雑感-僕が任天堂を好きな理由

以前のブログの転載記事(2015年7月31日)


7月11日、任天堂の岩田さんが亡くなるという訃報を聞いてから、何だかモヤモヤが続く。
いや、すいません。ありのままに言います。

うまく言葉にできないほどに、とても、とても悲しい。

誰かと岩田さんについて話したいような気もするけど、うまく話せないような気がして、何も言わず、貝のように黙って、静かに時が過ぎるのを待っていたんだけど、何か書いてみることにする。

ここでいま何か書かないと、二度と何も書けない気がするのだ。

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先々月、仕事で京都のある大学を訪れて、その帰り道に任天堂本社の横を通り過ぎたときに、僕が「任天堂についてなら何時間でも話せますよ」と言ったところ、「車中ヒマだし、話してみてよ」と言われ、20分ぐらい任天堂について話した。


まあよくある話だ。任天堂の遍歴、ファミコンのチャレンジ、山内さんのゲームボーイ伝説、64とGCの苦戦とクリエイターのチャレンジ、そこからのリベンジ、任天堂を知る人なら誰でも知ってるであろう話だ。

ただ僕が語りたかった任天堂は、岩田さんが任天堂の社長になってからだ。
僕は岩田さんが社長になってからの任天堂が好きになったのだ。

僕はコロコロとファミコンというメディアミックスに踊った一人の小学生で、高橋名人の連写に度肝を抜かれ、中学と高校はSEGAが好きで、特に任天堂ファンではなかった。(シェンムーとサカつくが大好きだった)

そして大人になってから、改めてゲームについて色んな情報を漁るうちに、任天堂についおて知る。ただそこも、そこまで任天堂が好きになるような情報ではなかった。ロイヤリティビジネスの高度さや、任天堂はROMにこだわった理由、FCの勝ち方、それらの結果からどれだけメーカーが苦しんだのか、小売が在庫に苦戦したのかなどなど色んな任天堂ビジネスについて知った少年時代に純粋に牧歌的にゲームを楽しんでた裏で色んな大人の闘いがあったんだなと。まあサードパーティとの上手く行かなさは今でも任天堂の代名詞みたいなモノに思うが。まあそれでも、そのような情報を読んで、驚きはするが、任天堂が好きになったわけではなかった。

僕が任天堂を好きになったのは、岩田さんの志を知ってからだと思う。ただのゲームメーカーと認識してた会社の社長の岩田さんが、任天堂が何をしようとしているのか語ることが多かった。
それは、経営者視点じゃなくて、僕らユーザー視点の話ばかりだ。
任天堂が何にチャレンジしているのか。なぜ家族みんなでゲームを楽しんでもらいたいのか、そのために何にチャレンジしているのか。その思いを僕らにも分かるような言葉で丁寧に説明してくれたのは岩田さんだった。

岩田さんの丁寧な口調を聞いてるだけで、ワクワクした。その言葉を聞いて、久しぶりにゲームをいくつか買った。
自社のゲームについて語るゲームクリエイターは多数居ても(もちろんそれはそれで素晴らしいことだ)、これからのゲームビジネスの未来を考えて、ゲームのビジョンを考え、そしてそれを何度も何度も色んな語り方で色んなテンポで色んな場所で語り続けてきた人は岩田さんしか居なかったように思うのだ。とても穏やかで、とてもやさしい口調で、何度も何度も。
それを聞いて、僕たちは未来のゲームについて考えることになる。自分はどんなゲームの未来が良いんだろう。ゲームに何を求めていくべきなんだろう。と。

これからのゲーム業界を考えた偉大な人をゲーム業界は亡くしてしまった。その喪失はあまりに大きい。
言い古された言葉だが、惜しい人を亡くしたという表現しか思いつかない。本当に惜しい人を亡くした。
ただそれでも、時計の針は進んでいく。ただ現状、任天堂以外にゲームの未来のビジョンを描き、実践できる会社はいないだろう。良くも悪くも。

だからこそ任天堂には岩田さんの志を継承している人が居るはずだ、その継承した人がこれからもチャレンジしていってくれるはずだ、僕はそんな任天堂をこれからも応援しようと思う、任天堂がんばれ!がんばれ。

岩田さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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