leeap−人はなぜオシャレをするのか?アパレルで僕らがチャレンジしたいこと。

noteにて自分がなぜアパレルにチャレンジしているのか?を書きました。
どんどん便利になっていく世の中で、自分はキモチが共感できるようなサービスを作りたいという記事です。

ブログ記事だとどうしてもなかなか更新できず。こちらに軽めの引っ越しを!

人はなぜオシャレをするのか?アパレルで僕らがチャレンジしたいこと。

ひとりひとりの人生のストーリーを洋服を通じて応援できるようなサービスを作りたい。
誰かにとって世の中に必要だとおもってもらえるようなサービスにしたくー!

食べログを使わないメシ選び

皆さん、日々食べログを使っていますか?
僕も毎週のように食べログを使っていたんだけども、ある日を境に使うのを辞めた。
理由として
食べログを使うと失敗しないからである。
食べログでメシ屋選んだら、まあ失敗しないのな。
高評価の店に行っとけば、それなりに綺麗、美味しい、コスパよし、接客そこそこ。
食べログはメシ屋選びに失敗できない人やデートでの利用がオススメに思う。

ただメシ屋というのは勝手にそこにあるものなんかじゃなくて、誰かが作りたいと思った世界を具現化したものである。
外観、内観、メニュー、食材、料理、接客すべてで、この店主はどんな世界を作りたいと思っているのか?
というのがまざまざと見える。
そして僕はスタートアップ界の住人で、常に自分の手で自分の考えた何かを世界に出したいと思っているからこそ誰かの評価で店を選ぶんじゃなくて、自分の目で見てメシ屋を選びたい。
メシ屋選びこそ「誰かの作りたい世界」を見る手軽な機会だと認識している。

街を歩いてて気になる外観の飲食店を見つかる。一見客が入れない感じであれば店名をメモる。
外観はいわゆるキャッチコピーである。うちのお店はこんなお店でんねん。というノンバーバルなインフォメーションである。何か感じるところがあればメニューを見る。外観とメニューの一貫性を確認する。もし内観が覗けるなら内観を見る。この3つの主張(外観・メニュー・内観)が衝突していなければ、店に入ることにしている。

もちろん訪問した店が美味しくないこともある。
ただこれは、村上春樹が言うように

「気持ちよく生きて、美しいものだけを見ても。感受性は身につかない。
世界は痛みと矛盾に満ちている。それでも美しいものを見たい。そのためには痛みに満ちた世界をくぐりぬけて、はじめて美しいものが見える」(井上解釈)

ということだ。

すなわち、
「矛盾の体験をくぐりぬけて、はじめて最高の体験が見える」

鶏もも肉を頼んだはずが、あれ?俺ササミたのんだっけ?(パサパサすぎる・・・)みたいことはよくある。
ただ美味しくないメシ屋に入ることは失敗ではない。
真の失敗は同じようにパッケージされた店で何も感じないことではないか。
美味しくなくても、少なくとも自分は良いと思った店に入った経験となり、誰かが考えた世界に触れることになる。
いやわかる、入ってみて、えーー。おでんもやってたんっすか!みたいなこともわりとある。

でもそれが楽しいのだ。
その事業家が理想の世界を作れなかったとしても、店内にその思いの残滓はあらゆるところで確認できるはずだ。
もしかして、この人はこういう世界を作りたかったのかもしれない。
でも色んな人の世界に触れた数こそが、きっとあなたのいつかの世界作りに役立つはずだ。

雑感−コミュニケーションが苦手なひとこそシェアハウスをオススメしたい

前回のエントリーの続き。
シェアハウスに住んでいて、良かったことを書こうと思ったが、
まずシェアハウスの良さを一般論化してまとめたい。
結論、コミュニケーションが苦手な人こそシェアハウスをオススメしたい。

あなたがコミュニケーションが苦手だと自認しているなら、その苦手の多くをシェアハウスは救う。

僕もそうなんだけど、コミュニケーションの苦手さの前に、人と話すための予定調整って面倒じゃないですか。
来週遊べる?来週は西中で飲みだわー。じゃあ再来週は?てきなあれ。俺が暇で、相手が忙しい、あの上からタイムは苦手。
なんというか提案を断られるって、それなりに傷つく。
シェアハウスだと、相手の予定とか考えずとも、リビングに居る=暇である。(リビングに居て、忙しい人なんて居ない)
話したければ話すみたいな感じで、学校の放課後の雰囲気に似ている。まだ帰りたくない。。。けど誰かを誘うほどではない。みたいな。

