでもさせてください。

日々−Amazonの月額読み放題のKindle Unlimitedをやってみた

Amazonの980円で月額で本が読み放題のKindle unlimitedが8月3日スタートして、当日に加入。
いろいろイジってみた感想。
雑感を箇条書き。

▼雑感
・検索が凄くしにくい。サイトやアプリの導線がいまいち。デバイスが色々あると面倒。など使い勝手は良くない。ただ俺の不慣れの可能性あり。
・読み放題のラインナップは少し古めのビジネス書が多い、あと専門書もいくつか揃っている。
・書籍のカテゴリの偏りが激しい(啓発とエロが多い?=ランキングがそうなっている?)
・新品で1500円で本を購入する心理ハードルが凄く上がったように思う。

▼読み放題のオススメの使い方
・軽く読みたい本を軽く読むのに凄く使える。
例えばAnalyticsの小技100とかホワイトハットのすべてとか。いくつかは知ってそうだなーみたいな買わない技術本は便利。立ち読みのようなパソコンが横にないとなあーというシチュエーションにも良い。
・昨日もKindleに入れて10冊ぐらい読んで、今日も5冊ぐらい入れたが、本の入れ替えが面倒。一度に利用できる本は10冊まで。その入れ替えのためのデバイスの削除と利用を終了の使い方がよくわからない(デバイスから削除しても利用の終了にならない?)
・買うまでには行かないなー。みたいな本の多くが暇つぶしに読めるのは嬉しい。
参考までに以下買うまでには行かないけどダウンロードした本5つ(宮本から君は、再読したかったので、買うにカテゴリされる漫画ではある)

超一流の雑談力
安田正2016年8月3日

諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない
為末 大2016年8月3日

宮本から君へ [完全版] 3
新井 英樹2016年8月3日

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である
中島聡2016年8月3日

ビジネス寄りにはなってしまったが、為末さんの本は買わないけれど読みたいと思ってたし、元マイクロソフトの中島さんの本もそうだ。
読みたいなあと思ってたけど、購入まではなかなか行かない本というのはつまり。ブックオフで500円なら出せるが1000円オーバーの金銭投下をとるほどまだ著者のことを知らない/読みたい動機までにはならないという本に思う。
雑談術とかは、買うのは恥ずかしすぎるけど、雑談に悩んでる人にはどのような雑談のススメをするのかは興味があるところだ。

私的には実用系よりも
・醤油大辞典
とか
・野菜の作り方
とか
・カブトムシの捕まえ方

とか絶対に買わない本を適当にKindleにいれておきたい。
通勤の往復で軽く読むと楽しい。
1日数冊ペースぐらいで読みそうなので(大体が流し読みの本ばかりなので)飽きるのが先か、未来永劫可処分時間の投下にKindleが入るのかはまだ分からず。とりあえず為末大さんの夢の諦め方はとてもおもしろい。夢は叶わない。無駄な努力はある、というのをアスリート視点からアスリートのセカンドキャリアから語られるのはとても新鮮だ。早く続きが読みたい。

でもこれが月額980円ってちょっと凄いな。。。(毎月本には1万ぐらい使ってるとして、半額ぐらいにはなりそう。コンテンツホルダーは行き着くところまで行くのだろう)

雑感−年を取ると感動しなくなることについて

photo-1462726625343-6a2ab0b9f020

30歳を過ぎて思うのだけど、日々心から感動する事が少なくなった。
人気の小説でもゲームでも何でも良いのだけど、はじめは面白いなと思うのだけど、少し長く続けてやると「なんだよ過去の焼き直しじゃない」みたいな結論に落ち着いてしまう。
年々、年を経るごとに以前まで感動したであろう心を揺さぶっていたであろう物事の回数が減り、感動の総量もひと目盛りぐらい減っているように感じる。
ある作品を見ても、その作品からポイントと感じるエッセンスを取り、エッセンスを配置しなおし、パッケージし、カテゴライズし、ラベリングするという行為をすぐにやってしまっている。
僕は別に評論家やコメンテーターになりたいわけでもないので、そういう方向に人生の舵を取るつもりはない。出来れば色んな物事を見て新しく感動し常に何かを好奇しておきたい。