続いて、コミュ苦手の最大派閥の「話って初めに何を話せばいいんだっけ?」である。これもシェアハウスは救うのな。
「おはよう。今日仕事?」からの「今日どっか行くの?」 or 「メシどうするの?」はシェアコミュの万能な慣用句である。
「今日は無印に買い物に行くで」→「何買うん?」でも「無印好きなん?」でもなんでもいいから、行くからには何か用事があって、その用事には、その人なりの動機があるはずだ。それを深掘りすれば、会話は弾む。「無印好きなん?」→「いつから好きなん?」とかもオススメ話題。

あとコミュニケーションが苦手な人がシェアハウスで懸念する問題は、コミュニケーション古参たちのノリであろう。
ローカルな飲み屋に入ったときの常連たちの空気のあれである。
その問題に関しては、シェアハウスは安心で、よくあるコミュニティだとずっと同じ人がいて、同じノリになることが多いが、そもそもシェアハウスにはいろんな人が住んでいて、性別も年齢も職業も違う。また定期的に入居者の出入りがあるので、人の流動性が確保されていて、コミュニティの質が均しにくい。新人の加入によって、またコミュニティが少し変化する。その新陳代謝でコミュニティはある程度リフレッシュされる。

ここまで書いていて、苦手をテクニカルにクリアして、それで一体どうなるんだろう?その頑張ったコミュニケーションって楽しいのだろうか?というキモチは理解できる。1人楽じゃん。と。
ただですね、住んでみると思うのだけども、毎日だれかに「今日なにがあった」「なにをしたのか」を話し合えるのって学生のとき以外にあまりなくって(恋人でも少ないかもしれない)そういう誰かに話を聞いてもらえる生活って想像しているよりもわりと嬉しい。
帰ったら、誰かが居て、軽く話して、何か共感して、笑って、そして自分の1人の時間がある生活。

もしあなたがアラサーぐらいで、あなたの毎日のことを誰も聞いてくれなくて、それがほんのり悲しいのなら、シェアハウスはオススメだ。
勇気もお金もそんなに要らない(家具と家電を捨てる覚悟は居る)
知らない誰かと一緒に住む生活って思ったよりもきっと楽しい。

雑感-過酷な人生を少しでも楽に生きる

まずは命題。
人生とはタフである。
人生とは過酷である。
人生とはタフである。
人生とは過酷である。
人生とは…..

みなさんの人生では「タフ」と「過酷」という尺度は自分の人生に命題になりえないだろうか。
いや、俺の人生は楽でヌルくて緩くて、全てがイージーで全てが思い通りあるという人が居るかもしれないが(石油王の人生は楽かと思ったけど、石油王は石油王で嫉妬とか色々大変なのかもしれない)
たぶん多くの人にとって、人生は過酷で、タフなのではないだろうか。
僕にとってももちろんタフだ。こうも人生ってタフで過酷なのかと毎日びっくりしている。
自分のタフな過酷な状況というのは自分がスタートアップの経営者という文脈だけじゃなくて、自分の人生そのものがタフであり過酷なハードモードに設定されてるように思う。
こんなに色々起こるっけ?ってぐらいに毎日、毎時間にいろいろ起こる。
このモードを例えるに朝起きたら、ミスしたらヒステリーを起こすボブ・サップが俺の頭の上でたけしの挑戦状をやってるみたいな状況である。やばい。にげろ。

自分のハードモードの人生を生きるに当たり自分のモットーはひとつ。
「ハードな環境よりも先に動け、先に変化せよ」である。

常に動く、常に変化する。それだけを人生のモットーにしてきた。
ダーウィンは言ってないとされているけど、それでもみんな大好きな名言の「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」とするみたいな感じだ。

ハードなモードにトラブルはつきものなんだけども、そのトラブルがあるたびに尻尾を切られた豚みたいに騒ぎたくもないし、できるだけクールに実際的にトラブルを処理したい。
変化にあわせて眼の前の事象に対して実際的にプラクティカルに処理するために変化でキモチを揺らさない。
そのためには常に自分を動かしておく、トラブルが起こってから動くんじゃなくて、トラブルの前に体を動かしておく、往年の中日の名ショートの井端弘和みたいにいつ打球が来ても良いように、踵を浮かして、前かがみ気味にお尻をプリっと突きだして準備しておく(オジー・スミスと書こうかと思ったけど、それは言い過ぎなので辞めた。うちも謙遜でけたよー)

具体的にはどう変化に準備するんですか?と問われたら、それはインプットの量と質を変えることだ。
野球で言うなら、様々な弾道の大量のノックを浴びる。同じ弾道のノックを多少受けても何も変わらない。
それは動物園で飼われている動物や、家で引きこもっている人のインプットが毎日同じルーティンから別の環境に対処ができなくなるように、
インプットの量と質が均一化すると、変化できなくなる。

前振りが長くなったがさ、自分のインプットが固定されないように常に引っ越しをしてインプットを変えてきたが、さすがに関西でそろそろ引っ越し場所もなくなってきたのと、私的な理由もあって環境を思い切って変える必要があり、39歳にして初のシェアハウスに住んでみた。
はっきり言って39歳でシェアハウスはなかなかに痛い。

そして結果シェアによってインプットの量と質が変わったのか?
結論から言おう。
これは、めちゃくちゃ変わった。
変化に強くなったのか?と問われると、YESしかない。

シェアハウスで何がどう変わったのか?
まずコミュニケーションのあり方が代わり、人生に対する問題の捉え方が変わった。その変化によって人生が少しだけタフで過酷じゃなくなったように感じている。
そうか、こういう変化の仕方があるのか?こう視界が開けるのか?という思いである。

ちとエントリーが長くなったので、詳細の内容は別エントリーに続けよう。(書いたらリンク張るよ)

日々-ブログを書く日々ふたたび

われは企業家である。
もちろん、それはJ.シュンペーターが言った
「企業としてどう展開していくかということまで見据え、よりアクティヴに経営を進めていく精神を持つ人」と定義したが、その企業家の定義としてわれを認識いただいて結構である。

その精神を有するモノがわれである。

そんなわれであるが、この数年ほとんどブログを更新していなかったのである。
われのブログを定義付けるなら「人として、自分の人生の展開なんて全然読めないけれど、そんな転びまくる苦戦しまくる様子と感情を言語化しウェブに投下する」とする。ここ数年、それがさっぱり無いから、自分でもあの時、めっちゃ苦戦したけど、その様子って今となったら良い思い出じゃんね。みたいな過去補正美化モードになっておる。ここ数年全然良い思い出なんかじゃない。思い出しただけで、うぇーみたいな中華丼リバースモードな日々なのに、それがリバースされずにふかひれあわび丼旨かったなあになるってそれ残念であるし、その時の心持ちってさ、そのときしか無いやん?われでもそうやん?というわけであって、それをきちんと書き残しておきたい。

というわけで、更新の日々、復活である。
この企業家としてどう展開するかを見据えに見据えたわれのブログ、アメリカに行けば多くの人から「where do you point of View?」と聞かれるわれのブログ(mean is blog)定期的にブログを更新するのである。
要チェックである。カミングスーンでチェケラーである。サンサンタウンからナウオンセールである(尼崎の塚口の商店街)。まあさ、このわれという人称で文章を書き始めてしまって、こんな文章になっちゃったけどさ、次回から何事も無かった顔してさ、普通に更新すっからさ、またブログ見に来てくれよな。
スタートアップという魑魅魍魎が跋扈する世界において、普通の人が戦々恐々と腰引きまくりながら戦っていく様をありありと世間に露呈してやんぜ。世界中の人の頭の中の「及び腰」って概念をアップデートするブログにすっから、また覗きに来てくんろ!