前置きが長くなったが、そういうことで新たな感動を求め、大阪市立美術館のデトロイト美術館展に行ってきた。
「大西洋を渡ったヨーロッパの画家たち」ということで、デトロイトにあるモネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、マティス、ピカソなどが見れるという展示会である。
大阪市立美術館の立地は通天閣と天王寺動物園に囲まれているというなかなかシュールリアリスム的というか前衛的というかシムシティ的というか、子供が作ったような塩梅の立地である。ゴッホを見て、フラミンゴを見て、串かつを食べるみたいな觀光も可能な立地である。

まず作品の前口上として、僕の芸術的知識はそれはそれで貧弱なモノで、本を何冊か読んで、緩い知識はあるものの(2時間でわかる西洋美術史と食から導く西洋美術みたいなのを読んだ)基本的に何も知らない。
こういうときの作品に向き合う心構えは、感じるか感じないか?である。
いくらゴッホであろうがルノアールであろうが、もしそれらに感じず、自分が感じたのが無名の作家であれば、その無名の作家の絵を賞賛しようというスタンスだ。
世界的な名作だからということで評価はしない(そもそも出来ない)

結果から話すと。巨匠と言われる彼らの作品を見て、めちゃくちゃ感じた。
僕らは日々スマホだのパソコンだので、気軽にそういう美術作品を見たりし、なんとなくそれらの作品群を見たような気になるが、本物が持つ荒々しさ、力強さみたいなものを目の前にしたら、不覚にも圧倒されてしまった。
芸術家ひとりひとりが、極貧のなか、筆先ひとつで、自分と向かい合い、それを作品にぶつけるというアウトプットに振れ感じることは多かった。
モネの光の使い方と艶やかな色彩の使い方に心奪われ、ゴーギャンの挑戦的な不敵な視線に心がモヤモヤし、キルヒナーの冬景色に一瞬自分がどこに居るのか分からずに混乱してしまった。

そして途中からクロノロジカルに作品が見たいと思い、また美術館の入り口に戻り、すべての作品を作家ごとに発表年月を見ながら作品を見なおした。
時代的に何が流行って、何が廃れていったのか。
また彼らは10年の時の間、何を捨てて、何をとったのか。別の言い方をすれば何を伝えようとして、何を伝えなくなったのか。
そういうのを作品を見ながらジッと考えることになる。
もちろん僕にはどれが彼のオリジナルで、どれが時代のスタイルなのかの見極めはできない。そして多くの作品が分散して配置されてるものだから(1フロアがフランスの印象派で2フロアがポスト印象派でみたいな分け方)なかなか垂直的に物事考えることが出来ないが、それでも新しい感動がそこにはあった。その取っ組み合いしたであろう作家のアウトプットに振れ、人が人生を生きる熱量と質量を感じることになった。

もちろん感じない作家も多く居たが(並んでいたピカソやセザンヌには)それ以上に感じる作品がとても多かった。
いつもスマホで気楽に誰が作ったのか書いたのか分からない文章や作品に振れ、そしれそれはインスタントな感動を求めるなか、こういうような真剣に彼らの人生と向き合い、彼らのアウトプットに振れる時間はいつもとは違う体験である。

日々感動が減るなかで、感受する部分を出来るだけストレッチしておくこと、そのためには新たな物事に積極的に触れるようにする。触れるときは先入観を一旦脇にどけておくのが肝要なのかもしれない。
そしてもちろん帰り道に串かつを食べながら肖像画のゴッホは怒りなのか苦悩なのか喜びながらを考えながらハイボールを飲んだ、そういう時間もまたハッピーである。
まあ通天閣の苦悩はまた彼らの苦悩とは別の質量ではあるのだけども。

日々−書きたいことと言いたいことは違う

ブログで書きたいことが多くあると書いたのだけれども、
書きたいこと=主張したいのことなのかと言われると、全然そんなこともない。

書きたいこと=今しか感じ得れないことを書きたい。
例えば初マラソン体験でも、ロング・グッドバイを読んだ感想でも、インターンの面談を続けてみて感じたことなど、
いましか感じないであろうこと。あとあと振り返った時に感想や心持ちが変わっていることを書き残しておきたい。