雑感−人生で努力して何かが身についたことが一度も無い

人生38年で。努力して身についたことがひとつだってない。
昔からフローやステップやモデルを書くのが苦手(ビジネスモデルを図解とか)
美しいパワポとかも全くどうしようもない(いつも誰かに手直しをお願いしている)
努力して何度かやってみたんだけどう、どうしても上手くいかない。
逆に時間を忘れてやっちゃうみたいなことは知らずに上達してる。

そのため仕事で努力が必要なことは誰かにアウトソースして、自分しか出来ないことに力を注ぐようになった。
でさ、仕事はいいんですよ。上手にやりながら、毎日何とかやり繰りしてますよ。

ただ僕は努力してでも身につけたいことがひとつだけあって、それが音楽の言語化。
音楽を聞いて、なぜその音楽が良いと思ったのかを言語化したい。

日々、音楽聞きながら仕事していることが多くて、一日8時間ぐらい音楽を聞いてるんですよね。
仕事では、ヒップホップ、EDM、JAZZで、本気で集中したい時はテンポが揺れるのが鬱陶しくてテクノかヒップホップとなる。
一定のリズムが大事。まあ仕事音楽はそれとしても、真剣音楽ですよ。ラブリー音楽ですよ。と。
集中が不要な仕事で音楽を聞いてて、ききながら、「お、この曲イイじゃんか」ってなる。お気に入りに入れる。あとでしっかりと聞く。
ってのが音楽インプットフローである。

で、そっから真剣に聞いて、それらの音楽を判別するんだけども、なぜ俺はその音楽が良いと思ったのか?を言語化出来ない。
なぜ僕は10年も前のdaftやGorillazを好んで聞くのに、ケミカルとかfatはあまり聞かないのか(前は結構好きだった)
なぜ僕はマギーロジャーズやアレッシア・カーラの曲をお気に入りにいれたのか(でも入れても1ヶ月で消すことばかり)
なぜ同じようなリズムの繰り返しのテクノでニナクラビッツは好んで聞いて、カールコックス(大御所)は聞かないのか。
なぜアジカンとか、サカナクションとか聞くのに、他のは聞かないのか(ちゃんと邦楽も頑張って聞いてます。それでもすぐに削除しちゃうのばかり)
なぜサージェント・ペパーズは全然聞き返さないのに、ペット・サウンズは何度も聞いちゃうのか。
よく分からない。

もちろん俺の言語化能力に問題がある可能性はあるんだけども、漫画や小説や映画なら、言語化することはできる(きちんと書けたというわけじゃなくて、自分のキモチはある程度言葉にできるという意、何らかの視点では切り取れたかもしれないという実感)が音楽だと皆無である。

でね、こっから努力の証
・音楽評論家の本を片っ端からよんでみた、
・You Tubeで音楽理論を学んで見る(リズム、メロディー、ハーモニー)

ぜ、、、全然身につかない。
さすが命題、強い。。。勝てない。
この能力がどうしても欲してて「「力が欲しいか、、?欲しいなら、、くれてやる」みたいなやり方でもいいから身につけたい。
たぶん僕の理想は感覚と論理を自由に行き来したいと思ってて、そしてそれが間違ってようが合ってようがどっちでも良くて、言葉にしたいという思いが凄く強い。

ちなみにアーティスト丸ごと好きって全然無くて、さっきでたサカナクションで言えば曲ごとにはっきりとあって、ミュージックって曲いいなあ。って思って新宝島はだるいなあって思って、ネイティブダンサーはイケるじゃんって思って、夜の踊り子はビミョーだなあ。って思って、聞きたかったダンスミュージックは悪くないと思って、アイデンティティは落ち着けよ(サビはわりと好き)。って思う。で全然理由が言えないという。

ちなみにこの努力はもう10年ぐらいやってる。
もちろん「オカワリ」で、もう10年チャレンジするつもりだ。

言語化出来るのか。。。。俺には生涯掛かっても獲得出来ない能力なのか。
またこのチャレンジを覚えている人が居れば、10年後の2029年にお会いしましょう。ごきげんよう。さようなら。

日々-引っ越しが趣味による日々の変化

引っ越しが趣味と言い始めてからはや15年。
住宅街(尼崎)→都会(心斎橋)→川沿い(京都)→山の麓(京都)→霊園(緑地公園)→商店街(東大阪)という変遷で。次は城(大阪城)の前というところ。
来月引っ越し予定。

昨年東京にもマンションを借りたので(錦糸町)、趣味がダブルで進行となり、これからも趣味が捗ること間違いなしである。
まあできれば事務所も適時引っ越したいんだけど、それはあまりにみんながハードだと思うので、今は辞めておこうと思う。

引っ越しを趣味と公言したのは、とある小説で人が変わる方法は3つしかない「会う人を変える」「住む場所を変える」「食べるものを変える」と聞いて、その説が面白いと思い、そこからこの趣味がスタートした。ただ僕はこの小説がどの小説だったか全然思い出せず、実は大前研一さんの名言、人間が変わる方法は「時間配分を変える」「住む場所を変える」「付き合う人を変える」という3つだという説を変な覚え方をしただけという可能性も捨てきれずにいる(その名言の続きで「一番効果が無いのは、俺は変わる!という決意だと続く。名言ですねー)

その説を支持するとして、では引っ越しで自分の何が変わったのか?と言われるととても悩むのだけども(比較できないので)少なくともその土地土地が自分の思考パターンに影響は与えるように思う。例えば京都で鴨川沿いに住んでて、日々常に大きな川とともにある生活というのは、とても心を穏やかにし大きなレンジでモノを考えられたように思うし、山の麓の生活は自然の厳しさを強く感じ、当時はわりとシリアスなモノの考え方だったように思う(夜の山が本当に怖かった。漆黒の暗闇)

そういえば書籍のホモ・サピエンス全史では農耕民と狩猟採集民を比較し、いかに農耕という生活が悲劇を生み、採集という生活が豊かな生活だったのかを説明した章があって、そこに書かれているのは、僕の引っ越しスタイルを説明するにとても適している。
ホモ・サピエンスでは農耕をすることで安楽に暮らせる新しい時代になる思ったが実際にはそうはならず、手に入る食糧を増やすことはできたが、食糧の増加は、人口爆発(生活の質の低下)と飽食のエリート層の誕生につながったと説き、平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた、そして定住することでまわりとの陣地の奪い合いのリスクと、定住場所で来月の食料がきちんと確保できるかという不安が続く生活が始まることになった。と結ばれる。

これは引っ越しにも言えることで、手に入る食料を目的(快適さや利便性)にするのではなく、常に移動を続けるという視座(この街の面白さを探す視点と次移動するという視点)、定住しないこと(逆に言うと定住したいと思える場所を探すこと)のどこに行っても心理的な前のめり感の獲得というメンタルを獲得することができる。
自分にとって何が大事なのか、日々何を考えたいのか、何を目的にしたいのか?というところである。
定住するメリットももちろんあって、それは目的にコミットできることだろう。余計なことを考えなくても良い環境(それぐらい引っ越しはストレスが高い)で、また好きな住居に長く住める(賃貸は良い物件が本当に少ない)

で自身のインプットの目的から引っ越しルールとして同じ環境には引っ越しをしないを徹底している。生活の安定や利便性よりは何か面白そうという直感を大事にし、常に違うインプットを受けるというのを目的にしている。
なお現在では、その直感を信じた結果、今は長屋住まいである。壁が隣と共有である。エコ!隣の人の鼻歌が聞こえてくる環境であります。へー男性だけどAiko好きなんだね!みたいな環境であります。
ただこういう環境の生活を続けると、変化には強くなっていく。どんな環境でも生けていけるな。という強い確信が自分に生まれる。
前回は往復3時間のところに住んでいたし、その前は駅まで徒歩35分のところに住んでおり、まあ家に虫が出ようと、冷暖房が無くとも、外の扉が閉まらなくても、風呂から上がってうたた寝したら髪が凍っていたり、天井の雨漏りで全部の書籍がダメになっても、まあいっか。の心境になる。
まわりの環境にキモチが影響されない人生だと人生イージーモードである。まあ図書館さえ近くにあれば、ぼちぼちハッピーみたいな感じな日々となる。

ただ趣味は捗ると書いててあれだけど、関西ではそろそろ引っ越し場所が見つからない問題がある。大体の環境に住んだような気もする。
私的には海外に住みたいなあみたいなキモチもジワジワ出てきてるところで、まあとりあえずは次の城の前に住むという環境を楽しみつつ、趣味が継続出来るか探る予定だ。
城の付近に住むことで自分の思考パターンにどう影響するのか!?はてさて!

自分の会社説明のパワポを作ってみた!

KiizanKiizanではエンジニアを募集しているのですが、対外的にウチってどう見えているんだろう?誰も知らない。レンタルの会社?ってなぐらいのモノで。
というところからKiizanKiizanの会社説明とエンジニアリングの体制についてまとめました!