プロ野球選手が不調時や好調時に昔のスイングを見て、今のスイングの差を確認するように、出来れば昔の思考をそのまま残しておいて、
未来にそれを見返すというのは有用に思う。恥ずかしさでヤバイ。。。という感情が溢れでるが、それでも。

というわけで今書いておきたい心持ち
・サービスを締めるということ
・新しい文化を根付かせるというチャレンジ
・学生と向き合ううえで大切にしたいこと。
・VRでのゲームデザインについて考えてみたい@出来ればVRする前に
・メディアと動画についてのチャレンジ方法
・シェアリングエコノミーという枠組みで思うこと。
・ピッチイベント辛すぎたん。
・Windowsユーザーよ立ち上がれ(結局Mac買ってしまったので)
・UAのライブ
・Amazonビデオでゴットタンがあるけど古い・・・。
・Amazonビデオでジャルジャルのライブが大量にあった・・・。
・高級ランチについて
・KiizanKiizanの福利厚生向上

日々−ブログを書くルーティンに載せられず

表題のとおりです。
ブログを書くルーティンを日々の生活に載せられませんでした。
理由はシンプルで家にパソコンを持ち帰らない。
ブログを書くにはパソコンが必要。
という帰結です。

そしてブログのためにパソコン買いたくない。という心理障壁があり。
その心理障壁を超えられる算段は立っておりませんで、何らかの算段が立たないかと日々閃き待ちです。

Tips−ネット情報の適正摂取量

photo-1423784346385-c1d4dac9893a

情報をどのように取るのかというのは現代社会において必須スキルである。。。かは知らないけれど、もうこんなに情報がありあまる中で、どの情報を自分に入れるのか、いや逆に言えば、意識的に何を取らないのか決定はしたい。そのための叩き。

何も考えずに情報を気にせずに取ってると
・すぐに回答や言説で正解めいたことが書かれているので、自分の頭でモノが考えるより、回答を覚える作業になる。
なぜこうなったのか?という思考が生まれず。評論家気取り。9000万総評論家\(^o^)/
あとさ、そもそも結果論じゃないのか?と思うことも多く。もしくは本当にその因果の結びつきが正しいのか分からない。PS3が世界的に売れたのは映像美のせいなのか?ネット接続無料のおかげなのか。同業がコケたからなのか。おれはMAGがPS3に負荷をかけ過ぎたと思っているが。

・ネット限定だが。ネット情報はレコメンドが効き過ぎるので自分に都合の良い、自分が好きな情報ばかりになる。
俺の情報は気づけば、ビジネスとプロ野球の情報のみになった!阪神の原口がいい感じらしいよ。

・体系的な情報摂取の比率とのバランスは必要。
この情報がどこを前提にしてるかが見えにくく。断片的な情報から業界でも今後の流れでも全体像が見えず。

というのが情報摂取の過剰摂取による弊害。

棋士の羽生さんが情報摂取に対して
「最新の動向を吸収することばかりにとらわれていると、自ら創造的な手を編み出していくことの研究に時間を割けなくなってしまいます。」

ということを言ってたが、おれは全然創造的な手を産んでないが、いや産んでないからこそ、その思いは理解できる。

まず情報を摂取する一番の目的はアウトプットの質向上と仮定したとして、誰かと同じインプットを取れば同じアウトプットになるのも前提としたい。
それを上述の羽生さんは「情報の高速道路を」と形容し「いま高速道路を走り抜けた先で、大渋滞が起きている」と看破した。
そうなるとアウトプットにオリジナリティをもたせるためには、インプットは独自な仕組みをこしらえる必要がある。
もしくはアウトプットを独自な仕組みをこしらえておいて(例えば毎日株価分析ブログを書くでも)インプットをアウトプットにあわせて変化させるかのどちらかなのではないかと思う。

一緒にサービスを開発しているクローバーラボの毛見さん(専務だったかな・・・。常務・・・。検索まではお許しください)は情報を全然取らないのだけど(取ってるように見えないのだけど)いつもアウトプットが独特である。おお。そんな視点が。みたいなことが多い。
どこからインプットしてるか分からないが(音楽から?)オリジナルなアウトプットに思う。

そのために情報摂取は自分の方向性にあわせて戦略的に組み立てたい。と思う。
そして情報摂取なんてあくまで娯楽ぐらいのキモチでゆるく行きたい。