本当におもしろいプロダクトを作りたいという思いが強く、それを実現するために最高にステキなチームを作りたいと考えています。

一緒にこの世に「あたらしいアタリマエ」を作って欲しいです。
大阪で興味があるエンジニアの皆さん、気軽に話を聞きに来てください!

仕事−経営者ができる開発体制の環境つくり

たまには仕事のことも。
社内勉強会向けのスライドをシェアします。
経営者としてKiizanKiizanというスタートアップでいかに強い開発体制を作るために開発に対して何を考えていることをシェアしました


に課題解決にチャレンジしたい!
そのためにやることは多い。ひとつひとつ取り組みます。

日々−スタートアップ経営者の休日の正しい過ごし方

皆さん、休日何してますか?
俺は休日は基本的に喫茶店に居る。
皆さんに休日の質問をしたが、それはフリであり、ただ自分のことを喋りたいだけのエントリーである。

俺は休日の朝は喫茶店に居る。
休日は朝起きたらすぐに喫茶店に行く。どうしようかな・・・喫茶店行く?も、やっぱりやめ・・・ううん!行く!も無く、起きたらすぐにスニーカーを履いて喫茶店に行く。
検討も相談も躊躇も助走も哀愁も胸熱も愛欲も無く、立ち止まって立ちすくんだりも、為す術もなく打ちひしがれたりもせずに、限界にぶつかって厳格な父親から喫茶店なんて辞めちまえ!も無く、利根川の「喫茶店は命より重い・・・」も無く、すぐ喫茶店行く。
逆に喫茶店に行く勇気あるの凄いわ!とか言われるかもしれないけれど、喫茶店に行くのに勇気は必要はない。
喫茶店まで行く手段と500円さえあれば、喫茶店は我々を迎えいれてくれる。
ようこそ。喫茶店へ。ってね。(Welcome to KISSA−TEN)

喫茶店はモーニング一択である。
厚切りパンにバターをたっぷり塗って口に投下し、極重のゆでたまごをがぶりのアイス珈琲流し込みである。
そして身体中の細胞が朝と知覚するのだ。
俺の目覚めである。グッドモーニングToday!やっほー今日という1日!さよなら昨日!Yesterdayおまえとはもう二度と会うことは無い!というわけだ。
喫茶店に行ってモーニングを食べてから1日がスタートということは、スタートからボーナスがついてると同義である。
例えるなら、次生まれ変わって、鏡を見たら「彼女がその名を知らない鳥たち」の蒼井優の顔に生まれ変わるぐらいのボーナスだ。
朝、アナタは自分の顔を見てあの蒼井だったら・・・今回の人生は勝てるかもしれない。そんな確信めいたキモチになるだろ?
そういうことだ。それが朝の喫茶店である。今日は勝てる・・・。

俺は今まで技術介入の低めの対人ゲームを得意としてきて(例えば麻雀的とかUNOとか)その折に学んだことは、勝てるときはどこまでも強気で攻めろということだ。勝ちが勝ちを呼ぶのだ。特に持ち札が強くもなくても、相手が勝ち気に怯むのである。
このまま勝つなら・・・そう昼飯もそのまま行く!寿司だ!SUSHIだ!である。え?この赤と白のコントラストといい、すごく精微に作れているけれどいつの時代のミケランジェロの作品?ローマ時代?いやそれミケランジェロの彫刻やないんや。芸術作品に見えるかもしれへんけど、それはミケランジェロの作品じゃない、それは寿司だ。SUSHIなのだ。昼勝ちは寿司。ランチの寿司盛り合わせ、980円である。
日常的にカウンターの寿司に行き慣れては居ないので、大将に注文する折に「も。。。もりあわせっ!!」みたいな感じで慣れてない感じが出まくるが、そこは勝ち気で言い切る。「せっ!」までちゃんと言う。間違っても「ま、、まちあわせっ!」って言ってはならない。お連れ様が来るまでお待ちしますね。ということで寿司は来ないから注意して欲しい。
たまご、たい、かんぱち、いか、えび、まぐろの順で食し、合間に飲む赤出汁で身体もあったるのは容易に想像つくるだろう?

そうスタートアップ経営者の休日は圧勝。月曜からの苦戦に備えて、日曜は圧勝。それがスタートアップ経営者の過ごし方である。
スタートアップでチャレンジされる皆さん心折れないよう、休日は英気養いつつ、お互い頑張りましょう。